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(韓国 社会主義言論 タハムケ 2011年10月13日)

http://www.left21.com/article/10290

 


 

 

(コプト教徒とモスリムの)離間で、革命を破壊し様とするエジプト軍部

 

 

 

ホッサムエル・ハマルラウィ(エジプト社会主義者)



 

10月8日夜、エジプト・カイロでは、少なくとも23名も命を失った。軍隊と警察が、国営放送局の建物前で虐殺を繰り広げた。

 

コプト教[エジプトの土着キリスト教、ローマがエジプトを支配した時期に栄えたが、ムスリムの支配以後衰退した。現在エジプト国民の約10%がコプト教徒だ]徒達は、反対宗派達が教会を攻撃するのに対し、処罰を要求しながら、シュブラの労働階級居住地から出発し、カイロ市内のマスペロの街路に平和行進をしていた。

 

世界の諸言論(マスメディア)は、‘衝突’が繰り広げられたと報道した。しかし真実は、政府当局が行進を実弾で残忍に鎮圧したし、冷酷にも軍装甲車で示威隊にぶつけたと言うのだ。

 

また軍隊は、二つのテレヴィジョン放送局に押し寄せ、放送を中断させ、攻撃場面が載った報道を止めようとした。

 

エジプト国営テレヴィジョン放送局は、宗派間の葛藤(いざこざ)をけしかけて来た。根拠もなくクリスチャン達が武装をしたまま軍隊を攻撃したと報道した。また、‘国民’が通りに出て軍隊を‘保護’しなければならないと促した。棍棒と刃物で武装した暴力輩らが呼応し、示威隊を攻撃した。

 

しかし示威隊は、言論が描写し様とする通りに、クリスチャンでだけで、行われたのではない。

 

多くのモスリム達も示威に参加したし、警察と軍に対峙し戦った。一時、或るモスリム聖職者は、マスペロ通りへ行進するコプト教示威隊の先頭で、十字架をもったまま‘10月6日橋’を渡った。

 

    

△写真 シュブラの労働者階級居住区から出発して、カイロ市内のマスフェロ通りで平和行進をするコプト教徒達―出処Sarah Carr

 

 

●ムバラクと軍部に対決する、キリスト教徒とモスリムの団結

 

 

示威隊は、次の様に繰り返し叫んだ。“モスリムとキリスト教徒が…手を握った。”そして、ムバラク時代の国防部長官を務め、今はエジプトを支配する陸軍元帥タンタウイを非難した。

 

この記事を書くあいだ、軍隊はカイロ市内で午前2時から午前7時まで、通行禁止を宣布した。しかし、示威は止まらないようだ。

 

エジプトで、コプト教徒達は今も差別に苦しむが、現政権に対決した闘争で、ムスリム達と共にしている。革命が生まれる2週前、カイロとアレキサンドリアではコプト教徒達の示威で沸き立った。彼等は宗派間の攻撃を批判しながら、ムバラクに対決した団結を追求した。

 

以後、多くのキリスト教徒達は教会の立場とは反対に、ムスリム兄弟姉妹と一緒に‘1月蜂起’に力を合わせた。

 

コプト教徒達に対する今の攻撃は、軍部の将軍達がエジプトの貧しい市民たちを分裂させ、互いに対立させようとする意図の一環だ。しかし、ムスリム示威隊がコプト教徒達と共にするのは、幸せな兆候に他ならない。

 

過ぎる数か月の間、罷業労働者を軍事法廷に立たせる罷業禁止法にも拘わらず、50万名を遙かに超える教師、医師、公共運送労働者などが罷業に立ち上がった。この様な下での闘争が、宗派間の葛藤を唆(そそのか)す意図に対決することが出来る最も強力な武器となる。

 

(訳 柴野貞夫 2011/10/15)

 


○参考サイト

 

エジプト軍部の、示威、罷業に参加した民衆に対する、拘禁、拷問の映像は、チャムセサンの記事を参照。→

http://www.newscham.net/news/view.php?board=news&nid=63341&page=1&category1=38