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 (民衆闘争報道 <書評>小出裕章著「原発と憲法9条 201287日)

 

         <書評>小出裕章著「原発と憲法9条」(遊絲社)

 

 

○「原子炉」とは、核兵器の材料であるプルトニウムを製造する装置である。 

○核兵器の保持を一貫して追求してきた日本国家の原発政策。これに、我々はどう立ち向かえばよいのか。

 

                                           [柴野貞夫時事問題研究会]


小出裕章著「原発と憲法9条」(遊絲社)は、今日、世に出回っている、単なる「原発の安全性に対する批判」の書ではない。

氏はこの書で、福島惨事から「原子力発電」という国家の「エネルギー政策」の中に、核武装と言う明確な政治的目的があった事を、「原子炉」の構造そのものから、また国家の公式文書と政府の発言から、根拠を持って暴露している。

 

●元来原子炉」とは、核兵器の材料であるプルトニウムを製造する為の装置である。

 

小出裕章氏は、以下の様に指摘する。

・核分裂反応は、初めから爆弾向けの現象だったのです。                    

・“核分裂反応が原爆に利用されたのは不幸なこと”’と言う表現をする人がいるが、不幸でも何でもない。はなから、核分裂反応の持つ本質的性質を開花させ、ちゃんと爆弾に仕上げたにすぎない。「原子力の平和利用」と言うものはあり得ない。

・元来天然ウランは、核分裂を起こす(燃える)ウランは0.7%しかない。他の99.3%は、核分裂を起こさない(燃えない)ウランだ。

・この0.7%の燃えるウランを取り出して濃縮ウランとし、それを材料として原子炉内で核分裂を起こし(これこそ、広島型の原爆の爆発と同じ原理なのだ)、燃えないウランからプルトニウムをつくることができる。<原子力発電の為の原子炉>とは核分裂する物質「プルトニウム239」、つまり核兵器の材料を製造する装置そのものなのだ。(このプルトニウムを使った原爆が、長崎型の原爆だ)

・また、燃やしたプルトニウム以上の新たなプルトニウムを作る「高速増殖炉」(もんじゅ)は、いくたびかの重大事故を引き起こし、世界の各国が手を引いた危険千万な装置である。これにも拘らず、再稼働を狙う意図はなにか。核分裂を起こすプルトニウム239をより効率よくつくることができるからだ。

・既に日本は、内外の貯蔵量40t,原爆5000発以上を作る事が出来るプルトニウムを所持している、核兵器の所持を国策とする多くの根拠が明らかとなっている。

 

●日本国家は一貫して、核兵器の所有を意図してきた。

 

 氏は、日本政府は一貫して核武装を追求してきたと暴露している。198245日の参議院に置ける政府答弁で、「自衛のための必要最小限度を越えない戦力を保持する事は、憲法によって禁止されておらない。従って、右の限度にとどまるものである限り、核兵器であるとを問わず、これを保持する事は禁ずる所ではない。」
また、1969年の外務省「我が国の外交政策大綱」は、「・・当面核兵器は保有しない政策はとるが、核兵器製造の経済的・技術的能力は常に保持するとともに、これに対する掣肘は受けない様配慮する。」と、日本政府は公式的に核兵器の保持を主張してきたと指摘する。

既に54基の原発から製造したブルトニウムの貯蔵量は、国内外あわせて40tに達する。原爆5000発以上を作る事が出来るプルトニウムを所持している事実に、世界は疑いの目で注視している。

 

●「騙されたのだから責任がないと言うのであれば、また騙されることになる。一人一人が自分の責任の重さを考えなければならない」

 

また、国策としての原発が、国民に対する差別と分断で支えられ、国民の多くが、それを黙認してきた事実を指弾する。

小出裕章氏の指摘する国家による原発政策における「差別政策」(過疎地の原発に無関心だった多くの日本人)は、「本土と沖縄」(米軍基地に苦しむ沖縄県民に、無関心なヤマトンチュウ)、「日本人と朝鮮人」(植民地支配40年だけではない。朝鮮戦争から現在まで、北部朝鮮半島への米国と日本国家の抑圧政策に加担し、民族の分断に我関せずの日本人)、「日本国民とヒロシマ・ナガサキの被爆市民」の分断差別につながる事を予見させる。そこでの日本国民の自己責任を鋭く問うているのだ。

氏は自分自身に対し、「(原発に固執する人々は)要するに核兵器を持ちたい、こう言う事だと思います。その事を知りながら何の抵抗もしないまま、生きていく事はできません」と自答する。そして、我々にも次の様に問う。「然し、騙されたのだから責任がないと言うのであれば、また騙されることになる。一人一人が自分の責任の重さを考えなければならない」と。

  

●戦争の影と平和憲法の蹂躙と戦う原発闘争こそが、次なる展望を切り開く

 

広島・長崎の虐殺と福島惨事、そして在日米軍基地の74パーセントを押しつけられた沖縄県民の苦しみは、戦争と核兵器と核発電の持つ、非人道的、非道徳的罪過と言う点で通底する。いま、日本の支配階級は、アジアの民衆に対する侵略戦争への、痛切な反省から生まれた平和憲法を蹂躙して、米国の核の傘で、アジアの民衆を威嚇し、隙あらば自らが核兵器で武装する事を企んでいる。

また35%の非正規職労働者の奴隷労働の犠牲の上に、新たな帝国主義的膨張を狙って、アジアに対する帝国主義的侵略戦争を画策している。

朝鮮民族に対する植民地支配の非人倫的罪業に、今なお反省すらせず、在日米軍基地の戦艦と爆撃機に、核兵器の搭載を許容し、日・韓・米三角軍事同盟を通して、朝鮮民主主義人民共和国への核の威嚇と核侵略戦争の準備に手を貸している。

小出裕章氏は本書で、自分達の核開発は<原子力開発>であっても、朝鮮民主主義共和国やイランの<原子力開発>は<核開発>だと、言葉のまやかしで世界の世論を誤導する帝国主義者共のペテンも、差別政策だと指摘する。

小出裕章氏は本書で、日本国家の原発政策と、執拗な原発再稼働への動きの背景に、この様な戦争の影と平和憲法を蹂躙しようとする国家の反民衆的意思を捉え、国民が、今なすべき行動と責任を問おうとしている。

「原発から命と子供を守れ」と言う国民運動は、福島からヒロシマ・ナガサキへ、そして沖縄の米軍基地撤去の闘いへと一つに繋がる時にこそ、国家と資本家階級による核開発と原発再稼働を阻止し、日米安保条約の破棄と平和憲法改悪策動を打ち破る闘いとしての展望がみえてくる。

この書は、日本の国家と、資本家階級が、何故執拗なまでに原発再稼働にこだわるのかと言う理由が、べらぼうに投資された原発設備投資の回収にだけあるのではなく、極東アジア諸国に対し、米国の傘ではなく、核による独自の軍事的プレゼンスの確立を狙っている日本国家の帝国主義的戦略にある事を明確に指摘している。

 

●小出氏は、国家と資本家階級が原発を推進する為に、今も国民をたぶらかしている、欺瞞と捏造を分かりやすく解説している。

・化石燃料が地球上から枯渇していると言う嘘

・未来のエネルギーと言う嘘

・コストの安い電力と言う嘘

・クリーンなエネルギーと言う嘘

・原発がなくなれば電気が供給できないと言う嘘

・福島原発4号基を始めとする、未だ進行中である事故状況の隠蔽

小出裕章氏著「原発と憲法9条」は、今後の原発再稼働阻止と、原発の全面的廃絶に向けての闘いの方向性を暗示している。氏のこの度の著作が、原発廃棄の運動に大きな理論的武装を与えるだけでなく、原発から「命と子供を守れ」と言う国民の叫びが、核武装と言う国家の不条理な目的を暴き、戦争策動に反対し、憲法を守る闘いへとつながる事によって、運動の未来を切り開かなければならない事を示唆している。
原発再稼働阻止の国民的運動が、平和憲法を守り、日本国家の核武装と戦争が出来る国作りに反対する闘いへと向かうために、我々は氏とともに闘う。

 

小出裕章氏の「原発と憲法9条」は、原発反対運動を闘う全ての国民にとって必読の書である。この著作の購入を呼びかけよう。


                                                (柴野貞夫 201287日)

 

 

 

○小出裕章著「原発と憲法9条」(遊絲社)1470
http://www.yuubook.com/center/


<発行所 遊絲社>

奈良県大和郡山市小泉町3658 電話/ファックス (0743529515