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社会主義の展望シリーズ 第7弾



 

(韓国・労働解放実践連帯―「社会主義綱領を討論しよう」より)

http://www.hbyd.org/site2/index.php

http://programto.net/wordpress/?p=244

 

その2

 

 

<訳者注釈>

○この文書は、社会主義革命によって労働者階級の真の解放を勝ち取るために、韓国に社会主義労働者政党の建設に向けての綱領を提起した「労働解放実践連帯」の「綱領草案」の日本語訳その2である。



(前回の訳を参照してください)

 

 

 

3.現代資本主義の危機と、資本の反動的な新自由主義攻勢

 

 

3-1 第2次世界大戦の収束以後、2大世界大戦の間の時期のように、また新たな、大規模恐慌に直面する事と予想された世界資本主義体制は、予想と異なり1960年代末まで例外的な長期好況を維持する事が出来た。この様な戦後の長期好況は、周期的過剰生産と恐慌という、資本主義特有の現象が消えたものではないかと言う資本家達の楽観を生みだした。しかし、過剰生産と恐慌は消えたのではなく、米ソ冷戦体制とベトナム戦介入に伴った軍備増加と、財政と金融政策手段を使用したケインズ主義的政策によって、遅延されただけであり、この政策が、限界に突き当たった事が明らかになった時、構造的な長期不況が始まった。

 

 

3-2 構造的な長期不況事態に陥った資本は、危機の突破策として70年代初半以後、労働者階級に対する攻撃の強化と、私有化、開放化、規制緩和、社会福祉の破壊を核心とした、新自由主義攻勢を強化し始めた。戦後、労働者階級に資本への譲歩を強要したソ連など‘現実社会主義’の国々で、停滞と沈滞現象が明らかになった事も資本が新自由主義攻勢を強化する事が出来るようにした要因となったが、この様な新自由主義攻勢の前で、戦後労働者階級が争取した改良的成果は、一つ二つずつ破壊され始めた。

 

しかし資本は、新自由主義攻勢によっても、構造的な長期不況を克服するのに失敗したし、危機は新しく深刻となる他はない事となった。

過剰生産、過剰資本は解消される事は出来なかったし、資本間の競争の激化の中で、増大し、利潤確保において、困難に置かれた過剰資本は巨大な金融投機資本を形成し、世界金融秩序を攪乱させた。

 

80年代の第三世界の外債危機は、90年代の東アジアの金融危機、ロシア、南米の金融危機に繋がり、今、世界資本主義の中心である米国で、大恐慌が勃発し、全世界的な恐慌に拡大されている。

 

 

3-3 現代に遂げられた、科学技術革命として呼ばれる生産力の巨大な発展は、それが人類の自由な発展の為に使用される場合、人間解放の画期的前進を持ってくる程度に、実に度外れたものだ。科学技術革命で労働生産性は画期的に労働時間を短縮させるとしても、人間の必要を充足させる事に十分な程度に発展した。

 

しかし、生産力の巨大な発展は、資本主義的生産関係の下で、人類の自由な発展のための手段ではなく人間性破壊と人類破滅の手段となっている。

 

生産力の巨大な発展は、就業率の増加ではなく、全世界的大量失業事態を惹起しているのであり、高尚な名前で命名された‘労働市場の柔軟化’は、臨時的、契約職など、非正規職の激増を持ち込むものとして雇用構造を極めて不安定なものにした。

 

先進国、後進国を選ぶことなく、大規模失業が慢性化し、全世界的に貧富格差は拡大し、富国と貧国間の格差は日毎拡大されている。

全世界的に、一方では栄養過剰の事態が、異なる一方では餓死事態が併存している。

 

世界資本主義の発展過程で、恣意的に(勝手気ままに)行われた大規模環境破壊は、幾何級数的に拡大され、このまま行く場合、21世紀中半、動植物の30%が種の絶滅危機に置かれ、次の世紀初めに地球上のあらゆる生命体が消える危機に置かれるものと、予測されている。

 

ソ連の分解以後、冷戦体制は分解されたが唯一の覇権国家として残った米帝国主義は、局地的紛争を利用、自身の影響力を拡大して行きながら民族的抑圧と帝国主義的侵略戦争を強化している。

 

反テロを口実とした米帝国主義のイラク侵略で、イラクは大量虐殺の阿鼻叫喚の場と転落したし、米帝国主義は、大量殺傷武器を消費する新しい侵略対象を作り出す為に血眼になっている。20世紀に大災難を招来した民族主義と人種主義は再び猛威を奮っている。

 

資本主義的生産関係が持続する限り、利潤創出と資本蓄積があらゆる物事に優先する限り、人類が成し遂げた偉大な成果は、人類の発展の為の手段となる出口を探す事が出来ないまま、正反対にますます広範な自己破壊と野蛮化の手段となるだけだ。

 

社会主義か野蛮かと言う、20世紀初半に人類に提起された問題は、現在に至り一層切迫した問題となっている。

 

人間らしい人生を実現し、野蛮から解放される為の社会主義への前進は、少しずつ一層切迫した人類生存の問題となっている。

 

 

4、社会主義運動は、新しく高揚している。

 

 

4-1 20世紀後半に発生した‘現実社会主義’の分解は、ロシア10月革命の変質に根を置いたもので、この分解は2重の意味で解放に向かう運動、社会主義運動に、甚大な打撃を加えた。

 

‘現実社会主義’が、半世紀以上にわたり自らを社会主義として表現してきたし、大衆的な対案的社会主義運動が不在であった為に、‘現実社会主義’の分解は、大衆達には社会主義体制の分解として認識されたのであり、それゆえ、社会主義に対して、資本主義が歴史的に勝利したとして、認識された。

 

その結果‘現実社会主義’の分解は、資本主義を克服する事が出来ると言う資本主義ではない新しい世の中が可能だとする労働者、民衆の自信感に甚大な打撃を加えた。

さらに、‘現実社会主義’の分解は、労働者、民衆に対する資本の逆関係を資本に極めて有利に変化させるものとして、制約無く、一層新自由主義攻勢を強化する様にしたし、帝国主義勢力に対する牽制力を弱化させ、帝国主義勢力をして、第3世界の民族と民衆に対する帝国主義的覇権政策と侵略戦争を更に露骨化する様にした

 

この様な事情で、社会主義運動は全世界的に、歴史的な後退を強要された。資本家達とその宣伝家達は、資本主義を克服する体制は存在する事は出来ない為に、資本主義と自由主義が歴史の最終発展形態だと言う‘歴史の終焉’を豪語するだけでなく、社会主義運動の中でさえ、全世界的に清算主義的潮流が支配し、社会主義運動を内部から攻撃し解体しようとした。

 

しかし、この歴史的後退は、たとえその深さ規模が甚大なものだったとしても、社会主義運動の歴史と未来と言う観点から見たとき、極めて制限的意味以上を持たない。

即ち、この歴史的後退は、20世紀初盤に既に形成された、資本主義から社会主義への移行の時代―社会主義革命の時代を、過去に引き戻す事にはならない。

 

これは、フランス大革命が敗北して一時的に反革命勢力が有利になったが、それが、ブルジョア革命の時代を引き戻す事が出来なかった事、ブルジョア革命運動は断える事無く継続された事と同じなのだ。さらに、この歴史的後退は、決して、社会主義を生むのは或る架空の共産的理念ではなく、矛盾に満ちた資本主義であって、現代資本主義はその矛盾が高度に深化された資本主義と言う事実、人間は資本が作って置いた枠に、いっときも宿命的に屈服せず、これを抜け出そうと言う要求と、衝動を止めないと言う明白な事実を決して否定する事は出来ない。

 

既に20世紀の終わり10年と、21世紀初盤の現実は、これを生き生きとした事実として立証してくれた。資本の、労働者・民衆に対する絶える事なく強化される攻勢、邪魔なく敢行される帝国主義的侵略戦争は、全世界の労働者、民衆の命と平和を乱暴に威嚇し蹂躙したのであり、これがますます累積しながら、資本に対する労働者、民衆の抵抗と平和の為の闘争が全世界的に再び高潮しはじめた。

 

1995年フランス公共部門の労働者罷業、1996〜1997韓国労働者の総罷業、1999年シアトルでの闘争、米帝国主義のアフガンスタン侵攻以後、展開された反戦闘争の急速な高揚、帝国主義と新自由主義に反対する南米での引き続いた左派政権の登場は、この様な抵抗と闘争をよく示してくれる。

 

資本家達と、彼等の協助勢力である改良主義者、清算主義者達の主張と異なり、社会主義運動は、資本主義に歴史的最終的に敗北したのではなく、大衆的な抵抗と闘争の中で新しく自身を整備し、高揚されている。

 

実際に敗北したのは社会主義ではなく、社会主義を歪曲したスターリン主義的社会主義体制、表面的には社会主義を標榜したのだが、実内容では、官僚が支配する共同生産体制に過ぎなかった類似社会主義体制だっただけであり、労働者階級の自己解放運動である社会主義運動は、一時的な歴史的後退の後、新たに高揚されはじめている。

 

 

4-2 新しく高揚している社会主義運動が、資本主義を克服し新しい社会を実現しようとする大衆的熱望を充足させる為には、自身を革新、現代化しなければならない。ここに革新と現代化の核心を成し遂げる事は、‘現実社会主義’の失敗から教訓を引き出して、これを自己のものとする事、生態、女性、少数者問題など、現代社会で新しく提起された新たな、生きることの様式(良識?−訳注)に対する問題意識を、能動的に受容すること、スターリン主義によって歪曲されたマルクス主義を復元することだ。

 

 

4-2-1 人間解放運動としての社会主義運動

 

 

新しい社会主義運動は、人間解放運動としての自身の固有な本性を復元させ全面化する事から始めなければならない。社会主義運動の本来の究極的目標は人間解放だった。これは、‘労働者階級が、同時に社会全体を、搾取と抑圧と階級闘争から永遠に解放しなくては、自身の解放を成し遂げる事は出来ない’と言う立場で、すでに表明されたものだ。社会主義運動は、階級的抑圧、民族的抑圧、性的抑圧など一切のあらゆる抑圧に反対する人間解放運動だ。

 

生産手段の社会的所有、労働者国家の樹立は、この為の必須不可欠な主要な手段であるだけであり、それ自体が目標であるのではない。

 

新しい社会主義運動は、自身の固有な本性と偉大な目標を、理論的、実践的に徹底して復元させ、全面化しなければならない。これは、経済主義、主体が欠如した構造主義と客観主義などに、矮小するまま矮小する現実の社会主義運動の地平と展望を、画期的に拡張することを可能にするだろう。

 

また、人間解放運動としての社会主義運動の復元と展望は、女性問題、少数者問題など、現実から新しく提起されて来た問題意識を、社会主義運動が積極的に受容することが出来るようにする方法論的枠となる事が出来る。

人間解放運動としての社会主義運動に対する再認識は、人間と人間の間に、互いをいたわり、互いを高揚させる文化を形成していく文化革命運動の重要性を認識する問題意識へ拡張されなければならない。

 

文化革命の問題意識は、人間の間の関係だけでなく、自然に対する人間の態度にでも拡張され、人間と自然の関係は、収奪の関係でなく自然の産物であると同時に自らも自然の一部である人間が、自然全体と共存する関係とならなければならないと言う問題意識に拡張される必要がある。

 

‘更に多く消費すること’‘この為に更に多く労働し、生産する事’が、人生の目標でなく、人間の間の疎通と連帯の拡大、自然である人間が、自然と有機的に統一され共存する事が、人生の目標とならなければならない。

 

 

4-2-2 民主主義の、深化発展としての社会主義

 

 

‘現実社会主義’(過去のソ連・東欧。今日の中国などの社会主義国家。レオン・トロツキーは、これを「堕落した労働者国家」と規定した。―訳者注)の経験は、労働者民主主義の発展なき生産手段の国有化は、社会主義、共産主義社会の発展ではなく、官僚が支配する協同生産体制のみをもたらすだけと言う点を見せてくれた。

 

労働者民主主義の発展なき生産手段の国有化は、“各自の自由な発展が、全体の自由な発展の条件となる連合体”に発展する社会ではなく、労働過程は官僚的専制の下に置かれて、党と国家、特に、党が自立し、社会全体に君臨する社会を作り出した。

 

その結果、支配・被支配関係の抑圧、疎外は、新しい形態で新たに出現したのであり、全体主義的野蛮が発生し、労働者・民衆は、名目上の主体であるだけの、支配と抑圧の対象に転落した。

 

社会主義は、民主主義の深化発展の中でだけ、発展する事が出来るのであり、労働者民主主義の変質は、直ちに社会主義の失敗に繋がる。如何なる勢力も労働者階級に代わり、代理して、社会主義を実現する事は出来ないのであり、労働者階級の解放は、労働者階級自身の行為とならなければならないし、民主主義闘争の中で、自治能力を発展させて行く労働者階級と民衆だけが、未来の社会主義社会を実現する事が出来る。

 

労働者民主主義の発展と、変質の防止の為には、コムミューンとソビエトの経験から、部分的に現れた労働者統制を、全面的に発展させなければならないし、労働者たちの直接的な参与を絶えず拡大して行かなければならない。これだけが、自分達を代表する者達が、労働者達から分離独立して背信する事を食い止め、労働者自らが社会管理の主体に乗り出すようにする事が出来るのだ。

社会主義運動が、今後、こんな過程をどれだけ豊富に実践していくのかに、未来の社会主義の成功と発展がかかっている。

 

 

4-2-3  生産と流通に対する意識的統制  

 

 

‘現実社会主義’の指示的、命令的経済体制の代案として、(ソ連・東欧の)分解以前に提示された市場社会主義は、新しい社会主義の代案となることは出来ない。市場社会主義は、官僚たちの官僚主義的代案であっただけだ。

 

中国で、社会主義市場経済が持ち込んでいる破滅的な結果は、これをよく見せてくれる。

 

資本主義の矛盾は、単に、生産手段の私的所有にだけあるのではなく、商品生産、市場の為の生産にもあるのであり、資本主義を克服する社会主義は、このすべてを克服するものとならなければならない。商品生産は、生産と流通が生産者によって統制されるのではなく、正反対に、生産者たちがこれに支配される問題を惹起する。

 

新しい社会主義は、労働者自主管理体等が市場を通して結合するのでなく、民主的な計画を通して結合することとなる。20世紀後半に成し遂げられた情報通信技術の飛躍的発展は、民主的計画を過去と比較し一層容易なものにして置いた。単に、商品生産と市場は、生産と流通に対する意識的統制が確保される範囲で、副次的に活用されることが出きるであろう。

 

 

4-2-4           労働者国際主義(プロレタリアインターナショナリズム)

 

 

‘現実社会主義’の失敗での教訓からだけではなく、19世紀、20世紀と比較することが無意味である位に、情報通信技術の発達により現代に高度に進行された資本と市場の世界化によって、労働者国際主義は、社会主義革命の死活的問題となった。

 

社会主義革命は、一国,或いは数カ国で始まる事が出来るが、全世界的範囲で労働者階級が勝利しない限り、決して勝利することは無い。

孤立された一国単位の革命は、高度に世界化された資本主義世界体制に包囲され、資本主義への復帰を強要されるだろう。新しい社会主義運動は、この教訓を徹底して実践に反映しなければならないし、労働者階級の国際的連帯を行動で実践しなければならない。(続く)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      


                                                                                                                  

(訳 柴野貞夫 2009年12月19日)