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キム・ヨンボム著「日本主義者の夢」プルンヨクサ社出版、日本語訳連載 27)



―朝鮮人による司馬遼太郎の歴史観批判―





妄言の解毒法

 

(原書219p~226p)

 

 

 

 

1997年1月24日、梶山静六・内閣官房長官(橋本内閣当時)が軍隊慰安婦関連の妄言をした事は、消えない疑問の一つだ。彼が、どうしてそんな言葉を話したのか、その内容も内容だが、それよりは、妄言のタイミングに、もっと大きい関心が集まっていた。次の日、大分県別府でキム・ヨンサム大統領と橋本龍太郎総理間に、韓・日首脳会談が開かれるのを、知らなかったはずがない。

 

それだけではない。彼は、そんな妄言が会談にどんな影響を及ぼすだろうと言う事ぐらいは、十分に判って当然な職責に居たのだから、尚一層妄言の動機に関する疑問が生じざるを得ない。梶山の妄言内容は次の通り。

 

“今日本では、当時の社会システムと背景を教えていない。日本で騒いでいる人は、学校でそんな事を習ったはずがない。当時、公娼制度と言うのが厳然とあったと言う事実を知らない。我々の様に、歳取った年輩はそれを知っているので、従軍慰安婦と言ってもそんなに驚かない。”

 

世代の差によった、慰安婦問題に対する認識の差を取り上げた梶山は、続いて慰安婦が金儲けをしたと言う主張を弄した。

 

“公娼となった彼等は、大部分貧乏だったから金儲けが目的だったのだ。実際に、当時戦場に行けば加給金と言うものを受けることもした。無論最後には徴用だったか、徴発と言うものもあった。背景も判らないのに、そんなこと(慰安婦)だけを教える事を、どうして考えなければならないのか?”<毎日新聞>1997年1月25日付。

 

橋本総理は1月25日夕方、首脳会談が終わった後、金大統領との共同記者会見で、この様に解き明かした

 

“梶山は、従軍慰安婦が生まれた時代的背景として公娼制度があったと言う事を、中国に立ち寄って来た中山太郎前外相に聞いて紹介したものだ。なお且つ、彼の発言は記者会見でしたものではなく、歩きながら記者の質問に答える中で出たものだ。”

 

そして梶山の妄言が、韓国の新聞に大きく報道された事を知って、橋本総理は、別府会談が始められるやいなや、金大統領に、妄言に対する謝罪から先ず行った。

遠い道を訪ねてきた隣国の国家元首に対する、お客さんの接待雰囲気を壊さないと言う配慮からだろう。そして進んで、梶山妄言に対する公開的な解明をした。しかし、‘聞いた話を伝えただけ’と言う解明だけでは、妄言の真意が何なのか判らない。

 

 

 

偶発的発言なのか?

 

 

これに対し或る日本の記者は、外交感覚が全くない彼の偶発的発言だと解析することもした。平素にもそんな考えを持っていたのかどうか判らない梶山が、後先考えず、出し抜けに吐き出した言葉だと言う解釈だ。

しかしこれと違って、梶山が意図的に吐いた言葉だと見る視覚も存在する。老練な政治家である梶山が、自分の発言がどんな波紋を引き起こすか充分に知って、記者たちにわざとこっそり、流したものと言う意味だ。

 

内閣官房長官と言う職責は、我が国で見れば、青瓦台秘書室長兼、政府代弁人に該当する席として、日本の内閣で大きな実権を行使する。派閥の按排原則が作用される自民党政権の組閣でも、その席だけは自派閥で起用するのが常例である程だ。官房長官は、毎日総理官邸で出入りの記者達と記者会見を持って、国情に関しブリーフィングをし、随時に対話を交わす。さらに、殆んど毎日TVに顔が出て、話の一言一言が、そのままニュースとなる事が出来るために、彼の発言は、事前に慎重に検討された後に出るものとして、見なければならないはずだ。官房長官が言及する問題は国内問題から外交問題に到るまで、極めて幅広い。無論外国問題に関しては外務省代弁人が政府の公式立場を明らかにする場合が多いが、官房長官が論評する場合も頻繁だ。

 

この様な行政府の重責を受け持った梶山は、党内でもかなり比重ある政治家として、橋本政権では加藤紘一幹事長とともに総理を補佐する右腕格の人物だった。当時71歳だった彼は、政界改編の論議が出る時毎に、自民党内の長老集団を代弁するように、急進的改革を主唱する保守政治家小沢一郎の旧新進党(1997年末~1998年初に、6つの派に解体され、小沢勢力は、自由党として残存)との‘保/保連合’を主張したりした。外交官出身である57歳の加藤幹事長が、社民党・さきがけ・民主党との政策連合を主唱する党内少壮層の代弁者であれば、梶山は老人層の口添え役をした。

 

妄言当時、彼は加藤幹事長とは対立的な位置にいた。その対立は‘保・保連合論’対‘自・社・民連合論’の争いとも見る事が出来る。当時橋本政権は、社民党・さきがけが、閣外から執権自民党と政策連合を広げる形式で維持されていた。無論、後で自民党は、無所属議員と野党脱党者達を引き入れ、衆議院で辛うじて過半数の議席を確保することはしたが、衆・参両院で過半数に達しなかったので、少数党である社民党・さきがけとの政策連合が必要だった。そんな局面だった為に、政街では頻繁に政界再編論が出たりしたし、それによって橋本内閣の危機説も、つられて広がったりした。

これぐらい判ってしまえば、橋本総理より歳も多い老練な政治家である梶山が、波紋を推し量ることが出来なくて偶発的に慰安婦=公娼と言う妄言をするはずがない。

 

梶山は、元来韓国に対しては、あまり好感を持っていなかった様だ。彼は、1996年8月8日、ある地方都市で開かれた日経連セミナーで、南北韓の韓国人全体を冒瀆する発言をしてから、取り消した前歴がある。

韓半島有事時に備えた立法の必要性を強調しながら、日本に殺到する北韓難民と自衛隊間に、ゲリラ戦が繰り広げられるだろうと言う、奇想天外な発想を明らかにしたのだ。

 

彼が想定したゲリラ戦の極端なシナリオを直接書き写して見よう。

 

“(日本に押し寄せる難民の中に、武器を持った)難民が紛れ込めばどうするのか、彼らには日本国内に組織がある。南と北の組織の話だ。彼等が内紛状態に入れば、日本自衛隊はどのように戦うのか、事実自衛隊にはそれだけの能力がない。彼等が内紛状態に陥れば、市街で局地的なゲリラ戦が繰り広げられる可能性があるが、自衛隊は一度も市街戦の訓練をして見たことが無い実情だ。”<朝日新聞>1996年8月9日付

 

ゲリラ戦の可能性に対処する為の有事立法が必要だと言うこと、それが梶山の主張だった。無論、その時梶山は、適切でない例を取り上げたと公式的に謝罪したし、別府会談前日の妄言に対しても謝罪する事はした。しかし、どこか釈然としない点が残る。彼は、韓・日首脳会談を控え、そんな発言をして物議を引き起こした事に対し、申し訳ないと言う程度の謝罪をしただけで、最後まで妄言内容それ事態を取り消す事はなかった。橋本総理の解明も梶山の妄言内容を否定するものではなかった。更に別府会談の次の日<サンケイ新聞>は、梶山が謝罪をする事はしたが、自分の発言内容を結局否認する事はなかったと説明した。

梶山の妄言は、当時慰安婦問題の中学校教科書記述を取り捲く日本内で、猛烈な削除要求運動が展開されていたと言う、時期的背景を念頭において解析しないならば駄目だ。党内の‘老いた年配’の長老集団を代弁する梶山は、韓国国家元首が訪日する絶好の機会を捕捉し、慰安婦=公娼と言う刺激的な表現を駆使することで、妄言の効果を極大化しようと狙った事が明らかだ。

 

そうする事で、韓国側の反応も推し量り、国内の慰安婦記述削除運動派の好感を買おうと言う、政治的計算をしたものと見なければならない。

 

万一、梶山の妄言で橋本総理の気持ちが気まずくなったなら、過去の例で見て梶山は免職がふさわしい。しかし彼は健在だったし、その年の秋、橋本総理の党総裁再選を契機に断行された改革時になって、本人の固辞で閣僚職から退いた。党内派閥の均衡配置を考慮せざるを得なかった橋本は、梶山妄言を問題視する立場になかった。

 

旧社会党の後身である社民党が、堂々と立ち向かう事が出来る勢力を院内に布陣させていたならば、官房長官の妄言は政治問題化する事も出来たであろう。

 

しかし社民党は、すでに張り子の虎同然だった。

 

その上、内閣に参与せず自民党との政策連合を広げていた当時の社民党としては、連合破棄を冒してまで、梶山妄言を政治問題化し強硬対応したくなかったものと見える。

 

日本国内の世論も、彼の妄言を激しく糾弾し様とする動きが無かったし、韓国側の対応も強硬ではなかった。そして両国の指導者は、未来志向的な韓・日同伴関係の構築と言う外交の掛け声の下、妄言問題を隠してしまった。結局梶山妄言は、うわべでは別府会談を前にした突出性のハプニングとして終わっただけの計算だ。

 

しかし、妄言の潜在的爆発性は、そこから1年半後、これ見よがしに顕在化された。橋本内閣の後を引き継いだ小渕内閣の、農林水産省に就任した中川昭一議員が、またもや妄言をする事で、これを立証したのだ。彼は慰安婦問題に対し強制性の可否に関した論難があるため、教科書記述に反対すると言う立場を表明し、物議をかもした。しかしこの問題も、中川が取り消し発言をすることで、まもなく鎮まってしまった。

 

 

 

妄言を口にした連中の共通点

 

 

日本政府の総理と閣僚達の韓国関連妄言は、1953年、あの悪名高い久保田貫一郎(日韓会談首席代表)が、日本の植民地統治は韓国人に恩恵を与えたものと言う妄言をして以来、筆者が記憶するものだけでも、30例を遙かに越える。過去50年間、わすれてしまったと思ったら出し抜けに噴き出て来たわけだ。一体全体、何故そうなのか。

 

その要因は、まず、日本の過去史を正当化しようとする勢力が、厳然と存在するところに求める事が出来る。妄言を吐く人間(者)は、そんな勢力の代弁者であると同時に助長者だ。彼等は妄言で政治的利得を得こそすれ、損害を見ることはない。これは妄言口外者達が、選挙の時毎にソックリそのまま、また当選に浴し、永田町の国会議事堂へ這入って行くことで良く判る事が出来る。

 

二つ目に挙げる事が出来る要因は、韓国側の対応が徹底することが出来ない事にある。妄言が起きるとき毎に、韓国内の世論、特に新聞・放送の論調は、僅かの間は熱くなるが、たちまち冷えてしまった鍋のように感情爆発に偏(かたよ)った。

 

こんな事が繰り返されると同時に、一部日本人達は、妄言の波長が数日行かず静まるものだと言う、ばかげた予測をする事となったし、同時にそんな認識は、‘そう考えたところで、他に仕方があるのか?’と言う、傲慢な対韓優越感として発展、培養されたものと見える。このように徹底することが出来ない韓国側の対応は、その間、政治権力の強化のために妄言を政治的に利用した今までの政府指導者達にも大きな責任がある。

 

韓国と韓国人に対する日本人の妄言は、彼等の歪曲された韓国観と、間違った歴史認識が存在する限り、いつまでも繰り返される潜在力を秘めている。そうであれば、今からは感情ではなく理性で、喚き声でなく説得で、対応しなければならない。感情爆発の喚き声が大きいと言って、日本人達がそれを恐れて入朝心を持たない事はない。むしろそうするほど、彼等の間の嫌韓感情のみを育てるだけであり、それは、隣国との関係を維持するのに決して好ましくない。彼等の嫌韓感情を、好韓感情に転換しようとすれば、妄言口外者のグループと韓国の利害者グループを区別する眼目を備えなければならない。

 

すべての日本人が、植民地支配の過去史を美化し正当化する事はないと言う事実、すなわちそれらを非難する日本人達もいると言う事実を知らなければならない。我々は彼等をして、妄言口外者を糾弾するようにし、妄言口外者のグループを少数派として孤立させる智恵を探さなければならない。それは民間次元から、説得力ある対話を通して可能な事だと見る。(続く)

 

(訳 柴野貞夫 2011年6月10日)

 

 




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