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(韓国・「労働解放実践連帯」HPより、 社会主義綱領草案検討資料2011・1・1

http://www.hbyd.org/freeboard/11798

 

 

Political Revolution or Counterrevolution―Whither China?

Published: 1917 No.31 (April 2009)

 

 

中国は、どこへ行く?

 

 

政治革命と反革命の分かれ道

 

(連載その1)

 

 

 

 

[労働者民主主義の組織(評議会)を欠き、国際主義と世界革命を放棄して、一国社会主義の道を歩む中国共産党官僚は、世界資本主義市場に一層組み込まれた奇形的労働者国家として存続している。しかし、社会主義を標榜する過渡的国家としての中国が、世界市場の中で、社会主義を目指すその社会的経済的基盤の矛盾は深刻である。

 

一方で、より完全な生産手段と土地の私的所有を要求し、全面的な中国の資本主義市場化を狙う資本家勢力の台頭と、それと呼応した、「2008宣言」を通して1949年中国革命の成果を公然と否定する反革命政治グループの群れ(2008年、劉暁波を中心とする「08憲章」は、“中国内戦を通して民族主義者らに対する共産主義者らの勝利は、国を全体主義の奈落に落とした”とし、中国革命の歴史社会的成果に対する反革命宣言であり、資本主義復活宣言であった。)

 

他方で、私的企業の増大と外国資本の流入の中で、「社会主義中国」の本来の主人公であるはずの、中国の9億の農民階級と4億の都市プロレタリアートの、進行する生活と権利の簒奪に対する階級的不満の拡大が進んでいる。彼等の階級的利害は、資本主義の復活ではなく、中国革命の社会的成果の防衛とその貫徹、さらには、中国労働者国家の真の労働者民主主義の確立にある。

 

中国共産党官僚は、この二つの勢力からの圧力の中で苦悶している。

資本主義反革命の右からの圧力と、中国プロレタリアートと農民階級による左からの圧力からの。

 

真のマルクス主義者=トロツキー主義者は、中国労働者国家の矛盾した姿にも拘わらず、今日もなを、資本主義が復活した国家と規定することはできないと考えている。帝国主義世界市場化から無条件に防衛しなければならない労働者国家である。もし、中国において資本主義が復活すれば、広大な中国市場をめぐって、米帝国主義と日本帝国主義の衝突をはじめとする、世界の帝国主義勢力の血なまぐさい市場分割戦争が引き起こされるであろう。それは、何よりも、1949年革命の成果を実現しなければならない中国プロレタリアートに、更なる悲劇的災禍を招来させるであろう。

 

この、韓国・「労働解放連帯」によって訳された、米国のトロツキー主義者による中国労働者国家論は、極東アジアの情勢のみならず、今日の世界の階級情勢をとらえる上で、我々に多くの示唆を与えてくれるであろう。韓国語からの訳文のため、不十分な点があるかもしれないが容赦を願いたい。]

 

(全訳3588字になるので、3回に分けて連載する。-訳者)

 

 

 

 

(本文)

 

米国トロツキー主義の歴史的指導者・ジェームス・キャノンは、1939年に次の様に語った。“ロシア問題は、即ち革命の問題だ。その問題を真摯に扱わなければならない。軽薄に扱っては駄目だ。(<労働階級政党のための闘争>)”

中国問題は、今日の革命家たちが、即ちこの様な態度で扱わなければならない問題だ。

過去30年間(中国において)進行された‘市場化’は、資本主義的(或る場合には、甚だしくは前資本主義的)搾取を、中国労働者に強制した。これは、多くの左翼運動家達をして‘中国共産党の官僚達は、それ自体で新しい支配階級となったのであり、中国の‘赤い資本家に変貌した’と結論付ける事とした。

 

中国共産党の検閲と、西側言論の印象主義的ニュース編集は、中国社会の性格に対する広範な混乱を形成することに寄与して来た。中国の広大である事と多様性は、最近の変化を理解する事を一層複雑にする。産業化ブームが起こっている南東部と、勢いが無くなっていく北東部、そして相対的に低開発で孤立された西部地域の間には、大きな地域的偏差が存在する。さらに、同じ地域の省の間や、同じ省内の諸都市の間、そして、甚だしくは同じ都市の村の間にも大きな格差が存在する。例えば、集団農業の生産が維持されている湖南省の温暖地に、村は生産企業らが依然として、毛沢東が1950年導入した‘生涯雇用’を労働者達に提供している。しかし、他の湖南省の村にある、国有化されるとか集産化された諸企業の大部分は、殆んど完全に私有化された。

 

究極的に国家の階級的性格は、その土台を成している生産の社会的関係に基礎をなす。1949年の中国革命は、スターリン治下のソ連をモデルにし、官僚的であって奇形的な労働者国家を建設して行った。外国と国内資本を広範囲に没収しながら、民族的に孤立した‘社会主義’中国に向かう経済自立政策を約束し、一方では階級共助(協調)政策を追求した中国共産党の上層部分に、政治権力が集中された。

 

中国が依然として奇計的な労働者国家だと言う主張が、過去数十年間進行されてきた中国共産党の政策が資本主義復活に向かう動因を蓄積して来たと言う事実を否定する事はない。その主張は、中国共産党の階級的性格、1949年の社会激変に現れた国家の根源とその発展、そして中国革命の未来に対する選択的診断である。

 

資本主義への復活、即ち、中国共産党の転覆と、土地、銀行そして国家所有経済部門の私有化を断行する政権への交代は、即時、労働者や農民が大部分である13億の中国人民に打撃を加えるだろう。

それはまた、他の労働者国家であるヴェトナム、北韓とキューバに、国際的な圧迫を甚大に加えるであろう。広大な中国市場の手綱が解けた外国資本への解放は、恐らく、反革命の戦利品の分配をめぐって、米国と日本、そして他の帝国主義諸国家間の無秩序であって危険な競争を触発する事となるのだ。

 

 

 

今日の中国問題

 

 

マルクス主義国際主義者達に、中国は長い間、重要な試金石となって来た。

1925~27年の第2次中国革命の血なまぐさい臭いの敗北を見て、レオン・トロツキーは彼の連続(永久)革命論を一般化した。トロツキーは、ツアーリ治下のロシアの様に、中国と他の後進諸国の土着資本家は、外国帝国主義と緊密に密着されており、従ってブルジョア民主主義革命を遂行するには、人民の抵抗を度外れて恐れると結論付けた。

 

“資本主義的発展が立ち遅れた諸国、特に植民地や、反植民地国で、連続(永久)革命は、完全で真正な民主主義と民族解放と言う事業の成就は、被抑圧民族全体の、何よりも農民大衆の指導階級としてのプロレタリアの独裁を通さないでは考えられない。”-レオン・トロツキー<何が連続(永久)革命なのか?>

 

 

1930年、毛沢東の指導の下、中国共産党はメンシェビキ・スターリン主義的な‘二段階’革命戦略を擁護した。この階級共助(協調)的戦略は、優先的に(蒋介石の国民党に代表される)いわゆる、‘進歩的’ブルジョア勢力との団結の段階である‘新民主主義’段階に向かう事を訴えた。それが搾取者[資本家]と、その犠牲者[労働者・農民]のすべてに、利益となると言うものだった。

 

社会主義的な‘二番目の段階’は、確定できない遠い先の日に延期された。

 

しかし中国社会を両極化した激烈な長期内戦の中で、中国共産党は、国民党との連合に対する考えを放棄せざるを得なかった。

 

1949年、中国共産党の農民軍は、遂に中国の重要都市に進撃し、蒋介石とその将軍達は大部分の大資本家達とともに、台湾に逃げ出した。中国共産党の勝利は、存在したブルジョア国家を粉砕したし、中国を帝国主義の束縛から解放させた。封建地主階級の資産は没収されたし、数百万ヘクタールの農耕地は貧農と中農達に分配された。都市では、‘官僚的なブルジョア’に属していた資産らが国有化されたし、国際貿易の国家独占が樹立された。同時に中国共産党は、労働運動の独立的政治行動を容赦なく抑圧したし、官僚的な中央集権的計画経済を樹立した。

 

中国革命は、蒋介石を支持した帝国主義者達を茫然自失にしたし、東アジアとその向こうの地域に、植民政策に反対する社会激変を呼び起した。革命は即時的に中国人の大多数に大きな進歩をもたらした。ほとんど、奴隷的に暮して来た女性達は、初めて社会経済的な人生を享受する事となった。読み書き教育が広範囲に遂行されたし、医療、住宅、教育と、その他社会の基礎サービスが大きい範囲で改善された。農業生産を発展させるのに必須の灌漑水路の作業が、大規模に達成された。革命前の35歳の平均寿命は、1970年代中盤頃には、ほとんど二倍の65歳になった。

 

1950年代後半の‘大躍進’運動の災禍の結果と、1960年代の‘文化革命’の混沌にも拘わらず、中国経済は持続的に成長した。

1950年と1977年の間に、産業生産は年平均13・5%に拡張された。それは、同じ時期、開発途上国や先進諸国中どんな国よりも高い数値だった。歴史家であるモーリス・メイスナーは、次の様に指摘した。

“毛沢東時期の産業革命がなかったら、毛以後に頭角を現した経済改革家達は、する事がほとんどなかっただろう。≪毛沢東の中国とそれ以後:人民共和国の歴史>”

 

レーニンとトロツキーが指導したボルシェビィキ革命と異なり、毛沢東の共産党が率いた1949年の中国革命は、官僚的であり、奇形的だった。

1917年のロシア革命は、数年間の政治闘争で学習した、階級意識的な労働運動の核心部としてのボルシェビィキによって遂行された。

ボルシェビキは、労働者民主主義-即ち、労働者評議会―に基づいた国家を建設しようとしたし、10月革命が、社会主義世界革命に向う第一歩であると考えた。軍事官僚的な、社会激変を伴った中国共産党の執権と、それ

構らは、退歩したソ連のそれをモデルにしたものだった。

 

中国共産党官僚は、スターリンの反動的な‘一国社会主義’論を採択した。‘一国社会主義論’は、革命の国際化の重要性を否定し、代わりに民族的境界と言う限界での発展を強調する立場だ。

 

トロツキーは、1923年以後権力を掌握したスターリン主義官僚集団が、新しい形態の所有階級でなく、柔弱で矛盾的な特権階層と考えた。

 

“マルクス主義者は、階級を、とりわけ重要に且つ科学的に限定された意味で規定する。階級は、国民総所得の分配におけるその関与の仕方のみによって規定されるのでは無く、経済の全般的構造の中での独自的役割と社会経済的土台に根ざした独自的な根によって規定される。それぞれの階級(中世の封建貴族、農民、小ブルジョア、資本家、プロレタリアートなど)は、それぞれ独自の所有形態をもつ。しかし官僚集団は、こんな(すべての)社会的特性を持ってはいない。生産と分配の過程で、独自的地位がなく、独自的な所有の根もない。官僚集団の機能は、基本的に階級支配の(為の)政治的技術(technique)に関係したものである。”-<トロツキー・「ソ連の階級的性格」1933>  (訳者注-日本語訳では・1963年版、山西英一訳・現代思潮社刊、「トロツキー全集第9巻-ソヴィエト国家論<ソヴィエト国家の階級的性格>79頁参照)

                                                                                      

ソ連官僚の権力と特権は、逆説的に、労働者国家の集産化された所有形態から出て来る。それらは、厳密な意味で階級搾取でなく、社会に寄生する固有の方式を通して、“人民達を掠奪”する。トロツキーは、彼等の特権を国家財産の私有化を通して保全しようとする官僚分派らが、資本主義復帰勢力と共にするものだと見抜いた。

 

大規模の私有化過程で、大きい損害を見るグループに主にいるより保守的分派は、反革命に抵抗する側に向かい、社会主義を守ろうとする労働者達の蜂起に彼らの運命を賭けるだろう。トロツキーは、続いて言う、スターリン主義集団は必須的な社会的機能を持っていない。万一労働者階級が政治革命を通して、官僚集団から権力を奪いとることが出来なければ、資本主義反革命が労働者国家を破壊するだろう。

 

中国革命に対する我々の分析は、それが、まだ革命的組織だった1960年と1970年代のスパルタクス同盟(SL)の歴史的寄与に基づいている。(このグループの以後の退行に対しては、<スパルタクス同盟(SL)では、一体どんな事が起こったのか?>を、参考にする事)

 

1960年代後半の時期、毛沢東の‘文化大革命’が、新左派達と所謂‘トロツキー主義者’達の間で歓迎される時、スパルタクス同盟(SL)は、それが官僚集団内部の不和によるものだと適切に指摘した。中国共産党のあらゆる分派は、世界の社会主義革命の拡張に究極的に依存している中国の社会主義的発展にとって障害物だと主張した。この立場は1970年代初期、所謂‘資本主義路線’を主張する競争者に対する勝利に力を得た毛沢東分派が、ソ連の退歩した労働者国家に対し、米帝国主義と露骨的な反革命同盟を結んだ事で、その正しが立証された。

 

中国が歩んでいる大きな変化にも拘わらず、1970年代の毛沢東の執権期と、鄧小平の1980年代、そして胡錦濤の今日は、本質的な連続性がある。1949年の革命で建設された奇形的な労働者国家は、まだ破壊されなかった。毛/スターリン主義官僚が、政治権力を独占しているにも拘らず、(我々)トロツキー主義者は、資本主義の復活に対して中国の奇形的労働者国家を無条件的に防御しながら、社会革命の成果を擁護するものである。

 

 

 

印象主義者達:改良主義のフイルムを逆に回す

 

 

15年前に、若干の左翼人士らは、鄧小平の‘市場社会主義’が、計画経済と市場経済の間で実行可能な‘第三の道’であるかも知れないと想像した。(この観点を、我々は<1917>誌・14号で批判した事がある。)

今日では、それと同じ幻想は入り込む余地はない。‘市場社会主義’を、一時叫びに叫んだ多くの者たちは最近では、中国が完全に資本主義社会に変貌されたと主張する。1990年代、鄧小平の‘改革’措置を称賛した中国学・学者ビクター・リビッツは、それ以降に、特定の形態の資本主義福祉国家が、我々が希望することが出来る最大値であろうと、結論を下した。(Critical  Asian Studies、2005年1月)

 

彼の悲観的展望を共有する人々と一緒に、ビクター・リビッツは、社会民主主義的観点で中国国家を眺める。即ち階級中立的機構としての国家は、万一官僚的な計画が失敗すれば、市場要素を投入し始め、完全な資本主義社会に進む事となると言うのだ。

 

は、それとおなじ観点を次の様に批判した。

 

“ソ連政府が、プロレタリア的性格からブルジョア的に代えられたと主張する者たちは、改良主義のフイルムを逆に回す事と、違うところがない。”(同上・「ソヴィエト国家の階級的性格」)

 

改良主義者達と異なり、マルクス主義者にレーニンが<国家と革命>で説明した様に、国家は本質的に、特定の所有形態を防御するために独占的暴力を行使する“特別な武装諸機構”で構成されるのだ。市場要素の量的増大を通して、労働者国家を資本主義に復活させる事は、金融と産業の公共部門を漸進的に拡大することを通してブルジョア国家を消滅させる事ぐらい不可能なことだ。

 

中国内の‘資本主義の復活’を主張する大部分の見解は、経済で市場関係が明らかに支配的だと言う主張に基づいている。甚だしきに至っては、所有権に対する問題にあって、極めて鋭敏な(世界の)帝国主義金融資本機構等              も、ある程度の但し書き付きではあるが、中国を“資本主義”と周期的に言及して来た。例をあげると、2008年9月20日付<エコノミスト>             は、ロシアと中国はみな“国家主導”“少数独裁”の資本主義だと言った。他の言論では、中国経済を“権威主義資本主義”“官僚的資本主義”、そして“成長していく資本主義”などと描写して来た。

 

どうして中国共産党が、完全な資本主義復帰を主導したのか?に関する、よりまことしやかな、所謂‘トロツキー主義’的なふりをする説明の中の        一つは、<労働者インターナショナル委員会(CWI)>が発刊した<Socialism today>2007年12月/2008年1月版に見える、“中国資本主義反革命”と言う題目の文で、CWI内で少数派を代表するヴィンセント・コルローは、中国スターリン主義者達は、完全な資本主義復帰を遂行したと主張した。

 

その論文は“去る20年間の価値なき社会的反革命の期間の間、・・前毛沢東・スターリン主義官僚達が、ソ連と東ヨーロッパでと同じように、中央計画経済を放棄し、資本家の位置に転ずるのを見た。”と主張した。コルローは、中国共産党の‘改革’が、以前に地方共同農場と都市の国有企業を通して保証されたが、しかし今は多くのそれらが恩恵を享有出来ない、教育と医療保障に、どんな破壊的な結果を生んだかを、生々しく描写する。彼は、中国は、貿易と外国資本の浸透と言う側面で見るとき、ロシアや他の前ソ連の諸国よりさらに、世界資本主義体制の中へ組み込まれたと主張する。

 

彼は、中国企業らは労働組合の破壊、腐敗、環境破壊と危険な作業環境などで、悪名高いと指摘する。中国の銀行が(彼が“資本主義世界のそれと同じぐらいに寄生的”と思う)国家によって厳格に統制されると言う事を認定する一方、アジアでそれが、特別に異常なことではないと彼は言う、彼は、中国で土地は、公式的に国家所有として残っていると言うことを認める。しかし、成功的な‘改革’は、その使用を効果的に私有化したし、それは“土地の反革命”に帰結するだろうと主張する、

 

コルローは、集団農場と国営企業の雇用が、さる10年の間、企業革新、合併と縮小、外株経営、株式上場などによって半分に減ったと指摘する。

今日、4分の3の都市労働力は、公共部門の外側で雇用される。投資された不変資本の多数が国営企業と言う事を認めながらも、コルローは、それらが利潤を生むように強制される限り、国家部門は“エネルギーと通信の基本的産業施設を提供し、日本と南韓のモデルにもとめ、先端産業を狙った資本主義経済を主導する梃子”の役割をするものだと主張する

 

国営諸企業の大きさが縮小されたし、それらが利潤を生産するように強制されたと言う事は間違いない事実だ。そして、中国のプロレタリア内部で親社会主義の情緒の基盤となる国営企業の労働者達が防御的になったのも事実だ。しかし、中国共産党の最近の分派主義の相互作用と、中国‘改革’の進化過程に対する綿密な研究によれば、中国国家は未だ、質的変化を経験しなかった。それは、依然として奇形的な労働者国家として残っているのだ。(続)





(訳 柴野貞夫 2011・1・22)