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(韓国 統一ニュースコム 2012年1月18日)

http://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=97336


キム・ジョンイル国防委員長以後、北方の未来1-1


“私には、本当に時間がない”


チョン・ギヨル教授のピョンヤン通信―大国喪に直面した北同胞達




●<訳者注―長文のため、2回に分けて訳出します>



[チョン・ギヨル(中国精華大学招聘<しょうへい>教授、北京在住 英文媒体第4言論―責任主筆)]


チョン・ギヨル教授がキム・ジョンイル北韓国防委員長の訃告発表3日後の1222日、ピョンヤンに入った。チョン教授は、北方の土地のあちこちを訪問しながら、北方同胞達が直面した大国喪期間の姿などを、統一ニュースを通し、数回にわたって外部世界に伝えるであろう。




 

▲ピョンヤン‘音楽情報センター’にかかるキム・ジョンイル委員長の大型肖像画の前に弔問客達が列をなして順序を待っている。[写真チヨン・ギヨル]




“私には本当に時間がない!”と言う言葉は、恐らくキム・ジョンイル韓国防委員長が歴史に残した命の最期の言葉として、記録されるのではないのかと思われる。

外の世上(世界)に良く知られているチョン・ギプン教授(キムチョルス師範大哲学講座長)が、1230日コウリョ(高麗)ホテル3階の面談室を訪れた。当時、ピョンヤンにまだ滞留中である在米同胞の何人かが、彼と対談場所を共にした。下に引用した幾つかの対話内容は、彼が代表団と約1時間にわたり交わした対談の時、紹介したものだ。


チョン教授は、筆者のピョンヤン訪問時、ほとんど例外なくたびたび対話を交わす学者の中の一人だ。彼はすばらしい能弁家だ。論理的な事は無論、該博な知識、情報、特に詳しい年度、数値などをすらすらと覚える事で有名だ。10余年対話して、涙、鼻水で見分けがつかなくなった彼を見たことがない。しかし、今回は例外だった。


キム委員長は、逝去二日前である“1215日、ハムギョンナムド(咸鏡南道)を現地指導”した。彼は次の日、1216日、すぐ逝去の前の日も、“終わらない現地指導”の道にあった。その日キム委員長は、“新年を迎える首都ピョンヤンを始め、大都市に十分な魚を保証することに対する作業”と関連、“東海岸の水産物”の現場を“現地指導”した。そこは恐らく、キム委員長の命の“最後の現地指導”の場所として記録されるようだ。彼はここで命の“最後の仕事の指示”となったらしい、魚対策関連の書類に、“最後のチェック”をしては、すぐハムギョンナムド(ハンナム)に、再び出かける準備を急いだ。

当時、“しばしの休息もない”また再びハンナム(咸南)に出かけようとする彼に、同行した“責任幹部達と主治医達”が、真情を尽くして制止しまた制止した”と言う。


“私には本当に時間がない!”と言う、この文の副題(サブタイトル)は、1216日夕方、自分を懇切に制止しまた制止した幹部達と主治医達に向かって、キム・ジョンイル委員長が言ったと言う言葉だ。当時幹部達と主治医達は、キム委員長に懇切に頼んだと言う。チョン・キプン教授が聞かせてくれた言葉を、彼が言った表現そのまま、(以下に)引用した:


“もう、何日かすれば、お母さん(キム・ジョンスク女史)の御誕生日と、将軍の最高司令官として推戴されてから20周年となる日です。

ピョンヤンに帰られて、数日だけでも休まれて、お母さんのお誕生日も迎え、特にキム・ジョンウン同志が、将軍に最高司令官として仕えた20周年を記念する為に準備した祝賀公演も見られた後、また現地指導の道に就いてください。”


“私もその様にしたい。ピョンヤンに帰って何日か休んだあと、母の誕生日の時、デソンサン(大城山)革命烈士陵も訪れ、キム・ジョンウン同志が準備した祝賀公演も見たい。しかし、‘私には本当に時間がない!’”そして、キム・委員長は、自分を制止した、同行した幹部達と主治医達を、むしろ説得したまま、彼の命の終わりとなる“現地指導”の道に就いた。その時が、“1216日夕方の時間”だった。


労働新聞の表現を借りれば、“偉大な一つの命の運命を分けた野戦列車”は、夜中の間走り、次の日の明け方、到着地近くに近付いた。しかし彼は、計画した命の最後の“現地指導”を結局終える事が出来ないまま(大韓民国国情院長が1220日、国会情報委で証言したと言う、“1216日、ピョンヤン官邸”)ではなく、“1217日朝8時半現地指導に向かって走った野戦列車の中で”最後の息を引き取った。




●キム・ジョンイル国防委員長の逝去関連での、国情院(国家情報院)長の国会虚偽証言と、言論媒体らの悪魔化宣伝





▲雪が降っても、弔問客達のお悔みが続いている[写真 チョン・ギヨル]




国家情報院長の、20日国会情報委での発言直後、同じ国会の建物の国防委で、国防委高位官吏が国情院長の主張を、一度ひっくり返す発言をした。

“米国軍事指揮体系に従属された事由で、対北(軍事)情報関連の国情院より、上位にある国防部”が、キム委員長の“専用列車が16日~18日ピョンヤンを抜け出て動いた”と発表したのだ。発言者はキム・クアンジン国防長官だった。

彼は同じ日、国会の国防委員会で、キム委員長死亡場所と関連し、“いろんな状況を検討中であり、未だ正確に明らかにされる事はなかった”と遠回りに発言する事はしたが、代わりに“列車が移動した”と言う事実を、“列車が移動した位置は分かる”と言う表現で、結局国情院長の発言を覆した事になった。無論、彼はキム委員長が“その列車に乗ったのかは、分らない”と言う言葉で、同僚(?)の体面を助けてやる事も忘れなかった。


国情院の“それとも他に式の”嘘、虚偽、操作、捏造行為は、彼等が数十年飯を食し、絶えず行う、対北悪魔化宣伝の一環として決算する事が出来る。問題は、国家最高情報機関である国家情報院が、それも最高情報機構の首長が、他の事でもない大国喪に直面した北方の国家最高指導者の逝去の事実について、南方言論報道の大部分の指摘の様に、“自身の無能と責任を回避する為に”荒唐(無形)な虚偽犯罪を、それも白昼真昼間、国会証言台で繰り広げたと言う事実だ。


まずは、“国情院が逝去の知らせ自体を知らなかった”と言う事実が世上に知られており、“更迭説”など四面楚歌に落ち込んだ国情院長が、どんなにか切羽詰って慌てふためき、困り果てたので、自分で自分の墓を掘る、そんな悪手をそれ程易々としたものだろうと思う。

そうでなければ、“1216日~18日キム・ジョンイル委員長の専用列車がピョンヤンから絶対に動かなかった”と言う出鱈目な主張でも足りず、そんな所謂(いわゆる)ゴミ水準の嘘諜報などに基づいて、逝去の時期と場所まで自分が鼻から示して、“1216日、ピョンヤン官邸”と言う、その場の嘘として発覚する荒唐な主張までするのかと思うのだ。


国情院長の捏造主張に対する南方の報道の大部分は、(主張自体が出鱈目で、その上、国防部によってさえ予め荒唐無稽な主張である事が露見した条件で)国情院長が“キム委員長逝去自体を北の公式発表以後にやっとわかった”は、“国情院の極度の無能”に対する“批判を免れ世上の関心を他の場所に向ける為”嘘で証言したものだと言う論調が大部分だった。

所謂ゴミ水準のいい加減な“蝶報”或いは“体面用”として、たった一日で独自操作された根拠なき虚偽情報と言う批判が主をなしたのだ。


国情院長の問題は、そこにとどまらない。もっと大きい問題は、ゴミ水準の、そんな類いの諜報、荒唐な嘘の主張に基付き、数十年(に亘り)[反北小説書き]に慣れた[チョチュントン](訳者注―‘朝中東’→韓国3大紙、朝鮮日報・中央日報・東亜日報の頭文字をとって、これら3大言論媒体を言う造語。またこれまでも,彼等が反北の捏造記事を垂れ流してきた事を指して、筆者は,これらが事実の報道と無縁の“小説書き”と批判している)の様な、南方の代表的な事大買弁言論媒体達だ。


彼等が、韓米日-情報当局と互いに、指しつ指されつ、相互扶助(?)し、数十年にわたり好んで書く[反北小説]を、日本、米国などを経て、爆弾アラレとなって脚色され、米国西欧支配下のあらゆる世界の主流言論媒体に、堂々と、まるで事実かの様に化けて現れると言う事実だ。


キム委員長の逝去直後から繰り広げられている、あらゆる種類、形態の嘘、捏造,操作行為は、特に、嘘、捏造、操作で他の追随を許さない日本当局と、彼等の保守主流言論媒体達によって、今日その極限に達している。



●キム・ジョンイル国防委員長は、終わりなき現地指導の途で命を終えた


 
  

   

▲わっと泣き出す北方の子供達。[写真―チョン・ギヨル]



北方滞留10日、常に集めた労働新聞を含む、あらゆる資料によれば、キム委員長“逝去前後、ハムギョンナムド(咸鏡南道)地方には、60年来、見るに稀な暴雪、寒波が押し寄せた。”ハムナム(咸南―咸鏡南道)地域の幹部達が“現地指導に来られても、天気が少し良い時に来てくださいと、懇切に頼んだ”と言う逸話の背景だ。“現地指導の途”で命を終えたキム委員長が、“一時も休まないまま一日が長いと、走る自動車と汽車の中で、握り飯とうたた寝で過ごした”は、北方の同胞達が口を開けば話をする“現地指導”関連のエピソードは数知れない位多い。

20088月初め、心臓病を患った後で、2011年年末の、最後数日を残しておいた1217日朝、“830分走る野戦列車の中で心筋梗塞と心臓性ショック”が、彼を永眠に入る事とするまで、彼は北方同胞達の言葉表現通り、“一時も休まず、働いた”様だ。<統一ニュース>に載った<第四言論>ピョンヤン通信第一信に、キム委員長の最後の瞬間を“あたかも散る花の様に”或いは“命の最後の瞬間まで、自分を燃やす様”だと表現した理由だ。


自分に、時々刻々近づいた死の瞬間を、2008年夏、彼の命を深刻に威嚇した最初の“心臓疾患”以後、終わりなく彼に付きまとった命の黒い影を、彼は全く恐れなかったようだ。むしろ、最善を尽くし、渾身を傾け、万一の状況を準備し、また準備した様だ。後に残して置いて行く、あらゆる人々の安寧は無論、むしろ彼等の心身と意思を、さらに高らかにし、自分の有故時にも、隙間なく働いて行くことが出来る様に、残った最後の一呼吸さえも、完全に彼等の為に捧げたようだ。


特に、いずれその誰にも依存すること無く、“自力更生”の力で、“人民達の食の問題を自ら解決する為”北の表現通り“人民経済発展”の為に、命の最後の瞬間まで自分を燃やすように仕事をし、決然と出かけた様だ。


去る3~4年、いつ近付くのか分らない死の影を、一方に常に連れて生きながらも、驚くべき熱情、信念、意思それのみで、最後の息まで、自分が“それほど愛した”と言う“人民達と国の安寧”の為に休みなく働き、仕事をし、また働いて、永遠の休息に入った様だ。


こんな種類の解析、判断は、恐らく筆者一人だけの理解ではない様だ。筆者の他にも、少なからぬ人々が筆者と似ているか、或いは同じ解釈と判断をしていることがある。特に、10日間(1219日から29日まで)の“大国喪追悼期間”約“1億回”を越える“追悼の歩み”が

全国に終わる事なく続き、北方の津々浦々を“はらわたを切るような血の涙の海にした二千五百万の北方同胞”の中で、多くの人々も、又同じではなかったかと思う。


耐えがたい悲しみを踏みしめて、そのあらゆる痛みを、むしろ“千百倍の力と勇気”に変え、信じるのが難しいくらい、再びひときわ高く立ち上がっている彼等すべての姿から、一体全体何が、彼等をして果てしなく再び立ち上がる様にするのか?一体その力の実体は何であるのか?問うて又問う事となる。


彼らすべてを果てしなく、再び立ち上がらせ、駆り立てている力の実体は何であるか?或いは命の最後の瞬間まで、自身を燃やすように渾身を尽くして働き、また働いたから、死でさえも、人民達に言い表せない大きな感動として永遠に忘れる事が出来ない遺訓として残して逝った国防委員長ではないのか?


彼は、まるで今日も生きて、人民達を終わりなく督励し、指導しているのかも知れない。例え、生きて動く肉身の姿で目に見える事がなくとも、彼は今日も(中国国家最高指導部の表現の様に)“永遠に生きる”どんな霊的な(あるいは精神的な)力で、彼等すべてを終わりなく推動し、激励し、引っ張っているのかもしれない。


“天が抜け落ち、大地が消え失せる様な悲しみ”と“天も泣き、大地も泣くような悲痛さ”を踏みしめ、再び立ち上がった北方同胞達の姿に、キム委員長の驚くほど驚異であって感動的な命の最後の瞬間が、彼の最後の遺訓となって、依然として彼等すべてを感動させ、駆り立て、引っ張って行っているのではないのかと思うのだ。


永遠に忘れがたい、如何なる感動で、大きな教えで、彼の最後の遺訓で人民達すべての胸の中深くに、彼等の心の中ごとに、深く、深く刻印されなくては、想像することが難しく、説明することが難しい驚くべき変化が、今日北方に起こっているからだ。


彼は結局、死んで行く瞬間にも、自身の心の中に、人民の心に最後の言葉、即ち次の様な遺言を残して去った様だ。“火を燃やす信念と意思で、そのどんな状況(即ち、キム委員長の有故時)にも心配なく、あらゆる絶望と悲しみを踏み越え、むしろ、そのあらゆるものを、千百倍の力と勇気に変え、明るい未来に向かって力強く、将来に進まなければならない!”と語ろうとした様だ。


キム委員長が息を引き取ったあと、10日後である1228日、それは“全体の人民が一心団結の力で、どんな難関と試練も、十分果たす事が出来る!”と言う、或る確信を持った後、初めて、自身の永訣(告別)式を迎えた様だ。“そんなに愛した朝鮮人民と永訣”したまま、忽然と世上を去った様だ。



1228日、BBC報道記事―“人類史に皆無な葬礼、追悼事件”




   △1228日進行された永訣式に対し、英国BBCは“人類史に皆無な葬礼、追悼事件”だと報道した。[写真―チョン・ギヨル]



自分たちの“最高指導者”の死を、そんなに悲しみ追悼した北方同胞達の姿は、韓国、日本、米国を筆頭に、世界の主流言論媒体の北に対するあらゆる悪態、陰謀、猜忌(さいき=ねたみ)、嘘の証言、悪魔化にも拘わらず、他の一方では、世上(世界)のまた異なる部類の多数の人々をして、北に対し全く新しく考え、彼等の心の門を開く事としたのかと言えば、その上到底信じられない、驚くべき現実の前で、北方の人々の予想し難い悲しみと痛みの深さを理解する為に、心から努力させる事もした様だ。


ひいては、西方の代表的主流媒体達さえも、北方の人々が自分達の“最高指導者”を失い、そんなに哀痛し悲しむ姿を見て、“人類史に見るに稀な、ひょっとすれば、歴史で皆無な追悼行事と葬禮事件”だと言う報道を可能にしたようだ。それも、反帝自主国家と彼等の最高指導者に対し、虚偽、歪曲、悪魔化宣伝で12百年の経験を積んだ世界最大主流言論媒体である英国BBCが、そうであった。


1228BBC報道記事を読んで聞いた人たちの伝言を総合すると、その記事内容は概略次の様だ。

“歴史上、類例を探し難い事だ。国家最高指導者を失った悲しみが、絶対多数の人民達に、あんなにも切々と表現された事例は、歴史に皆無の様だ。北方の人々が見せた悲しみと痛みの程度を計りがたい程に、歴史に皆無な追悼の姿と葬礼行事だ。”


一方、米国を中心として、特に日本、韓国の殆んどすべての保守主流言論媒体らは、キム委員長逝去と関連して、あらゆる種類の悪口、中傷、虚偽証言、悪魔化を同時に継続している。ところが、彼等のそんな“朝鮮の悪魔化”の姿は、悪意的に誰かに害を与えながら喜ぶ、一種の精神病に属するサデイズム的(sadistic)行態を連想する事となる。彼等のそんな精神病的病症は、60余年前も今日も、一寸の変化もない。


いや、そうではなく、彼等のそんな精神病の病症は、日が経つ程、むしろ悪化したようだ。“滅びるもの(けしからんもの)”だと信じた対象が、滅びるどころか、あらゆる種類の危機、苦難、試練にも自身を平気で守り通すだけでなく、時間が経つほどむしろ、“核武装国家”へ力を振り絞るなど、百方に(あらゆる面で)一層強くなっているので、やってくる心配・恐怖と無気力、挫折感のようなものが、彼等の病的症状を更に悪化させている様だ。


彼等の姿は、水にはまり身悶えする人が、藁でも掴む心情で、或いは真っ黒の暗闇の中閉じ込められた人がよく、恐怖で喚く声を上げるように、盲目的に相手を果てしなく攻撃し、一方では自分のそんな行為を通して(性的)喜びを講ずる典型的なサデイズム的精神病患者の姿だ。


彼等の代表的な病症は、1994年キム・イルソン主席逝去の時の様に、今日のキム・ジョンイル委員長の有故にも、一層悪化される現象を見せている。


彼等は、過去にそうであった様に、今日も北が、“キム委員長が内部の軍事クーデターで死亡した”とか、“間もなく、崩壊するだろう”だとか、そうであるかと思えば、“人民達を追慕行事に強制で動員し、悲しそうに泣かなければ強制収容所に送り、三族を滅ぼすと脅迫した”とか、などなど、想像さえ出来ない、ありとあらゆる悪態と呪詛、等の“朝鮮悪魔化”を絶えること無く行っている。


ところが問題は、崩壊しているのは北ではなく、むしろ北は“乗勝長躯するようで”、その時も今も“引き続いて崩れ落ちているのは、自分達”である処にある。

昨日はブッシュ・チェイニーが崩壊し、今日はオバマが危機に瀕し揺れ動いている。


特に、世界(世上)の歴史に類例がない立場として、1年も持たず、果てしなく崩壊し、また崩壊する昨日・今日の日本政府がそうである。


そして今日は、南韓政府が同じ立場で転落している。日が往けば行くほど悪化される彼等の精神病の症状が、同時に理解される理由だ。


彼等の悪意に満ちた果てしない悪魔化宣伝は、前に指摘したサデイズム的精神病の延長線上に正しく理解される。彼等は、昔も今も、故障した蓄音器に同じ板をのせたまま、時間と金、精力ばかり浪費しているだけだ。


彼等は、多分、永遠に分らないし、理解できないのだ。彼等の極めて限られた人生の理解、世上(世界)の理解、人間の理解の枠では、昨日と今日の“朝鮮”は無論、恐らく第3世界の過去植民地経験を経た諸国家のほとんどすべての歴史を、決して、正しく理解することは難しい為だ。


彼らには、“朝鮮”を先頭に、あらゆる苦難と試練の中でも、反帝自主独立解放闘争を止めることのない、世界の多くの良心と彼等の汚れなき精神世界を、決して、正しく理解することが出来る枠自体が存在しないのかも知れない。彼等はただ、サデイズム的精神病の一環として、一種の精神的自慰行為を続け、時間と金を浪費するだけだ。


彼等自身が崩れ落ちるのは無論、自分の子供達と自分たちの国民、世界の多数を馬鹿にする仕事を続けている。


重要なことは、BBCの言葉そのままに、“人類の歴史に皆無な葬礼と追悼行事が歴史に誕生した”と言う事実の様だ。今日、その“人類史に皆無な北方同胞達の葬礼大叙事詩”が終わった。(次回に続く)


(訳 柴野貞夫 2,012127日)