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(韓国民衆言論・チャムセサン 国際報道 2011年2月14日)

http://www.newscham.net/news/view.php?board=news&nid=60303&page=1&category1=38

 

 

エジプト民衆、<革命防衛委員会>を発議



 

“倒れたエジプト政権、継続される革命”


 

 

チョン・ウンヒ(客員記者)



 

エジプト民衆は,結局、ムバラクを権力の座から引きずり下ろした。カフェアルバイトをしていた、ある非正規青年労働者に対するエジプト警察の殺害への憤怒で点火された政権退陣示威が、1月25日触発されてから18日目、ムバラクが10日退任拒否意志を、また頑強に明らかにしてから24時間ぶりのことだ。金曜日夕、ムバラク辞任後、民衆蜂起の拠点タウリム広場は、歓呼の波の中へ沈んだ。

 

今エジプト民衆は、ムバラク以後の時代へ前進している。

 

 

 

政権を覆したエジプト民衆蜂起





△写真上[出処 http://www.ctuws.com/]]

 

10日夕刻、それはエジプト民衆の憤怒の火に油をそそぎ、カイロには数百万名以上が集まり、ムバラクの即時辞退の為に示威を繰り広げた。これとともに、アレクサンドリアとスエズなどの地域で、拡散された示威の波、そしてエジプト労働者達の罷業示威は、急激に拡散されて行った。

当初2週目に進行された示威は、エジプト民衆の断固たる闘争にも拘わらず、ムバラクは辞退前の数日間、譲歩案で自身の権力の座を最後まで握りしめようと頑強に抵抗し、停滞の様相を見せた。外信は時間の争いが始まったと報道した。

 

しかし、9日を起点として、街路と、工場から工場へ拡散された示威は、エジプトの核心産業を激しく威嚇し、ムバラク退陣に決定的な契機を提供したものと評価される。アルジャジーラによれば、9日、二万か所の工場労働者達が作業を止めた。

 

ジョージタウン大学のアラブ研究センターアラブ政治学教授、Samer Shehataは、11日<インディーズタイムス>に、労働者の罷業が賃金と手当の様な論点に集中されるとしても、“独裁政治体制の文脈から、あらゆる抵抗は政治的であり、それは畢竟(結局)‘パンとバター’の論点に対する示威だった。”と明らかにした。彼は更に、10日のムバラクの立場によって高まった示威と一緒に、労働運動は労働者たちの側面から、直接的な政治的行動へ繋がったり、政治的要求を増大させるものだと予測した。

 

特に、8日始まったスエズ運河労働者達の罷業は、世界経済に意味ある圧力を加えたものとして評価される。<ドイチべルレ>8日付は、エジプト経済は世界経済で主要な位置を占めないが、運河は問題が違うとし、運送のつまずきによる、運輸費と原資材費の引き上げが、米国を含んだ国家の輸出産業に危険を伝えることが出来ると言う経済専門家の憂慮を指摘した事がある。

 

一方、爆発する様な、膨れ上がる数多い示威者達は、カイロ都心の、ヘリオポリスの豊かな村にある大統領宮に移動し示威を繰り広げ、タウリン広場占拠に続いて、示威者達は広場の近所の議会進入路もまた占拠した。同様に、彼等はムバラク政権の拡声器と見なしているカイロのラジオと放送社の建物も封鎖した。

 

また、世界社会主義者ウェブサイト(www.wsws.org)によれば、エジプトで2番目に大きいアレクサンドリアでも、11日最も大きい示威が繰り広げられた。数十万名の人々が集まって、地中海海岸線に沿うスキロミトをうねうねと進んだ。ムバラクのアレクサンドリア宮殿もまた、示威の焦点となった。

 

続いて、スエズでは、数万名が10か所の政府庁舎の周囲で示威を展開した。都市の市内では、示威者達と警察間の衝突が繰り広げられた。警察は銃を発射したし、示威隊は火炎瓶を投げ警察車に火をつけた。エジプトの南部地域の或る知事は、暴力的な示威の前で逃げなければならなかった。

 

 

 

軍部

 

11日、退いたムバラクに(よって)権力を手渡された軍事委員会代弁人は、12日、国営放送で平和的な権力移譲と、自由で、民主的な制度を約束した。続く13日、エジプト軍事委員会は両院解散を公布し、新しい選挙が6か月内に開催されるだろうと明らかにした。これと憲法改正の為の専門委員会の設置計画を発表した。

しかし、どんな人物がこの委員会に配置されるかは、まだ明らかにされなかった。国家非常事態も依然として持続中だ。




△写真[出処:http://www.guardian.co.uk]

 

軍部は、また13日、タフリム広場のバリケードを撤去し始めたし、また車両が通行されている。

 

しかし、ムバラク退陣以外の、継続的な要求の履行を主張し、タフリム広場に残った数百名の示威者達は、摩擦が引き起こされたりした。

 

タフリム広場を守っている或る示威者は、13日<ガーディアン>に、“軍人達は、我々に(出て)行けと言う。彼等は我々の天幕を片付けたが、我々は残るだろう。我々は、他の政府を願う。我々は民間の政府を願う。彼等(軍部)は、我々の革命を盗もうとする。”とし、タフリム広場を中心に、革命を守ると言う意思を表わした。

 

 

 

○示威隊、革命防衛委員会を発議

 

一方、示威組織家達は13日、来る金曜日(18日)に、エジプトを貫く“勝利の行進”を発議した。また、エジプト大衆示威のいくつかの組織家達は、これ以外にも、革命防衛委員会も提案した。委員会の課題は、激変の時期に軍事委員会との対話で、革命を前進させることにある。これにより、彼等は約束の履行の為に、軍部に対する圧力を行使する計画だ。

 

更に、罷業示威も持続中だ。13日、数百名の警察らが、カイロの政府庁舎の前で賃金引き上げの為に示威を繰り広げた。二千名のエジプト銀行の労働者達はまた、罷業を起こし、銀行長の退陣と会社内賃金体系の構造改革を要求した。石油産業労働者、公共交通労働者そして環境部公務員達も罷業を起こした。

 

米国とイスラエルとの政治的利害関係を背景に、エジプト経済の45%を支配する明確な限界をもった軍部に対する展望は明るくない。革命のカギは、依然として、ムバラクを権力の座から退かせる事となった、エジプト民衆の手にかかっている事は疑いの余地がない。

 

<ドイチベルレ>10日付によれば、エジプトに組織された野党は、大きく六つの組織に代表される。まず、モハメド・エルバラダイ(Mohammed el Baradei)が率いる≪平和のための全国連合>。彼は国連原子力機構IAEAの代表だったし、ノーベル平和賞を受賞した。しかし、エジプト民衆に対する影響力は大きくないと評価される。ムバラク政権時代、禁止されていたムスリム兄弟団は、現在最も大きく、最も良く組織されたと評価される。しかし、今後大統領選挙に候補を出さないと、立場を明らかにして来た。一方、<Kefaya>は、“十分な”と言う意味で、2004年労働組合代表の、ジョージ・アイザック(George Ischak)によって組織された。彼等は、中間階層労働者の利害を代弁し、2005年ムバラク政権に対立した抵抗運動を初めて組織した。この他に、自由民主主義の性格のワプドゥ党、左派性格の<タカンム党>、そして2008年労働組合罷業示威に同調し組織された≪4月6日運動>が、蜂起した青年たちの中心的な組織として評価されている。

 


(訳 柴野貞夫 2011・2・18)