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(韓国・ハンギョレ 2008220日付)
http://www.hani.co.kr/arti/international/japan/270666.html



          研究者が待つ‘1430万件の真実’
               −近代日本公文書の宝庫<アジア歴史資料センター>


先月末、記者が訪問した《日本アジア歴史資料センター(http://www.jacar.go.jp/)》の牟田正平(?訳注)調整専門官は、このセンターの存在意義をこのように説明しながら、韓国研究者達の積極的利用をしっかり頼んだ。200111月独立行政機関として発足したこのセンターは、明治政府の初期から第二次世界大戦の敗亡時まで、日本政府の機密外交文書など、公文書をデジタル化しオンラインを通して無料で提供している。韓国など周辺諸国と歴史的事実を共有することが、何よりも重要だと判断し日本政府に不利な歴史資料も隠す事無く公開している。韓-日近代史資料の報告と言うわけだ。
このセンターの“近隣諸国と関係する歴史を直視しようとすれば、歴史研究の支援作業が必要だ”と言うのは、1994年村山富一、当時の総理の談話に基き推進された。7年の間の紆余曲折の末に開設されたこのセンターは、国立公文書図書館、外務省外交資料館、防衛省防衛研究所図書館など三つの政府機関に所蔵された近現代公文書などを毎年15万〜20万件(250万〜270万の画像)ずつデジタル化する作業を進行中だ。3千万の画像に至る全体資料のデジタル化は、45年後終える予定だ。今提供する画像は1430万件だ。
ホームペイジの検索窓に‘朝鮮 韓国’という、手がかりの言葉を入れれば、資料45613件が開く。‘ユン・ボンギル(尹奉吉)執行’という言葉を検索すれば31件がでる。一番最後にユン義士の処刑写真が含まれた‘極秘’資料が開く。日本軍慰安婦資料の検索では、限界がある。当時日本政府と軍部が慰安所、軍慰安所従業部など事実関係を糊塗する用語を使うためだ。資料センターは、公文書にある用語と、利用者が検索に使用する用語の間の乖離を埋める為に‘辞典機能’も提供する。
アジア重視政策を拡げている福田康夫総理は、官房長官時代、アジア資料センターのデジタル化の作業を催促するなど公文書保管・管理に大きい関心を見せることで知られた。80台の高齢でも、獨島研究のために毎年何度も訪日して、国立公文書図書館をくまなく探している、チェ・ソミョン国際韓国研究院院長は、“日本をきちんと相手にすることは、彼らの公文書資料を積極研究する必要がある”として、韓国研究者の発奮を促した。


◆ アジア歴史資料センターのホームペイジで検索したユン・ボンギル(尹奉吉)義士に関する資料など、ユン義士に対する処刑執行文書と処刑場面写真

<解説
1994630日に、自民党の主導で自民、社会、さきがけ3党連立による村山政権が発足した(1994630日〜1996111日)。村山富一は「内閣総理大臣」と引き換えに名実ともに、資本家階級の軍門に下り、社会党の護憲・安保破棄・中立と言うそれまでの基本路線を、「日米安保体制の容認」によって放棄し、中曽根臨調から始まる日本資本主義の労働者支配体制強化の嵐のまえに、日本の労働者階級の組織と運動を武装解除し、日米侵略軍事同盟廃棄の戦いを阻害した。それは同時に、「社会党」と言う“社会民主主義”の持つ歴史的破産を改めて証明するものであった。
日本労働者階級の裏切り者村山社会党が、(その犯罪の免罪符として)自民党と、資本家階級の許しを得て唯一実行したのが、この「アジア歴史資料センター」である。
これは、1995815日の戦後50年記念式典で、村山が日本のアジア侵略と植民地支配について触れた、所謂村山談話にそって、アジア諸国との「平和友好交流計画」事業の一環として、200111月に開設された。
ハンギョレ文頭の写真は、1932429日日本帝国主義天皇政府による「上海事変勝利と天皇誕生日を祝う」式典が開かれた、中国上海虹口公園で、日本軍の白川義則大将を爆弾攻撃し殺害した、朝鮮忠清南道礼山郡の農民運動家にして朝鮮抗日活動家のユン・ボンギル(尹奉吉)が、金沢に連行され日本軍に処刑された画像と関連書類である。享年24歳であった。日本金沢市野田山にも、顕影碑と墓地が在る。