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(韓国ハンギョレ 2008630日付社説)
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            民主主義を威嚇する李明博政権の暴力


1980年代を規定する鍵となる言葉は、‘国家暴力’だった。法と秩序を前に押し立てた公権力の暴力は、光州虐殺(訳注→19805月光州で、全斗煥軍事政権に対する民主化要求の民衆抗争で、駐韓米軍第20師団に援護された韓国軍によって学生市民600名以上が虐殺された。)を始まりに、パク・チョンチョル(朴鐘轍)拷問致死事件(訳注→プサン出身21歳、ソウル大・言語学科3回生の学生運動家。1987518日、警察の水拷問で殺された。)、イ・ハンヨル(李韓烈)の催涙弾被殺事件(訳注→198769日、光州出身の20歳、ヨンセ大<延世大>経営学科2回生。ソウル街頭示威で、戦闘警察のST44催涙弾の直撃を頭部に受け殺された。)に繋がり、ついには国民的抵抗におわった。
それから20年後、衝突を防ごうと横たわった市民達を、警察が踏みつけて進んだ。踏みつけるだけでも足りずに、防盾を打ち下ろし、棍棒で叩いてぶん殴った。市民達の懇切な希望であった非暴力平和も、その様に蹂躙された。このことを合図に市民に対する公権力の暴力は、全面化され凶暴化された。大韓民国の民主主義の時計も、暴力の80年代に戻って行った。

憲法的権利を破壊したのは政府だ

昨日、全国部長検事会議で、イム・チェジン検察総長は不法暴力示威にピリオウドを打つ時だと言った。前日政府は、蝋燭(キャンドル)示威隊を政府のアイデンティティーを破壊する勢力として規定する談話文を発表した。公権力の際限なき暴力事態の復活を予告する布告文であったし、予め(国家権力によって)引き起こす全面的な暴力を合理化するものでもあった。どん詰まりに追い込まれた権威主義政権が、常に動員する脅迫であるが、困難に成し遂げられた民主主義を威嚇するのに充分だった。
市民が街路に出た理由は、簡単だ。政府は屈辱的牛肉協議を通して国民の健康権を無視し、検疫主権を放棄した。国民的同意なく進行された韓半島大運河、学校学院化、公共部門民営化政策などは国民の生命や幸福追求権を深刻に毀損するものだった。こんな政府に対し、どんな国民が見てばかりいるのか。道路を占拠したことが不法であれば、憲法的権利を破棄したイ(李)政府は、どんな罪を受けると言うのか。
その上、イ(李)政府は、終始一貫国民を騙そうとした。‘安くて質のよい牛肉’から始まった嘘は、‘痛切な反省’(イ大統領の国民に対する談話)に至るまで、国民を続けて籠絡した。追加協議でまた誤魔化そうとしたが、その結果は不実極まりない物だった。結局、偽計によって国民に財産と健康上の害を与えようとしたわけだから、これよりもっと大きい罪が何処にあるのか?蝋燭示威に関し、不法云々言う資格がイ(李)政府にはない。公権力は国民の生命と財産を保護する為の物理的力だ。軍は外敵から、警察は犯罪から国民を保護する。しかし、公権力も無力なぐらいに、厳格な法的根拠に従い公益のために使用されるように規制を受ける。法にもとずかないものや私的利益に利用されるときは、ならず者の組織暴力と違いは無いからだ。
不幸にも、われわれの政治史は国家暴力で染まった歴史だった。歴代政権は、公権力を民主主義と人権の為に行使することよりは、個人の長期執権と政権維持に利用した。現代史を貫通した民主化運動は事実公権力の民主化運動だと言うのも、言い過ぎではない。この部門で去る20年、刮目に値する成長を遂げ、検察が法務長官の指揮権を拒否することもした。しかしこの政府の下で検察は、前職高位幹部の言葉通り、‘われわれは×だ。噛むといって噛む’は集団で回帰する兆候をみせる。

示威(デモ)の、暴力的鎮圧だけではない。政権と守旧言論(訳注→朝鮮日報、東亜日報、中央日報などの)の嘘をさらけ出すのに、重要な役目をしたインターネット上の疎通と消費者運動に対する、広範囲な捜査でも現れる。<文化放送>PD手帳の捜査のために特別捜査チームを構成する上、チョン・ヨンス<韓国放送>社長に対する非常に奇怪な圧迫も同じだ。この政権の利害と直接関連されている事案だ。政権の待女(訳注→朝鮮・東亜など保守言論)は、批判がむしろ自慢のような様子だ。その結果、言論・表現の自由は重大な危機に追い込まれている。

政権の暴力が問題だった

キャンドル示威は、疎通に対する熱望の表示だった。一方主義と独善が継続され、政治が役割を果たせない状況から、市民達は直接自身の声を出すほか無かった。時には、乱暴に抗議して阻止した戦闘警察と、たまにいざこざもして物理的争いもあったが、キャンドル示威は疎通の熱望それ自体だった。しかしこの政府はこんな熱望を受容しなかった。反省のそぶりを見せるが振り返えればたわ言をいった。今は、(デモによる)経済危機論を掲げ(国民の)離間をはかり、色彩論(訳注→維新独裁時代軍政与党によって、政治勢力や民衆運動を新北勢力や、共産主義の「色」(アカ)分けで牽制攻勢した政策を指して言う。)を裏返して覆せ、孤立させようとして、暴圧的な鎮圧で抑えようとする。
公権力を包含して、政府が委任された権力を行使するとき最も重要な事が正当性だ。正当性は主権者の意思が反映される時、確保される。いま、イ・ミョンパク政府が出くわした危機は、国家暴力による正当性の毀損からはじまった。正当性の獲得の最初のボタンは、国民との疎通だ110年まえ2次万民共同会には政府代表も参席した。今、イ・ミョンパク政府は専制君主制だったその時にも及ばない。 
                                                         (訳 柴野貞夫)



〔解説〕

米国産牛肉輸入に反対する韓国民衆運動(キャンドルは示威)は、イ・ミョンパク政権の「実用主義」に名を借りた、新自由主義政策そのものとの対決へ向かっている。ソウル広場は毎日のように政府に抗議する民衆で埋まっている。「輸出のために米国の牛肉輸入は必要」だと、「追加交渉」で国民を誤魔化そうとしたが失敗した。民主労総を中心とする労働者部隊は、74日〜510万人をソウルに結集し首都圏闘争を戦う予定だ。この日キリスト教団体も合流すると言う。この広範な韓国民衆の正当な抗議行動に対し、イ・ミョンパクは、自らの政治的破綻を戦闘警察による暴力的弾圧でのりきる決意を固めた。
629日政府は、キム・ギョンファン法務部長官が読み上げる政府談話で、イ・ミョンパクの6月18日の口先だけの「反省」もそこそこに、「過激・暴力デモを助長・煽動したものを最後まで追及し検挙,厳正に司法処理する」と、自らの「国民の健康権を売り渡す」と言う不法行為を棚に上げ、軍政与党の性根を曝け出した。其の翌日には、いっせいに保守言論が政府を擁護して民衆を攻撃した。
630日付中央日報は「(デモ参加者を)口先だけで脅かす時はすぎた。(政府は)談話など乱発しながら行動をためらう時ではない。デモ主導者達が一昨日のような事態を続けたら、それは国民の安全にかこつけてこの国を破局に追いやることに違いない。これ以上時間をかけるな。断固たる法執行を延ばすな。政府と公権力が生きていると言うことを見せなければならない。」と露骨にハンナラ執権与党と韓国資本家階級の危機感を代弁して、民衆にたいする国家権力の暴力的動員をけしかけている。
72日には、ハンナラ党のイム・テヒ政策委員会議長は、デモ参加者を、「刑事責任だけでなく、民事責任も必ず問う」と威嚇した。
「偽計によって国民に害を与える国家権力」に抗議する国民の正当な意思を、国家の暴力装置を行使して蹂躙する事は、私的暴力でありそこに国家の正当性は無いとハンギョレは指摘する。また、イ・ミョンパクとハンナラが、国民への談話で、「(デモが)国家のアイデンティティーを毀損するもの」と言う根拠を、彼等が主張する同じ民主主義の次元で、痛烈に批判している。
イ・ミョンパクとハンナラによって、軍政時代を彷彿とさせる国家権力の暴力が、民衆の政治的表現の自由に対して行使されようとしていることに注視しなければならない。維新独裁時代、軍政によって育てられてきた言論界の「待女」たち、即ち、東亜・朝鮮、や、サムソン財閥の中央日報等は、今度はイ・政権の宣伝機関だ
対北敵対政策で、逆に北からも相手にされず、外交的にも行き詰まり、東北アジアの平和体制構築にも何の指導権も取れなくなったイ・ミョンパクの暗い見通しは、逆に韓国民衆にとっての明るい未来である。