ホームページ タイトル

 

(韓国ネットニュース・PRESSIAN−世界ニュース 201232日付 )
http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=40120228164633&Section=05




           チェルノブイリの人々から考える−原発は安全か


1986426日の明け方1時、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所4号機が幾度かの爆発をおこした。大事故を起こしたこの原発は、出力100万キロワット、ソ連の最新型黒鉛減速炉であった。19843月から稼働しており、炉心には広島の原子爆弾の2,600個(分)に達する‘死の灰’が含まれていた。事故により、5千万キュリーの放射性核種(ストロンチウムなどの核物性物質)が放出され、この‘死の灰’の70%は、この原発に隣接したベラルーシをおそった。485の村が‘死の土地’に変わり、この中の70の村は、永遠に土の中に埋められた。
時間が経つにつれ、‘死の灰’は地球村全体に広がっていった。チェルノブイリ事故を、遠い国の惨事程度に看做するには、放射能の拡散範囲があまりにも大きく、地球は狭かった。当初ソ連は、この事故を隠そうとした。しかし、チェルノブイリ原発から1,250q離れたスェーデンのポスマク原発で、429日に高濃度の放射能が検出され、世界に知られる事となった。引き続き、ヨーロッパ全域で高濃度の放射性物質が測定され始めた。52日に日本で、4日に中国で、5日にインドで、そして6日には米国とカナダでも、検出された。
当時、京都大学原子炉実験所で放射能測定を担当していた小出裕章の証言を聞いて見よう。「最初、放射能に異常は見れませんでした。やはりそうだ、8,200qも離れているので、まさか日本にまで飛んでくる事はないだろうと、私は考えました。しかし53日になって、空気中から異常放射能が発見されました。8,200qの空間を飛んできて、放射能が日本に到達したのです。汚染能の数値は、日が経つにつれ次第に下がっていきました。そのうち5月下旬になるや、再び数値が上がり始めたのです。日本の上空に飛んできた放射能が、太平洋を越えてアメリカ大陸を通過し、ヨーロッパ、アジアを越え、地球を一周回って、再び日本にやってきたのです。」
事故収拾のために、約50万人の労働者と180億ルーブルの資金が投入された。被害が最も大きかったベラルーシでは、事故前、癌患者が10万人当たり82人だったのに、2002年には6,000人に急増した。解体作業に投入された労働者は、1日に2人の割合で命を失った。この事故による死亡者数は、推定機関により400万名から100万人に至るまで千差万別だが、一つ明らかな事は、今も人々が死んでおり、その苦痛は世代をこえて継続されているという事だ。
事故発生当時、ソ連の共産党書記長はゴルバチョフだった。彼は、この惨事を目撃してから「核と人類の未来は両立する事は出来ない」という信念をさらに堅固にした。米国のオバマ大統領より20余年前に「核兵器なき世界」を主唱したのだ。この‘事故’は、米・ソ冷戦を平和的に終息させる決定的力になった。1990年にノーベル賞委員会はゴルバチョフにノーベル平和賞を授与し、彼の業績を称えた。ゴルバチョフは、原発事故の原因はソ連の硬直した官僚主義にあるとみて、政治改革(glasnost)にも拍車を加えた。しかし、チェルノブイリ原発事故は、ソ連の没落の原因の一つに指摘されるほど途方もない結果を招いた。2001年、かつては米国と世界覇権をめぐって競いあったソ連は崩壊した。
爆発した原発4号機の名前は、‘オクリティエ’だ。ウラニウムが2,000t、プルトニウムが1t、その他の核物質が約200tはいっていた。事故後に、巨大な石棺で封鎖されてしまった。しかし、チェルノブイリの惨事は、終わりを予想できない‘現在進行形’のままだ。
石棺の寿命は、30年に過ぎない。2016年までしかもたない。石棺のあちこちに亀裂が生まれ、今も放射能が漏れ出ている。また、雨水が染み込み、核分裂連鎖反応が起きる懸念もある。
ウクライナ政府は、国際社会の支援を受けて、新しい鋼鉄管工事を行っている。高さ150mに達するこの巨大な構造物には、実に2万tの金属が使用され、数兆ウォンの予算が必要になる予定だ。2015年の完成を目標している。この鋼鉄管の寿命は100年だ。資金不足のため工事が遅れていたが、福島惨事が起きて以後、世界各国はウクライナに785百万ドルの財政支援を約束した。


チェルノブイリの声

ウクライナ出身の世界的ジャーナリストである、アレクシエビッチの力作『チェルノブイリの声』には、‘チェルノブイレッツ’(チェルノブイリの人々)の証言が生々しく記録されている。彼女はこの本の韓国語版の序文にこの様に書いている。「ヒロシマとナガサキ、チェルノブイリを経験した人類は、核なき世界に向かっていくだけだった。原子力の時代を抜け出すだけだった。ほかの道を探すすべを知った。しかし、我々は今も尚、チェルノブイリの恐怖の中で生きている。」チェルノブイリの証人’を自負するアレクシエビッチは、「事故が発生して、すでに20年も過ぎたが、私が証言する事は過去なのか、或いは未来なのか」自分に問いつづけている。「我々の目には見えないが、更に残忍で総体的な課題が我々を待っている」と力説する。彼女は約20年にわたり、チェルノブイレッツ(チェルノブイリの人々)にインタビューをしてきた。この本に盛られた証言の一部を聞いてみよう。
村の住民たちは、周辺のうわべの姿は、あまりにも馴染み深い程なのに、その親しい環境が、自分たちを殺す事が出来る武器となってしまった現実に身震いした。(△チェルノブイリの被害者 写真・ニューシス)
釣り上げた魚、狩猟した野鳥、リンゴの言葉だ。「日も浮かび、煙も見えず、ガスの臭いもないし、銃も撃たないね、これは戦争なのか。避難をせよと言うのか・・・」
事故発生直後、ソ連政府は兵力を大量に投入し、住民を退避させ、大地を土で埋めた。街路を徘徊する犬と猫など動物を殺した。

チェルノブイリ事故の直後、ソ連政府やマスコミは、殆んど何の説明もしなかった。当然の事ながら、住民は火が出ただけと考えた。異常は発生した。

「朝、庭に出てみると、馴染んでいた声が聞こえないのです。何故か蜂が一匹もいなかったね。(中略)後でこそ、原発て゜事故がおきたと聞いたのだが、その原発は横にあったよ。蜂は分かったが、私達は分らなかったよ」年老いた養蜂家の言葉だ。
「テレビジョンで、説明をしてくれるのを待っていた。どの様に生き残らなければならないか、話をしてくれると思ったよ。ところで、ミミズが地中深く這入っていった。我々は何が起きたのか分らない。そこで土を掘ってまた堀ったよ。それでもミミズを一匹も探す事ができなかったし、魚を取る事も出来なかったよ」漁師の証言だ。
愛と死の中で、一つを選択しなければならなかった妊産婦の事情は、シェークスピアも、偉大なダンテも、舌を巻く程だ。「近くに行くと駄目だ、口を近づけたら駄目だ、触れたらだめだ。彼は愛する人ではなく、放射能汚染の塊です。」
原発火災を鎮圧する為に動員された消防隊員の若い妻、イグナテンコは医師の慰留を振り払って夫に近付き、口を近づけ、彼がこの世を去る時までそばを守った。数か月後、この女性はナターシャを産んだ。夫が死ぬ前につけた名前だった。しかし、その子は4時間で死んだ。2年後、他の男性と巡り合ったイグナテンコは、男の子を産んでアンドレイと言う名をつけた。周囲の心配とは違って、健康に見える子だった。彼女は「この時がもっとも幸福な時だった」と言う。しかし、母子の幸福は長く続かなかった。「お母さんは脳出血で倒れ、息子もまた1カ月に15日は、医者と一緒に過ごす」のです。

この事故が発生してから25年後、『核科学者協会報(Bulletin of the Atomic Scientists)34月号への寄稿文で、ゴルバチョフは、「チェルノブイリを忘れない」を訴えている。「我々すべては、チェルノブイリを記憶しよう。チェルノブイリ事故の否定的側面だけではなく、安全で持続可能な未来への希望のかがり火として、反芻しよう」と訴えた。ゴルバチョフは自身の経験談を紹介しながら、第2のチェルノブイリ事故を防ぐには、予防、再生エネルギー、透明性、テロリズムへの脆弱性などの問題などに人類社会が関心を傾けなければならない事を強調した。
この中で、彼が最も強調しているのは‘再生エネルギー’だ。「今日、我々は核エネルギーを簡単に拒否する事は出来ないが、核発電はエネルギー供給と気候変化に万病通治薬ではない事を知る必要がある。」と注文した。彼は、核発電は‘費用節減型’エネルギーであるかの様に知られているが、これは「誇張されたもの」だといい、米国の例を挙げた。米国政府は1947年から1999年まで、原子力分野に総額2,600億ドルの補助金をだしているが、風力と太陽熱発電には僅か55億ドルしか出していない。「米国を始めとする先進諸国が、原子力に投入したくらいの金額を再生エネルギーに投資したなら、状況は大きく変る」と言う。「持続可能なエネルギー源の風、太陽熱、地熱、水素などに投資していけば、エネルギー需要を充足させながら、壊れやすい地球を保存する事が出来る」と訴えた。

原発は安全なのか

チェルノブイリ惨事25周年が近づき、ゴルバチョフをはじめ、いろんな人々が‘脱原発’の必要性を強調していた。そのすぐ後、原発先進国だと自負していた日本で、福島原発が爆発した。チェルノブイリを過去の事として、また再び原発ルネッサンスに心酔していた人類社会は、衝撃に力を失った。米国スリーマイル原発事故は技術者の失策でおきた。チェルノブイリ惨事は科学者の無理な実験過程でおきた。そして福島の惨事は地震と津波が直接的な原因だった。「M8.0規模の地震にも微動だにしない」といっていた日本の自尊心は、M9.0と言う数値の前に無残に崩れ落ちた。再び惨事を経験して、人類社会はまた問い始めた、‘核と人間’は両立可能なのかと。
「原子力は清潔で、安全で、低廉なエネルギーだ」と言う言葉を、我々は耳にたこができるくらい聞かされてきた。「放射能に被ばくしても、基準値以下なら安全だ」の言葉にも慣らされている。
化石燃料が主犯とされる地球温暖化時代に、原発は有力な代案エネルギーとして称賛されたりもする。しかし、果たしてそうなのか。
‘死の灰’と称される放射性物質が人体に入っていけば、DNAをつくる分子結合が切断・破壊・損傷される。被ばくの水準により、その症状は直ぐに現れる事もあり、徐々に現れる事もある。
ところで、原発は、莫大な量の‘死の灰’を作り出す。ヒロシマ原爆と比較すれば、その深刻性を見る事が出来る。ヒロシマの8キログラムのウラニウム核爆弾で、実際に核分裂をおこしたウラニウムの量は800グラム程度だった。100万キロワットの原子炉が1年間に消費するウラニウムの量は約1,000キログラム。、ヒロシマ核爆弾の1,200倍だ。
当然にも、‘死の灰’はこれに比例してつくられる。これをセシウム137の量で換算・比較してみる。ヒロシマ原爆が放出した量は約3,000キュリー(curie)、チェルノブイリ原発事故で放出された量は約2,500,000キュリーだ。100万キロワットの原発が1年間で作り出す量は、約3,000,000キュリー。
問題はここで終わらない。今日標準となっている100万キロワット級原発は、原子炉内部で300万キロワットの熱を作り出しているのに、電気に変換される量は100万キロワットに過ぎない。残りの200万キロワットは海に捨てられている。原発は海水を冷却水として利用しており、100万キロワット原発は1秒当たり海水70tの温度を7度ほど上昇させる。この様に原発の効率が非常に悪いのは、燃料の制約のためタービンにおくる水蒸気の温度を280度以上に上げる事ができないからだ。一方、火力発電所は水蒸気の温度を500度まで上げる事ができるので、発電の熱効率は50%以上だ。
これについて、故・水戸巌教授は「‘原子力発電所’と呼ぶ事は正しくない。正確に言えば、‘海水湯沸かし器’だ」と指摘した。海水の急激な上昇は、海洋生態系にいろんな副作用を伴うばかりでなく、海水の水温が上昇すれば二酸化炭素も大気中に出てくる事となる。
‘死の灰’をどの様に処理するかは、人類社会が抱かえている最大の宿題でもある。核廃棄物は原発の全過程で出てくる。ウラニウムを採掘・精錬する時にも、これを濃縮・加工し核燃料棒を作る時にも、原子炉を稼働する時にも出る。何よりも使用済み燃料棒は、それ自体が度外れた放射能の塊だ。‘死の灰’の中で半減期が短いものとして知られるセシウム137の半減期は30年で、プルトニウム239の半減期は実に24,000年だ。手袋、衣服、装備などの「低レベル廃棄物」では300年、使用済み燃料などの「高レベル廃棄物」では何と100万年ものあいだ、管理して保存する必要があるのだ。
科学者は、使用済み燃料棒の処理の研究に没頭してきた。これは放射能濃度が非常に高い「高レベル廃棄物」の塊で、半減期が非常に長い放射性物質を含んでいるのだ。宇宙に捨てるのは技術的に難しく、海洋処分はロンドン条約によって禁止され、南極深く埋めるのは南極条約によって禁止されている。だから処分方法は二つにしぼられている。
一つは再処理であるが、その妥当性の当否を問わずに、たとえ再処理をしても高水準の廃棄物は残る。原発が動きはじめてすでに60年が過ぎたが、核廃棄物の処理を確実にしている国はただの一つもない。「人類は、原発が作りだす廃棄物の処理方法も未確立ままに、今日まで来てしまった」訳だ。
「原子力は地球温暖化をふせぐ有力な代案だ」とする主張も、検証が必要だ。韓国水力原子力(韓水原)は、「原子力発電は、二酸化炭素を排出しない。環境によいエネルギーとして、地球環境問題を防止するだけでなく、全世界が関心を持っている気候変化協約にも備える事が出来ます」と広報している。しかしこれは一面的だ。原子力が発電する時に‘二酸化炭素を排出しない’のは正しいが、ウラニウム採掘・精錬・濃縮また稼働、原子炉建設及び運転、核廃棄物の処理過程で途方もない資源とエネルギーが消費される。その相当部分は化石燃料に依存しているからだ。しかも、原発の原理となる核分裂反応時に二酸化炭素は排出しないが、二酸化炭素より遙かに危険な放射性物質‘死の灰’を排出する。
「基準値以下なら安全だ」と言う言葉も、人々を安心させるには筋が通っておらず(理屈に合わず)、説得力不足だ。基準値はIAEAが定め、世界保健機構(WHO)が同意したものだが、WHOIAEAに屈伏しているという批判も強い。
東国医大(訳注・東国大医学部)微生物学科教授であるキム・イクジュンは、「放射能は、その被爆量に比例し癌を発生させる。これは基準値以下でも同じだ。安全な放射能はない」と反駁する。
放射線が人体に及ぼす影響を調査した米国科学アカデミー委員会は、20056月に発表した報告書では「最小限の被爆であっても、人間に危険を及ぼす可能性がある」と結論づけた。
日本の原子力専門家である小出裕章は「どれだけ被ばく量が少なくても、被爆量に比例して影響がある」と言っている。
(訳注)同じ京大原子炉実験所・研究員の今中哲二氏も「501ベクレルであれば、501ベクレルの危険性があり、10ベクレルであればそれだけの危険がある。即ち、安全、危険の間に基準として線を引く事は不可能だ」と指摘している。)

                                             (訳 柴野貞夫 2012314日)


<訳者解題>

福島第一原子力発電所の爆発から1年目の311日、「原発はいらない」の叫びが、全国に響きわたった。福島では「原発はいらない!3.11県民大集会」に16,000名が結集した。
老朽化した原発が14基もひしめく福井県の敦賀でも元原発労働者15名も参加し、これまでで最大の2,000名のデモになった。
東京、大阪では1万人以上の集会がもたれ、原爆被爆地広島でも2,000名のデモ隊が「ノーモアヒロシマ、フクシマ」の叫びをあた。、韓国、フランス、台湾、英国、ドイツでも原発への抗議の声がわきあがった。
日本の野田政権と東電は、福島原発の「収束宣言」によって、破廉恥にもフクシマの惨事は終わった事件として処理しようと画策し、数十万人の東北住民に対して国家と企業の責任回避に躍起だ。
この、フクシマ大惨事を引き起こした世界で最も罪深い下手人は、原発の最大の推進母体である日本資本家階級の執行部・日経連である。
彼等が、フクシマの惨劇を生み出した重大犯罪に対し、日本国民に一度だって謝罪した事があるのか!
それどころか、日経連会長の米倉弘昌は、フクシマ惨事の真っ最中の2011316日、家財と家畜を放り出し故郷を捨てて流民となった東北の民衆には目もくれず、「ずいぶん津波の影響を受けたが、収束の方向に向かっているのではないか。(日本の原子力行政についても)1,000年に一度の津波に耐えているのは、すばらしい。原子力行政は、もっと自信を持って胸を張るべきだ。」(2011316日付・サンケイネットニュース)と言い放っている。これは日本資本家階級どもの、我が民衆に対する犯罪的冒涜として、歴史に記録すべき発言だ。これは、資本主義体制と資本家階級による、民衆を犠牲にしたあくなき利己的利益追求が生み出した、彼等の人間存在そのもの、腐敗と退廃の行きつく先を示した姿に他ならない。
彼等が引き起こしたフクシマ惨事は、「収束」どころか、今も巨大な惨事の可能性を秘めている事を、京大原子炉実験所の小出裕章氏がテレビインタビューで指摘している。

「福島第4号機の1,535本の「使用済核燃料棒」は破壊され、むき出しとなって、冷却プールの中にある。プールの中は破壊された建築物で埋まり、燃料棒を移動するクレーンも破壊されている。余震でぐらつくプールはいつ崩壊するとも限らない。もし燃料棒が空気に晒された場合、東京は死の町となるだろう」と。
<http://www.youtube.com/watch?v=CezLuBZqd8U

我々は、この『チェルノブイリの人々』の記事から、フクシマと共通の問題と課題を見出しながら、原発に固執する勢力に対し、人間の理性への冒涜をあばく力を見つけたいと考えている。(訳者)


<参考サイト>

『反原発記事特集』