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・ 世 の歴史



 日露戦争の世紀ー連鎖視点から見た日本と世界 (岩波新書) 著者 山室信一

まず山室氏は、この著作の意図を「日露戦争を通して、近代日本が世界史の流れとどの様につながって来たのか、それがアジアと欧米との間で如何なる亀裂を生み出してきたのかを明らかにしたい。その為には、連鎖という視点をあえて意識することにより日露戦争をめぐる事象の中で、政治・文学・絵画・歌などが世界的つながりの中で見えてくる。」そして、「歴史になじみの薄い方にも人間社会の多様性に触れられる。」ところにあると記述している。」 また、日露戦争が東北アジア地域(中国・朝鮮)での日本・ロシア・欧米間の植民地支配をめぐる戦争であるが、その規模と世界を巻き込んだ政治的・経済的・文化的影響の意味において、”20世紀最初の世界戦争”であるとする見方は著作の意図を明確にする上での一つの視点になっている。 では著者は”日露戦争”と世界の関わりをどのように位置付けているのか要約すると、”日露戦争が柵封体制に固執する野蛮国清朝に対する義戦であったと同様に、日露戦争もまた「”日清戦争が柵封体制に固執する野蛮国公法に基ずく立憲国家のやむなき戦争”であると世論を組織し、それが欧米植民地支配に苦しむ他の地域の人々に、ある種の希望を与え日本が知の結節点であるかのように受け入れられた。しかし日露戦争後、満州の植民地支配・韓国併合の過程で、日本という国がもはやアジアの抑圧民族にとって希望でも模範でもなく、革命へと向かう中国こそが知的結節点であり、独立運動の拠点となった。」と述べている。 また戦争が生み出す社会のあらゆる分野の様相や事例が紹介されていることは、歴史への興味をかきたてるだろう。”臥薪嘗胆”が世論を動員するスローガンとして利用されたことや、シベリア鉄道が”イギリスのバクスブリタニカへのロシアの挑戦となり、世界の秩序の変化を生みつつあった”と言う表現も面白い。

 著者はその終章で、日露戦争を通して国家が国民とメディアを国家主義に統合して行なった歴史が、今また繰り返されようとしていることに警鐘を鳴らしている。「戦争しかも徴兵制という国民皆兵体制下における戦争はその体験が社会全体を覆うものであるだけに記憶の共有による一体感を作り出す契機となる。日露戦争はその勝利とそこでの軍人の活躍が、”国民国家”日本の国際社会での地位の高まりと重ね合わせて、心地よい”国民物語”になりやすい。」 しかし一方で、日露戦争前に生まれた非戦論が「激しい非難や家族にも加えられえた迫害にも関わらず、世紀を通じて絶えることはなかったが、日露戦争から第2次世界大戦に至るまで、メディアは必ず主戦論を煽り、非戦論を貶めて読者を増やしてきた。60年を経て同じ誘惑に駆られつつある。」そして今、その”非戦論の思想的伝統”と多大な犠牲者の上に実現した憲法9条(1項・2項)が貶めようとしていると。私も同感だ。しかし、著者の真意を読者に伝える為にも敢えて2つの問題点を指摘したい。

 1つは、日清・日露戦争が”軍事力によって植民地支配を迫る侵略者日本”と指摘する一方で、度々”欧米の植民地支配下で苦しんでいた人々に希望を与えた事は紛れもない事実です”と記述するが、日本がアジアの”解放者”という擬似的姿によって人々を惑わしたことはあっても、”希望を与えた”ことは絶対に有り得ないのである。何故ならこのような表現は、日本帝国主義的蛮行があたかも”2面性”を持つ物として言葉が一人歩きはじめる。好い面もあったし、悪い面もあったと。著者の本意では決してないだろう。しかしよくない表現は、日本天皇制国家のアジアへの暴力と支配の時代を肯定的に”明治の英雄の時代”として描き、日中戦争と第二次世界大戦の軍国主義者も”自存自衛”のために戦った”昭和の英雄”であるとの評価へとつながっている。靖国神社の遊就館図録には”近代国家成立の為、わが国の自存自衛の為、さらに世界的に見れば皮膚の色とは関係なく、自由で平等な世界を達成する為避け得ない戦い”が日清・日露・日中戦争であったとする、所謂、靖国史観が憚ることなく叫ばれている。21世紀、アジア各国の経済的・政治的発展の中で日本の相対的発言力の低下をアメリカとの同盟強化で乗り切ろうとすれば、異常な軍事国家アメリカと軍事的にも一連托生となり、憲法を改悪して海外でアメリカの同盟軍として戦争を仕掛けることも厭わない。そのため国民の新たな国家主義的統合を図ろうとして、この靖国史観を日本の美しき時代の歴史として評価せよと極めつけの国家主義者である安倍晋三が登場してきた。この日本のヒットラーともいうべき人物は、ついこの間まで”日本の前途と歴史教科書を考える若手議員の会”の事務局長として従軍慰安婦・強制連行・南京虐殺は教科書から外すべきであると激しく運動していたし、北朝鮮のミサイル基地を先制攻撃する権利があると主張するブッシュそこのけの好戦主義者であることを忘れるべきではない。

 少し横道へ逸れたが二つ目に著者は、日清戦争で略奪した台湾の植民地経営において後藤新平が”武断的強圧的統治より、効率的な”民情”に即した支配の為に歴史学者や研究者を集めたが、それは日露戦争直後、満鉄調査部へと引き継がれ”日本のアジアに関する学知は、日本統治領域の拡張とともに中国本土からインド・イスラムまでそのフィールドワークを拡大した”と満州植民地経営のシンクタンクについてかなり無批判的に記述している。しかし、この満鉄調査部に集められた東洋史学者の主流学説である”アジア停滞論”は、中国や朝鮮には自らの力では近代化は成し得ないし、近代化に日本の力が必要であるとして日本政府の植民地支配を支える”学問的裏付け”となった事実を明確にしておかなければならない。しかし、全体として過去の歴史は現在に働きかけ、歴史は現実を見る鏡であることを著者はこの書を通して明らかにしているだろう。                                   (柴野貞夫)