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(民衆闘争報道 「藤原好雄さんの逝去を悼む」2015年6月26日付)



             相手が諦めるまで闘い続ける



    −奈良県が生んだ偉大な労働運動・平和運動家、藤原好雄さんの逝去を悼む− 

         
▲上 「沖縄高江・辺野古につながれ!沖縄の課題を私たちの課題にする11・25奈良集会」(2012年11月27日)での藤原好雄さん(写真出処−柴野貞夫時事問題研究会)
この集会で、共催者側挨拶に登壇した藤原さんは、「琉球処分に始まり、日米戦争で本土の盾となって、地上戦と言う犠牲を国家から押し付けられ、日本の独立後も沖縄だけが、1972年5月まで米軍の占領下に放置された。それだけではない。現在に至るも、日本全土の0.6%に過ぎない沖縄に、在日米軍基地の74%が集中している。国家によるこの沖縄差別の実態と沖縄県民の苦しみを、本土国民は直視しなければならない。オスプレイの本土低空飛行訓練の計画は、我々本土国民(ヤマトンチュウ)が、否応なしに沖縄の課題を自らの課題として捉えねばならぬ事態となっている」と指摘した。

                      追悼の辞

 藤原好雄さんが、去る5月17日に逝去されました。1932年に現在の田原本町で生まれ、享年82歳でした。昨年11月、新たなガンが肺に見つかり、手術をするかどうか迷っておられました。「安倍政権を倒すために、もう少し動きたいから」と、意を決し12月に手術をおこないました。1月には退院され、わたしたちは安心していたのです。 
 4月18日、「天理・柳本飛行場跡の説明板撤去について考える会」主催の集会では開会挨拶をおこなうまでに回復されていました。しかし、これが最後の闘いとなってしまいました。わたしが藤原さんに会えたのも、この集会が最後となりました。この集会で、藤原さんは今年1月31日に亡くなったワイツゼッカーの「過去に目を閉ざす者は、現在も見えない」という言葉を引用し、強い調子で歴史修正主義者を批判していました。安倍政権に対する怒りでもあり、私の記憶に焼きついています。また、「戦争に反対する我々の闘いは、まだまだ弱い。ガンジーに学び、相手があきらめるまで、とことん闘いぬくことが必要だ。生あるかぎり、私は闘いぬく」と決意を語っておられました。

安倍政権との闘いは藤原さんにとって人生をかけた闘いであり、その途上で逝かれることとなり、さぞかし心残りであったと思います。

 そもそも藤原さんとの出会いは、外登法・入管法に反対する集会でした。その集会賛同をいただきにいったのが始まりです。1989年頃であったと思います。1998年に、私たちは有事立法に反対する「なくそう戦争、100万人署名運動・奈良県連絡会」を作りますが、藤原さんは前年にできた日米安保の新ガイドラインに強く危機感をいだいておられ、それで奈良県連絡会の事務局代表になっていただきました。約10年間、藤原さんと共に街頭で署名を集め、ビラをまき、集会をおこなってきました。「沖縄の高江・辺野古につながる奈良の会」として、今日も活動しています。

 藤原さんは、生涯にわたって戦争反対の反戦運動、生産拠点に根ざした労働組合運動、差別に反対する住民運動をおこなってきましたが、藤原さんにとってこれらは一体でした。その背景には朝鮮人問題がありました。柳本飛行場での戦争体験とその朝鮮人強制連行の掘り起こし、戦後の在日朝鮮人の闘いについて、近代の朝鮮侵略・植民地化の歴史について、朝鮮からの渡来人の歴史など、藤原さんはこれらをライフワークとしてこられました。私どもは藤原さんから学習会やフィールドワークの講師をしていただき、これらを教えていただき、学んできました。 

 戦争反対の運動について、藤原さんは「わしは何も変わっていないのに、いつの間にか周りがいなくなってしまった」と、よく言っておられました。こういうこともあり、新左翼の反戦運動にも理解を示していただき、行動をともにしていただきました。

藤原さんは何よりも運動家であり、実践家でした。闘争現場に足を運ばれました。イラク派兵反対闘争では、迫力あるアジテーションで集会をまとめていました。これらのことを、つい先日のように覚えています。

 今年4月27日、再び日米安保のガイドラインが改悪されました。また、戦争法案(安全保障関連11法案)が国会に上程されました。もう少し藤原さんの力を借りたいところでしたが、それも叶わなくなってしまいました。

 藤原さんが亡くなられた5月17日、私たちは橋下大阪市長の「大阪都構想」をうち砕きました。戦争法案を廃案にするには60年・70年安保闘争をこえる闘いが必要です。この事については、藤原さんはきっと心残りであったと思います。しかし、その精神は闘う人々の中に生きつづけ、受け継がれていきます。私どもは藤原さんの遺志を受けつぎ、かならず戦争法案を廃案にし、安倍政権を打倒します。藤原さん、今はしばらく見守っていてください。長い間、ありがとうございました。
                         (「沖縄の高江・辺野古につながる奈良の会」 寺田 理)