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安倍自民政権の崩壊は近い

 

                                                                                         
参院選総括 その2


安倍が戦犯無罪を固執する狙い


 
安倍は参院選の敗北後の8月21日、国民の批判から逃れるかのように、あの非正規労働の偽装請負犯人、日経連会長・御手洗キャノン会長を団長とする、経済投資ミッションとともにインドを訪問した。その国会演説で、ブッシュとネオコンの、1953年朝鮮戦争休戦以降の米帝国主義軍隊の世界的な再編を取り纏めた、2004年6月のダグラス・ファイス政策担当国防次官による米議会証言・「北東アジアから中東にかけての不安定な弧」を、髣髴とさせる「ユウラシア大陸の外延を自由と繁栄の弧とする」、日・印・豪・米拡大アジア構想を披瀝した。このことが、中国封じ込めの冷戦思考であると、アジア各国とその言論から厳しく非難された。また、極東裁判(東京裁判)で「国際法上、平和に対する罪と人道に対する罪は、“事後法”であることと、西洋列強も日本も、アジアにおける戦争の罪において同罪である。日本の軍国主義指導者の罪だけを裁くわけには行かない」としてA級戦犯の無罪を主張した、ラダ・ビノード・パール判事の子孫を訪問し、日本天皇制・帝国主義の、戦犯無罪の意図に利用する魂胆とともに、アジア各国の言論から大きな憤激を浴びせられた。


安倍はこの参議院選で、日本資本家階級から、大東亜戦争の正当化を通して民族主義を掻きたて、国益と国際競争の名の下に、資本の過酷な支配に耐えさせる民衆を生み出すという任務を与えられた。参議院選マニフェストに、「戦後レジュームの解体」の中心をなすものとして、“民族の自虐史観から決別する、自主憲法制定”を掲げ、「次期国会で衆参両院に設置される憲法審査会の議論を主導し、010年の国会で憲法改正発議を目指す」(自民・マニフェスト)ことを公約のトップに掲げ「国民に信を問う」た。しかし、国民はそれを拒否した。安倍は、国民が何を考えようと関係ないと、臆面も無く居座り続けるだけでなく、今度はインドで、極東軍事裁判の正当化を図ろうと、見え透いた芝居をしたのである。かって、ナチズムの拠点はニュールンベルクにあったが、安部や、安部を支える日本政策センターの伊藤哲夫や、中西輝政など、右翼国家主義者たちの思想的精神的拠点は、靖国である。



民衆自身の手で、断罪できなかった東京裁判

 

彼ら靖国主義者の特徴は、(大東亜戦争が欧米列強の植民地支配からアジアを解放するものだったと言う、見え透いた欺瞞は論外として)戦争の惨禍の直接の犠牲者である民衆の苦しみの歴史を逆手に取り、その民衆が国家権力に利用され犠牲になったことを、崇高な使命を果たしたと言いくるめ、民間人に対する無差別空襲もまた勝者の戦争犯罪であると、日本の資本家階級と、その手先となった天皇制国家主義者の戦争犯罪を正当化する点にある.彼等は、「極東裁判(東京裁判)は、なぜ不当か?」と問う。「勝者の敗者に対する一方的な裁判だ。東京空襲を初めとする、日本の主要都市に対する民間人無差別殺戮、人間の歴史に類を見ないホロコーストである広島長崎への原子爆弾投下と言う、勝者の戦争犯罪を棚上げして、敗者を一方的に裁く裁判に正当性は無い」と言うわけだ。

 

凡そ、戦争裁判が、一方的な勝者の敗者に対する追及であることはその通りであろう。しかし、だからと言って敗者が犯した戦争犯罪の数々を正当化することが許されるのか? そして、なによりも基本的なことは、勝者とはだれか?敗者とはだれか?という問題である。民衆にとって、敗者も勝者も、同じく帝国主義者(資本家階級)の私的利益の道具と化した国家そのものではないのか? 民衆にとって勝者の犯罪も敗者の犯罪も同じ支配者の犯罪ではないのか? ニュールンベルク裁判と極東裁判の共通性は、帝国主義者どもの国際市場分割の暴力的解決として行われた戦争行為と戦争犯罪を、各国の民衆自身の手によって、断罪することが出来なかったという点にある。靖国主義者たちは、勝者も敗者も、民衆にとっては、同じ殺人強盗の手合いであることを隠蔽する為に、極東裁判の不当性を主張するに過ぎないのだ。 




「憲法審査会」を解体し、「国民投票法」を廃棄へ

 

 

安倍自民が、前国会で強行採決させた「改憲手続き法(国民投票法)」によって設置が決まった「憲法審査会」は、現在、野党の一致した不参加によって、その審査規定さえ審議できない状況にある。自公敗北の成果である。参議院で与党が、18項目にのぼる付帯条件を認めざるを得なかった悪法「改憲手続き法」(国民投票法)に対し、民主党は、今国会で国民の負託に沿って、社共とともに廃棄を提議すべきである。

「憲法改正原案」を審議し法案提出権を持つ常設の委員会である「憲法審査会」の設置は、この「手続き法」にもとずき「国会の(両院)の三分の二の賛成を必要とする憲法改正発議の現憲法の規定のみでは不十分」として、憲法改正を前提とし、その論議を促進する為に強行されたものである。改憲論議を既成事実化し、民衆を誘導し両院三分の二の賛成による国会発議により、国民投票に持ち込むのが、改憲派のロードマップである。

選挙前までは手続上の違いは別にして、自公民と共同歩調を取ってきた民主党は、今のところ「国民投票は与党の強行採決で成立した。審査会の運営を議論する環境に無い」(高木義明・国対委員長、8月23日付毎日)と表明し、党内改憲グループは、それまでの勢いは鳴りを潜め、参院選で改憲右翼安倍に、ノーを突きつけた国民の動きに、息を凝らしている状況だ。

民主党護憲派は、10日からはじまる国会で、社民、共産とともに「憲法審査会」を棚上げし、「改憲手続き法(国民投票法)」そのものの廃案を、目指して戦わねば為らない。




「解釈改憲」に協力する、右翼「学者」たち

 

 

 

安倍自公民は、平成10年を目標に置き、衆参両院に於ける三分の二の改憲勢力の確保による改憲発議と、憲法改悪を問う国民投票にむけて国民を動員する一方で、現憲法が60年に亘って、国会論戦と国民合意、政府見解を通して確立してきた、九条1項、2項の憲法解釈を破棄し、権力が勝手に解釈を加えると言う、「解釈改憲」の策動を行ってきた.07年5月18日第一回会合から開始された安倍の私的諮問機関、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」がそれである。

安倍はここに、前駐米大使・柳井俊二を座長に据え、「日本は、ブッシュの世界的な軍事再編に沿って、日米軍事同盟の強化を計るためには、集団的自衛権を持つべきだ」と繰り返し主張して来た中西寛(京大教授)、田中明彦(東大)や、右翼外務官僚・岡崎久彦、村瀬信也(上智大)佐瀬昌盛(拓殖大)などの、国家権力の論客として禄を食んできた連中を掻き集めた。(中西寛については、当サイト、日本を見るーシリーズ憲法第2弾・“日本国憲法の理念こそ平和の構築”」を参照) 

憲法と言う正文法を、自己の国家主義的野望と日本資本主義階級の私的利益の目的にのみ、解釈を加えるなどと言う、ブルジョア民主主義に対してさえ、唾を吐く行為は、日本資本主義法体制の末期的バーバリズムで無くて何であろうか?

 

すでに、8月30日の、第5回会合をもって最終討論を終え、9月中には、安倍の意に沿って、現行憲法のもとで、集団的自衛権の行使とあらゆる武力行使が可能であるとの答申を出す予定であることが、明らかになった。

しかし、安倍自民が惨敗した直後の、第4回会合(8月10日)終了後の柳井座長の記者ブリーフでは、記者から「参議院選挙の結果を受けて、懇談会の報告が行われても、具体的な法整備は、困難なのではないかと言う指摘があるが座長としてはどう考えているか?」(内閣官房、記者ブリーフ要旨)と言う、皮肉な質問が飛んでいた。かれは、「総理は(参院選の結果を受けても)変更はないということだ」と、国民無視の国家主義者的横着さで答えた。




「解釈改憲」の「法的整備」を企む安倍自民

 

 

「具体的な法整備」とは、安倍が「懇談会」の答申による解釈改憲により、集団的自衛権行使の「根拠」をデッチ上げ、08年通常国会で提出を目論んでいる「安保基本法」(安全保障基本法)や「恒久派兵法」のことである。前者は、防衛省成立直後の06年12月、自民党〈防衛政策検討小委員会〉よって検討されてきた、軍事同盟国としての米国が他国に侵略し反撃された場合、自国への攻撃として共に武力参戦する、集団的自衛権の行使を規定し、「非常事態」に於ける自衛隊出動を軸とした反民衆的法整備、首相権限の強化や私権の制限等国民の基本的人権の蹂躙と一体となった法として、後者は、06年8月同小委員会で、イラク特措法、テロ特措法と言った時限立法でなく、自衛隊の武器使用を容認し、恒久的包括的な海外派兵を行う法として、検討されてきたものである。解釈改憲による実質的な憲法九条二項の蹂躙以外の何者でもない。

 

安倍自民は、自衛隊を、世界規模で展開されている米軍再編とその世界戦略に組み込み、米国と一体化した軍事行動をとる事が日本資本家階級の「国益」と見なす事によって、日本の民衆を戦争の危機に晒しその人権を否定し、数千億(再編に伴う負担)に上る国税を浪費するために、60年に亘って国民合意と政府統一見解によって支えられてきた憲法解釈を蹂躙しようとしているのだ。

 

日本の司法は、ブルジョア民主主義の法番人として、憲法尊重義務を厳しく求められている内閣総理大臣と、「懇談会」に臨み憲法破壊の謀議を図る閣僚たちを、憲法99条違反の確信犯として、更に、ブルジョア民主主義体制を破壊するファシズムクーデター予備の罪により、即刻逮捕すべきだ!




“身近な人を助けるのが集団的自衛権”?

 

 

「懇談会」に集まる右翼御用学者達は、憲法を捻じ曲げて「集団的自衛権の行使」を如何に合理化するかを、5月18日より、選挙で惨敗した後の8月30日まで、毎回1時間30分ずつ掛けて、計5回の謀議を重ねてきた。しかし彼らの、その論旨は、“学者・有識者”と言うには余りに粗雑である。

 

第一回、記者ブリーフ要旨は言う。「安倍総理は、4つの類型に即して問題意識を示された。(1)公海上で米軍の艦船が攻撃された場合。(2)弾道ミサイルが米国に向かっている場合。(3)国際平和活動の際の武器使用。(4)所謂、後方支援について」安倍はこの具体的な4類型について自衛隊の集団的自衛権が行使できるように議論をまとめろと言うわけだ。

 

名を伏せた参席者の幾人かの発言を見てみよう。「自衛権は最高裁が認めている。その中には当然、集団的自衛権も含まれる。自衛権は個別的自衛権であれ集団的自衛権であれ、国内法に於ける正当防衛のように、違法性阻却事由であり、その行使は止むを得ないケースだ。どこまでその行使を認めるかは、政策判断だ」と。ありもしない“大量破壊兵器”の存在をでっち上げ、絶えず侵略戦争を主導して来た米国との軍事同盟に於いて、一蓮托生となる集団的自衛権の行使が、どうして「正当防衛」なのだ! 最高裁が、集団的自衛権をいつどの裁判で認めているのだ! 全国民を戦争に巻き込む米国の戦争行為への加担を、易々と政策判断で遣ればいいと言うこの“学者”は、国民の人権と命をなんと心得ているのだ。

 

ところで、集団的自衛権が「国内法に於ける正当防衛」と同じ、とする主張は、もう一人の「仮に、家族や友人が攻撃された場合、助けないのか。助けるとして、他人だったらどうするかというように、どこまで広げるかについて議論をする必要がある。身近な人を助けると言うのが集団的自衛権である。」(ブリーフ、そのままを引用)という、民衆を見下したような「喩え表現」と、どこか共通性がある。国家間の政治的衝突を、互いの国家権力の暴力装置を動員して決着を図ろうとする政治の一形態である戦争行為を、血縁、地縁社会や、せいぜい市民社会における揉め事に置き換える説明は、集団的自衛権を自然法と自然権で正当化し様としているのかもしれないが、それは誤魔化しである。  

 

安倍はかって04年1月26日の衆院予算委員会で、「集団的自衛権は、国家の自然権である」と主張したが、これに対し、秋山収・内閣法制局長官は「(憲法の下では)集団的自衛権を行使できない以上、これを持っているかどうかは観念的な議論」であり、「保有していないと言っても結論的には同じである。」と、にべも無く否定した。

 


「日本国憲法は、集団的自衛権の行使を許していない」と断言する前法制局長官       

 


秋山長官の後任で、04年8月から06年9月まで法制局長官を務めた阪田雅裕氏は、「集団的自衛権の行使は、なぜ許されないのか」(「世界」9月号)で次のように指摘している。少々長くなるが、確立された政府見解なので、参考までに、一部要点を、以下に引用する。

 

「昭和29年の自衛隊創設からでも50年余り、その意味するところは何かを巡って、政府と国会とのやり取りを中心に長い間議論されてきた。恐らく憲法のさまざまな規定の中で最もたくさんの時間を費やされてきた規定である。」「国民に対して憲法9条と言うのはこういう意味だと言うことをずっと言ってきたことには、それだけの重みがあり、国民の間でもそれなりに定着している解釈だ。それがある日突然に今まで言ってきたことは全部間違っていました、これは実はこういう意味でしたとなると、国民の法規範に対する信頼を非常に損ねるのではないか。そう言う成文法の意味すら内閣が自由に左右できると成ると一体法冶主義とか法冶国家というものは何だとなる。」「9条については集団的自衛権や集団安全保障、海外での武力行使もいいのだということを、9条1項、2項から導くことは論理的に難しい。」と。そして「日本国憲法が独特で、他に類を見ない平和主義であると言われて来たのは、その一項以上に二項の規定である。」「それ以外(自国の防衛)の場合に外国の領土、領海、領空で武力を行使することは出来無いと言うのが政府の解釈なのだ。・・・だから、集団的自衛権であれ、集団安全保障であれ、それは直接的には国民の生命、財産が危険に晒されている状況でないにも拘らず、自衛隊が海外に行って、例え国際法上違法でないにしても、武力を行使することを憲法九条が容認していると解釈する論拠は、日本国憲法をどう読んでみても、個別的自衛の為の軍事行動とは違って、見出すことは出来ない。」と。   

 

しかしこの、日本政府見解は、今日「イラク特措法」における“復興支援”、「テロ特措法」における“後方支援”と言う名目での、米国を初めとする帝国主義侵略軍への軍事協力に対しては、それが直接的な武力行使を禁止する点において、この政府見解は維持されていると主張するが、その実態において、氏の言う憲法が禁止する集団的自衛権が、なし崩し的に具現していることを充分に説明していない。

安倍を初め、自民、一部民主の右翼国家主義者と、靖国主義学者は、この「なし崩し的・集団的自衛権の行使」の現場の「事例」において、集団的自衛権を行使する論拠をでっち上げようとしているのだ。(安倍が〈懇談会〉に諮問した四つの類型は、ほぼこの具体「事例」に対して、海外での如何なる武力行使も許されないとする国民合意の政府見解を葬ろうというのだ。

 

しかし、「時代に合わして憲法解釈をすべき」(ブリーフ)と言う、柳井座長の論拠は、前法制局長官の言に従えば、「一体、法治主義とか法治国家と言うものはなんだとなる」極めつきの暴論と言うことになるのだ。半年前まで、安倍とともに同じ国家権力の中枢にいた、法令執行の責任者の言葉を、彼等はどう受け止めるのだろうか

また、「日本は、集団的自衛権を行使できないと言う解釈を取ってきたがゆえ、個別的自衛権の概念が不当に拡大してきている。」(ブリーフ)と、自ら、法と政策の齟齬を作り出しておいて、それを解釈改憲の論拠とする彼らの行為は、事故屋ヤクザの遣り口とまったく一緒だ。

安倍自民の、右翼学者からなる、日本国憲法の解釈改憲のための、「根拠」をでっち上げる私的懇談会の粗雑きわまる内容は、右翼体制派知識人の知的退廃を示して余りある。(次回は、その〈四つの類型〉ごとに、各委員によってどのような論議が行なわれたかを明らかにしたい。)

 

日本資本家階級と、彼らに政治を付託された安倍自民は、ブルジョア民主主義の法の枠組みさえも、踏みつけなければ、民衆支配の体制が作れないところに追い込まれているのだ。


 

テロ特措法の目的は、アフガン民衆の頭上にクラスター爆弾を落とすことだ 

     

 

民衆の生活と、暮らしと、医療と、老後を蹂躙しておきながら、「テロとの戦い」と言うまったく実体のない、作られた“恐怖の幻想”を利用して、民衆を国家に動員しようとする安倍自民の魂胆は、はがれつつある。

安倍自民が時限延長を狙うテロ特措法こそ、01年以降6年間に亘っての、アメリカ帝国主義者と同盟者たちのイラクとアフガニスタン民衆にたいする、残忍極まりない殺人と拷問、略奪と放火の侵略行為への加担である。これら悠久の人類の歴史が流れる美しかった国々が、帝国主義者の侵略行為と爆撃により、飢餓と貧困、山野、田畑の荒廃が進み、民衆が生死を彷徨っていると言うではないか。アフガニスタンの民衆の頭上にクラスター爆弾を投下する戦闘機や戦艦に油を給油することが国際貢献などと、どうして言えるのだ。

91年からアフガニスタン東部で三つの診療所を作って医療活動と農業支援を続けマグサイサイ賞を受けた中村哲さんは、テレビインタビューで次のように語っている「国民の半分、一千万人が飢えに苦しんでいる。彼らの最低限度の願いは、三度のご飯が食べられることだ。戦争は必要ない、タリバンは普通の農民である、誰もテロリストとは思っていない。人を殺しながら援助をするアメリカは許せないと、アフガン人は言っている。東京の復興会議の資金が45億ドルで米軍のテロ掃討費用が300億ドル。それだけお金があればアフガンは助かるのに、日本が支援しているアメリカのアフガン戦争の実態がこれだ。」と。

民主党は、テロ特措法の延長は、あくまで反対と主張している。民主護憲派と共産党、社民党は、統一して行動し、法の阻止を断固としておこなわなければならない。安倍の最後は近い。