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(韓国ハンギョレ紙 2009年5月23日付 社説)

http://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/356552.html

 

 

 

(ノ・ムヒョン前大統領の死)

 

 

何よりも‘政治検察’の責任が大きい

 

 

 

 

 

ノ・ムヒョン前大統領の自殺を契機に、検察に対する市民達の非難が堰を切っている。ノ前大統領の逝去の便りが、伝えられた後の大検察庁のヌリジップ掲示板‘国民の声’には、検察捜査を糾弾する民声が大きく沸き上がっている。非常に多くの人が、接続して文を挙げ、読もうとする空気に、サーバーが麻痺されるありさまだ。こんな現象は検察が、ノ・ムヒョン前大統領捜査で、国民的信頼を完全に失ったと言うことを見せてくれる。

罪があるなら、前職大統領でなく現職大統領であっても、法が決めた手続きによって調査し明らかにしなければ以外ならない。そして、罪が確認されたら、それに適応する罰を受けなければならない。それが民主主義であり法治である。この点で、ノ・前大統領がパク・ヨンチャ、テガン実業会長から、金を受けて海外事業などに対する便宜を受けたと言う嫌疑(包括的賄賂授受)について、検察が捜査をしたこと自体を問題視する考えは無い。

 

 

しかし、検察は捜査過程で、幾つかの、とても大きい間違いを犯した。最も大きい事は、捜査を間違ったか、それとも上の指示によった事なのか分らないが、捜査方向を徹底して‘ノ・ムヒョンを苦しめる事’に引きずって行った点だ。少なくとも、多くの人にそんな印象を与えた。

ノ前大統領を、先月30日召還捜査しても、ひと月近く起訴の当否も決定せず、ずるずる引きずったことが代表的な事例だ。その間、検察は、前職大統領ほどの人物を捜査する場合には、捜査の終わりの順序で呼ばれ、調査し、その後で敏速に身辺処理の方針を決定してきた。それが、慣例だった。礼遇であったら、礼遇であった。

しかし、今回では、全く違った。身辺処理をだらだら引き延ばし、前大統領の夫人、息子娘、婿などに対する捜査強度を高くし、ノ前大統領を圧迫した。その過程で、被疑事実の公表禁止原則のようなものは、意に介する事もなかったし、時時(じじ)コールした嫌疑の事実まで、日々中継する様に暴いた。どんなにか大変だったために、ノ前大統領が最後の道を行きながら短く残した遺書まで、“私によって、多くの人が受けた苦痛が、あまりに大きい。”と、絶叫したのだろうか。

 

 

更に検察は、パク・ヨンチャ事件を捜査しながら極度に平衡性を失った姿を見せた。ノ・ムヒョン前大統領一家とその周辺の人には、ひそかにかれらをつかまえる様に、さぐって過失を暴いたり、暴き出そうとした。反面、現政府と関係ある人や自分の家族には、限りなく寛大で、緩んだ態度を見せた。

 

チュウ・ブギル前青瓦台広報企画秘書官が、パク・ヨンチャ氏から税務調査の請託を受けて、イ・ミョンパク大統領の兄であるイ・サンドゥク議員に、電話をした事実を把握しても、最初からこの議員を捜査対象から排除した。また、イ・大統領の友達であるチョン・シンイル高麗大交友会長と関連しても、ずっと前から大変具体的な連座疑惑が出てきたが、捜査を後回しし、遅く均衡にあわせ、自分のものに引きずり込むと言う印象を与えた。

 

自分の家族である検事らの場合には、呼んで調査すると同時に、‘金を受けても、業務関連性がなく、処罰が難しい’と言う、免罪符を与えた。イム・チェジン検察総長、ホン・マンピョ捜査企画官、イ・インキュ中央捜査部長、など、今回捜査の核心である者たちは、巷間に起こっている「政治捜査」、「不公平捜査」の疑惑に対して明白に説明する責任がある。

 

今回、捜査の始まりは、昨年7月、庁長官の再任を目差すハン・サンリュル国税庁長の、テグアン実業特別税務捜査と、その結果の青瓦台(大統領官邸)の報告だったと言う。検察は、これを助けに来る3月からノ・前大統領を狙う捜査に本格着手した。捜査の展開を見るとき、ノ・前大統領を気に入らないと考えてきた青瓦台核心の意中が、反映されたと言う以外に、見る他はないのだ。政治検察も問題だが、この真実に、検察を政権の下手人の様に使おうとする権力者の考えも変えなければ為らない。

 

 

(訳 柴野貞夫 2009年5月24日)