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(韓国民衆言論 ハンギョレ紙 2010・9月2日付)

http://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/438146.html

 

 

 

クレッグ(前駐韓米大使)“トンキン湾事件を連想・・官民合同調査団報告書を(韓国)政府は公開しなければならない。”

 

 

<ハンギョレ>とのインタビュウで、

 

“ロシアの天安艦調査活動を韓国が妨害した。”

“当時の情況で見るとき、北韓が攻撃したと言うのは理解できない。”



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△写真上、ドナルド・クレッグ前駐韓米大使


 

さる1日、<インターナショナルヘラルドトリビューン>寄稿を通して、ロシア政府がイ・ミョンパク(李明博)政府との関係を考慮し、自身の調査結果を発表しなかったと明らかにした、ドナルド・グレッグ前駐韓米大使(現コリアソサエティ会長・83)は、2日(現地時間)<ハンギョレ>と行った電話インタビューで、天安艦事件がベトナム戦争の拡戦の契機となった‘第2のトンキン湾事件’となるのを憂慮した。

クレッグ前大使は、“韓国政府は報告書の内容を完全に公開せず、客観性が立証されなかった。”と指摘した。

 

 

次は、クレッグ前大使との1問1答。

 

 

―ロシア調査団が(魚雷攻撃ではなく、機雷爆発によるものだと言う)結論を出した根拠は?

 

“ロシア調査団の結論は暫定的なものだ。彼らは(韓国の)合同調査団の調査結果に近づけなかったし、これを土台にした仮想実験も出来なかった。”

 

―そうであれば、ロシア調査団の結論は不確実なものではないのか?そうであっても、機雷と言う判断はどうして出て来たのか?

 

“(合同調査団の発表に従えば)チョナン(天安)艦は、魚雷発射によって発生したバブルジェットによって、一度に二つに切断され沈没した。北韓の事情をよく知るロシアは、北韓がこんな水準の高性能武器制作能力が無く、保有する事もないと判断した。”

 

―ロシア調査団は、調査過程で韓国政府の助力を受けなかったのか?

 

“ロシアは、望んだ資料に近づく事が出来なかったし、実験も許されず調査を進めることが出来なかった。中国調査団が韓国に行かなかったのもこの為だ。”

 

―一部韓国政府の関係者達は、中国がチョナン艦(事件の)調査をしない理由に対し、非公式の席で‘真実を知ることを望まない為’だと語るが。

 

“今週に、2名の中国高位級関係者からこのような話を聞いた。‘ロシア側から、韓国に行ってもどんな情報も得る事が出来ないので、調査チームをソウルに送る必要もないと言う忠告を受けた。’とし、中国は助言に従った。”

 

―あなたも、チョナン艦沈没原因が北韓の攻撃でなく事故だと考えるのか?

 

“分らない。しかし、当時、北韓は3次南北首脳会談を提案したし、北―米対話を推進中だったのであり、金大中前大統領夫人、イ・ヒホ(李姫鎬)氏のピョンヤン訪問を招請した状態だった。その状況で、チョナン艦沈没であらゆる状況を自ら覆すと言うのは考えられない。”

 

―合同調査団報告書を信頼しないのか?

 

“韓国政府は、報告書の内容を完全に公開しない。だから、客観性が立証されなかった。私が気がかりにするのは(韓国政府が)‘合同調査団の報告書は機密だ。我々はこれを話す事は出来ない。’と言うやり方で、自身を防御することだ。その場合、真実は我々を巧妙に避ける。ベトナム戦拡戦の契機となった1964年トンキン湾事件を連想させる。韓国政府は、合同調査団報告書の全ての内容を皆に公開し、チョナン艦沈没原因を誰も正確に知る様にしなければならない。”(トンキン湾事件は、トンキン湾で作戦遂行中だった米駆逐艦が、北ベトナムから魚雷攻撃を受けたと言う主張で、米国の本格的なベトナム戦介入の契機となった。その後、ベトナム戦介入のための米国の捏造<フレームアップ>であった事が明らかになった。)

 

クレッグ前駐韓米国大使は、さる73~75年、米国中央情報局(CIA)韓国支部総責任者として縁を結んだあと、89~93年、駐韓米大使として勤務した。クレッグ前大使は、金大中前大統領の73年の拉致事件、80年新軍部(チョン・ドファン<全斗煥>軍事クーデター政府―訳注)による(金大中に対する)死刑宣告当時、二回も、米政府を通した救命運動を繰り広げるなどキム前大統領と格別な因縁を結んで来た。(ワシントン、クォン・テホ特派員)

 

 

‘知韓派’ドナルド・クレッグはどんな人?

 

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△写真上 金大中大統領が2006年12月7日ソウル・ホンウンドン(弘恩洞)グランドヒルトンホテルで開かれた、ノーベル平和賞受賞6周年を記念する‘韓半島平和の夜’行事で、ドナルド・クレッグ・米国ソサエティー会長からペンプリート賞を受けている。(キム・ジョンス記者)

 

 

ドナルド・クレッグ前駐韓大使は、米国内の代表的知韓派人物だ。1951年米国中央情報局(CIA)情報員として社会生活を始めたクレッグ前大使は、1973~1975年、CIA韓国支部総責任者として韓国と因縁を結んだ。彼はその後、1989~1993年駐韓米大使館大使として、韓国と新たな因縁を結ぶまで、米国国家安保会議委員(1979~1981)と、ロナルド・レーガン大統領安保担当補佐官(1982~1988年)として、引き続き情報と安保部門で経歴を積んだ。

 

クレッグ前大使は、特に金大中前大統領と因縁を結んでいることで良く知られている。クレッグ前大使がCIA韓国支部長として在任したのが契機だった。当時クレッグ支部長は、金大中拉致事件が韓国中央情報部(KCIA)によって起こったものだと結論を下し、当時ハビブ駐韓米大使ととともに、力を費やした。金大中前大統領が、拉致13日ぶりに生還することが出来たのは、日本政府の努力とともにクレッグ前(CIA)支部長の努力が大きい役割をしたものとして評価される。クレッグ前大使は又、1980年5・18光州民主化運動の後、金前大統領に死刑宣告が下された時も、ロナルド・レーガン大統領の特使として韓国に急派され、金大中救命運動をした。




(訳 柴野貞夫 2010・9・9)