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(韓国・ハンギョレ 社説 2008525日付)
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/289614.html


          連行と処罰では、蝋燭集会を止めることは出来ない



ソウル・チョンゲ(清渓)広場で継続されてきた蝋燭集会の様相が入れ替わっている。集まりが回数を加えながら、参加者と争点が多様になるので、異なった結果に見える。‘米国産牛肉輸入反対17次蝋燭文化祭’が開かれた24日夜には、数万名が参加した。この中の数千名はチョンゲ広場を抜け出て、チョンワデ(青瓦台・大統領官邸)側に行進を試み、警察は昨日明け方、彼等を強制解散させ数十名を連行した。一部集会参加者は一昨日に引き続いて、昨日も深夜集会を続けて行った。こんな雰囲気が継続されれば、集会参加者と警察の間の衝突が、繰り返され発生することもできる状況だ。

警察は、連行者らの中に‘不法行為主導者’を選び出し拘束する方法を検討中だと言う。警察が言う不法行為と言うのは、交通妨害、未申告集会、暴行などだ。しかし集会参加者達の、この日の行進と道路占拠が偶発的に生まれた点を考えれば、警察のこんな態度は望ましくない。まず、多様な年齢帯と職業を持つ自発的集会参加者の中で、主導者をどうして探すと言う話なのか。警察の強行方針は実効性もないのに、集会参加者達を刺激する可能性が多い。警察は昨日、集会を解散させる過程でも相当に過激的な態度をみせた。
集会参加者達もまた、秩序あるように集会を進行する必要がある。集会参加者等の主張は、過去どの時よりも充実して国民に伝達されている。青瓦台側に進出したと言って集会効果がさらに高く為ると言うわけでもない。そうしてから、万が一、流血事態でも起きれば集会の本意が、本旨でなく歪曲される。民主社会は紆余曲折を経験しても結局世論に従い動く。世論の支持を育てることが出来る集会方式を思い悩まなければならないと言う話だ。無論、政府が平和集会を妨害することがあっては駄目だ。
さらに重要なことは、今回のように警察力が直接行使される状況が作られることがないように、政府が集会参加者達の意を充分に収斂し、政策に反映することだ。蝋燭集会は政府の失政に抗議する最小の自発的意思表現であるだけだ。集会がこんなに長い間継続されることができるのは、国民多数が彼らと考えを共にしている為である。昔話に、‘根本が立てば、進む道が生まれる’と言った。政府がいま、深く(心に)刻まなければ為らない言葉だ。昨日のような連行と処罰に寄りかかって、蝋燭集会を妨害することは出来ない。
                                                         (訳 柴野貞夫)