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 韓国・ハンギョレ 2006921日付)



        ハンナラ党はクーデターの郷愁からどうして抜け出せないのか


ハンナラ党など、いわゆる保守と自任する勢力たちが浸っている思い出がある。どうかすると、公然とぶちまける話である事もある。クーデターの郷愁がそれだ。それが市民の成熟した民主意識と軍の政治的中立の為の努力を軽んずる事だと確かに分かっているのに、そんな事を見れば反民主性が体質として身に付いているような感じを受ける。
外から飛び込んで来たクーデターの郷愁が、今ハンナラ党の真中から出てきた。ユギジュンスポークスマンは、23日前の論評で”タイのクーデターを他人の事としてだけ、心にとどめる事でない。ノムヒョン政権は、タイのクーデターを他山の石として見なさなければならないと言った。タイのように、クーデターが出たら気をつけろというわけだ。ハンナラ党は、現政権に対する痛い忠告だと言い逃れたが、どうしてクーデターまで突き出すことがあるのだ。516クーデター(注@)、維新クーデター(注A)、1212軍事反乱(注B)から518戒厳拡大に(注C)至る新軍部クーデターと、それに基づく憲政破壊と人権蹂躙、不正腐敗を経験した国民に対する許す事の出来ない脅迫である。
わずか2年前、弾劾政局時(注D)にキムヨンソ梨花女子大学教授は、予備役将軍と前職国会議員たちを相手にクーデターを扇動する発言をした。”正常な手続きを踏んで成立した左翼政権を打倒して、自由民主主義体制を復元する方法には軍部クーデター以外の他の方法がない”と言うのが要旨だった。戦役者である団体が中心となった国民行動本部も声明で”このような反逆勢力を検察・警察が取り締まらないのなら、我々国民が最後に頼るところは国軍だけだと主張して、チオカムジェ氏は”抵抗権を行使する事が出来る国民の中には軍民も含まれる”と主張した。
ユギジュンスポークスマンの論評は、こんな認識と脈を通じている。無論、タイのタクシン首相は退任する事こそ相応しかった。タクシン一家のびっくり仰天する不正・腐敗、憲法を無視した権力移譲の詐欺劇の類は許す事の出来ない事だった。そうなんだと軍が進み出る事はなかった。民主的手続きが崩壊すれば、民主主義は互解して物理的な力が支配的原理として登場する。クーデター勢力が最も初めに、そして最も長い間国会の機能を停止させる事はクーデターの反民主制を象徴する。ところで、すぐその国会の中から公党のスポークスマンがクーデターの可能性を言及したのだから言うべき言葉もない。党代表が5共安企部(注E)で育ち、前党代表が維新の娘さん(注F)なのでこうなのか?
ハンナラ党は憲法上の手続きを破ったと言う理由で、憲法裁判長の同意を拒否した。そうであるのに、憲政破壊を本質とするクーデター発言を黙認しようとする。そんなことで、民主主義の守護責務とする公党だと言えるのか。
                                                         (訳 柴野貞夫)
(注)
@ 「516クーデター」 19604月革命(不正選挙に抗議した学生運動において全国で200名の学生が殺された)によって、李承晩政権が打倒された後、1961516日の朴正煕政権のクーデターである。
A 「維新クーデター」 197210月、朴正煕は、国会の解散・政党活動の禁止、"維新憲法”によって選挙抜きの大統領となった。この間、独裁政権は民生学連事件・人民革命党事件(処刑者8名)等、民主化運動への血の弾圧を繰り返した。
B 「1212軍事反乱」 19791212日、朴正煕が側近に射殺される。その後、全斗換による軍事クーデターが起こる。
C 「518戒厳拡大」 1980518日、全斗換は非常戒厳令を拡大した。全羅南道・光州では、市民・学生の反独裁民衆抵抗に対して2万の兵士(米軍第20師団を背後に控えさせていた)による徹底した見せしめ弾圧が行われた。500名以上が殺される。
D 「弾劾政局」 20044月、南北融和・日帝支配・軍事独裁・朝鮮戦争等、過去の犯罪究明と民主化を進めるノムヒョン大統領に対して、国会の多数を占める”ハンナラ”を中心とする保守野党は、「経済破綻」「不正』等を理由に大統領弾劾を行った。しかし直後の国会議員選挙で、少数与党のウリ党が49名から193名の過半数を占めた。
E 「5共安企部」(第5共和国国家安全企画部) 1961年に設けられた民衆を弾圧する秘密警察・KCIA(韓国中央情報部)が、1980年に改組「国家安全企画部」となった。総数30万人と言われる。
F 「維新の娘さん」 1961年から1971年まで、ファッショ軍事独裁政権・大統領、朴正煕の娘・朴槿恵を指す。昨年、次期大統領を担う為、ハンナラ党の党首を辞任した。

(解説) 

以上の社説は、2006921日付の韓国・ハンギョレ新聞(同朋と言う意味)が、同年9月に起こったタイの軍部クーデターの直後に書かれたものである。守旧派最大野党「ハンナラ」(一つの国と言う意味)のスポークスマン、ユギジュンが現ノムヒョン政権に対し、「タイの軍事クーデターを他山の石とせよ」と自国の軍部クーデターを期待するかの如く論評した事に対し、厳しく批判したものである。ハンギョレ新聞は、最後の軍事政権であったノ・テウが民衆運動の高まりの中で、19876月「民主化宣言」を行い、民衆の諸権利を大きく認めざるを得なくなった時期、19885月軍事独裁時代に追放され、弾圧を受けた言論人を中心に、”国民株主”27000人によって「権力と資本から独立」する新聞として創刊された。しかし、ここに取り上げられた社説からもうかがえるように、韓国社会は未だに不安定な状況が続いているのである。軍事独裁時代を引き継ぐ守旧の潮流と世論が、息を吹き返す可能性を持った社会でもある。軍事独裁時代、「朝鮮日報」「中央日報」「東亜日報」の三大紙は、権力と癒着、権力の言論紙として拡大を遂げて、今日も韓国の右からの世論形成と資本の代弁人として読者を煽っている。しかし、我々は今後、”ハンギョレ”以外にもこの保守言論の主張及び、北朝鮮の「労働新聞」と「民主労働党」のブレティンも、現代韓国・朝鮮を理解する資料として紹介していく予定である。(訳者)