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死刑制度に関する国連決議への、日本政府と鳩山法務大臣の態度は、
自民政府と日経連・資本家階級の、人間精神の腐朽と頽廃の思想を体現している。

 

 

 

1997年12月30日、軍政与党・民政党(民主正義党)の大統領・キム・ヨンサンが、その任期最後の月に、駆け込み的に23名の死刑囚を処刑したあと、韓国に於いては2007年12月30日までの十年間、死刑の執行は行われなかった。87・6月抗争から生まれた民主化政府としてのキム・デジュン政権の5年間と、それを継承するとしたノ・ムヒョン・参与政府の5年間は、死刑執行は停止されてきた。 

 

 

この10年間の「民主化政府」の方針は、死刑制度を国家権力の支配のために乱用したり、軍事独裁政府下でのデッチアゲによる民衆の処刑の歴史への反省にもとづいて、人権思想を体現しようとしてきたものであり、「真実・和解の為の過去史整理委員会」に見られるような、軍事独裁時代の「国家犯罪は、時効を認めない」と、官民共同での2000件以上の歴史犯罪追及の姿勢に示されてきた。昨年1月23日、国家転覆・内乱予備陰謀・スパイ等の罪名で「人民革命党事件」の7名が1974年に処刑された事件が、再審によって無罪とされたのも民主化政府のこの思想の成果といえる。

 

 

昨年12月18日、国連は、EU,南米諸国、アフリカ諸国等87カ国の共同提案で死刑制度の廃止を視野に入れた、「執行停止」を各国が行うべきとの決議を加盟192カ国のうち、賛成104カ国、反対54カ国,棄権29カ国の賛成多数で採択した。過去2回(71年、77年)の国連決議が、「制度の濫用や、死刑対象罪名の規制」に限られていたのに対し、今回は、死刑制度の廃止そのものに向かう決議として、意味がある。しかし日本政府は、米国や中国、シンガポール、イランと共にこの決議に反対した。

 

 

国連決議後の12月18日、鳩山法務大臣は、記者会見で「世論には死刑制度や死刑執行にかなりの支持がある。国連決議があっても我が国の死刑制度を拘束するものではない。これは内政問題だ。」(朝日Com18日)と述べた。この男の話しには、決議が問う人間の尊厳や人権、更には裁判制度の中で人間や国家が恣意的に裁く、多くの事例にみる誤審や政治的報復など、死刑制度を問い直し、それが持つ問題点の論議に向かう言及がひとつも無い。これに先立つ12月7日、鳩山は、3人の死刑囚を刑場に送り込み、それどころか、死刑執行の「自動化」に関する論議を俎上に載せると言明していた。これを、人間精神の腐朽化、人間そのものの頽廃といわずして何というのか。

 

 

日本において、過去に(1949年)米軍占領下の国鉄労働運動弾圧を目的とした米国によるデッチアゲ「松川事件」での、死刑判決、1948年の死刑判決から39年後に再審で無罪となった「免田事件」、最後まで無罪を主張し再審を認められず死刑を執行された「福岡事件」、そして現在も、「袴田厳氏」や「奥西勝氏」にとどまらない無実を訴え続ける死刑囚の存在は、裁判に依って人間の生命を否定すると言う死刑制度の問題点の論議の不可欠を示しているはずだ。

 

 

「人間の生命の価値は絶対的である。人間の命を取り上げる資格は誰にもない。」とハンギョレは指摘している。誰よりも、日本国憲法の尊重義務を負う国家権力の執権政府は、率先して国民の人権に関わる問題を常に問い直す責任をもっている。2008年福田政府と鳩山は、5兆円の軍事予算と日本資本家階級の私的利益を守るため、人間の尊厳や生存を脅かす非正規労働を、労働者支配の構造的システムとして作り上げようと企み、2200億円の社会保障費を削減し国民の命の糧を削り取ろうとしている。イージス艦一隻で賄える金額である。戦争とは、司法手続きのない、無差別な民衆に対する死刑執行である。国民の生存権を否定し、戦争という無差別死刑執行の準備に狂奔する自民公明政府の存在と鳩山法相の態度の中に、人間の生命の尊厳を冒涜する姿を、見ることが出来るのである。

 

 

韓国は今年2月、軍政与党の後継、ハンナラ党のイ・ミョンパクが、特検の追求をかわすことが出来れば政権につくことができる。かれは、死刑制度に対して肯定的である。韓国民主化十年間の成果を、この韓国資本家階級の代弁者によって毀損されてはならない。ノ・ムヒョンは、直ちに議会多数派の政権与党の力で「国家保安法」の廃棄と、現在、国会法制委員会に留め置かれている「死刑廃止法」の採決を実行すべきである。