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(キム・ヨンボム著、「日本主義者の夢」プルンヨクサ社出版、
日本語訳連載B)

 

<その3>



[第2部] 再び、明治の栄光を((本文・39〜117P)



(司馬遼太郎の史観。その日本主義の正体)

 

 

 

○司馬遼太郎を書く理由





幼かった時、祖母が聞かせてくださった昔の話は、実に面白かった。年をとったいま思って見ても、その昔話は、事新しく興味がわく。嘘で仕立てたフィクションの昔話、しかしその虚構の現実を信じた私は、深くなる真冬の夜の強い風の音に、恐ろしがった幼い頃の追憶を、いまだに大切にしまっている。

 

祖母の昔話と、口のうまい話し手が広げて行く歴史ドラマ、その二つは、虚構と言う点で同じだ。1997〜98年に爆発的な人気を集めたKBSの大河ドラマ<龍の涙>は、かなりの教養人であれば、大概知っていそうな朝鮮朝建国初期の権力闘争に関した話だ。ドラマ作家は、教室で聞けば面白くなく、堅苦しい朝鮮の歴史の一部分を、今日の政治の現実かのように、すっかりそうであるかのように加工処理で書き、ドラマを成功させた。

 

わが国にも、ずいぶん広く知られている日本の歴史小説家、司馬遼太郎は、やはり、堅苦しい歴史話を極めて面白く潤色し、読者達を魅了させるのに成功した卓越した話し手だった。

 

しかし、万一彼が、虚構の話を面白く並べる話し手であったと言うなら、我々は、彼の話と彼が広げてみせる日本の歴史に対する認識に、特別に注目しなくても良い筈だ。

 

しかし彼は、読者の歴史的興味だけを刺激することで成功した小説家ではない。何よりも彼は、自身が身につけている日本の歴史と日本文化に対する博学な知識を十分に活用し、読者に、日本だと言うなら、これでなければと言う、歴史的モデルを提示し、日本人の魂と日本人の自負心を目覚めさせた日本主義者だった。それだけではない。彼は、‘近代化に成功した日本―停滞した韓国の植民地化’と言う一貫された対比の構図の中で、韓国文化と韓国人を、意図的に貶めた日本優越主義者だった。それにも拘らず、わが国の人々の中で、彼の小説の一部を優れた経営哲学書として持ち上げ、或いは韓国文化を最もよく理解した日本知識人として、間違って評価する司馬フアン達がいる為に、敢えて司馬の歴史観、即ち‘司馬史観’が内包した日本主義の疑義の正体を、剥がして見ようと試みたのだ。

 

 

 

司馬の魅力

 

司馬の最も大きい魅力は、一旦その小説世界に入り込んだ読者をして、小説の中の主人公と自分自身を、すぐ同一視するようにしてしまう所にある。こんな同一化過程を通して、読者は、作られた虚構の歴史話を歴史的事実として受容し、自身の行動を話の中の主人公と同じ方向に指向する事と成る。このような日本の歴史の教養的知識を豊富に提供しながらも、その内容を分かり易く明瞭に解き明かす優れたストーリーテラーである司馬は、特有な興味を引く話術の腕前で、或る時は日本近現代史の歴史的主人公達を、又或る時はその主人公達の影に遮られ、あまり光を見る事が出来なかった無名の人物たちを、歴史舞台の前面に華麗に登場させ、再創造し遂げることで読者達を限りなく感動させた。

 

実際に日本には、徳川幕府(1603〜1868)末期から明治時代に跨った歴史を、全部、司馬の小説と歴史評論集を読み勉強した人々が多くいる。彼らに、司馬は見事な先生だった。

 

その上司馬は、ビジネスマンと経営者らにとっては経営哲学者でもあった。

彼の小説家的才幹で、乱世の危機を突破した歴史的人物たちの成功談が、立派な経営哲学の教科書となった為だ。それと同時に司馬は、政治家達に国家運営の指針と日本の針路を提示することもした。

いずれにせよ司馬は、生存している間、日本国民たちの広範囲な愛情を受け、幅広く読まれた作家だっただけではなく、亡くなった後にも絶えることなく売れている話し手だ。その点で彼は否定することが出来ない日本の‘国民作家’だ。

 

1996年2月12日、司馬(享年72歳)の訃報が伝えられるや、日本の天地は、まるで‘巨大な文化山脈が崩壊した’様な衝撃に包まれた。国の目標が明らかに提示されない昏迷の時期に、海図のない航海の時代に、‘羅針盤の役割’をしてくれたくれた司馬が突然行ってしまうや、日本人達は虚脱感と空虚感で魂を失い痛哭したと言う。

日本の新聞とTV、雑誌には、一斉に彼を追慕する特集をして、歴史小説の新境地を開拓した作家、いや、偉大な精神的指導者の逝去を哀惜(あいせき)した。

また、その次の年一周忌のころには書店で、逝去後、急に増刷された彼の作品を一箇所に集め、競争的に‘司馬遼太郎コーナー’を別に作る事もした。追慕の熱気は、彼が亡くなってから2年が経っても冷めなかった。

ずいぶん前の、司馬が行った講演を本に編集し新しく刊行すると,司馬の文化、司馬の歴史観と 文明観を再評価する作業が活発に展開されたのだ。    




(訳 柴野貞夫 2010年1月31日)







(次回に続く)