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日本国家の戦争犯罪糾弾シリーズC (2015年8月20日



侵略と植民地支配を正当化し、中国と朝鮮民衆に犯した戦争犯罪を否定する安倍談話を糾弾する


                                                  柴野貞夫時事問題研究会


@ 安倍は、8月14日の<安倍談話>で、中国・朝鮮をはじめとするアジアに対する日本の「侵略、植民地支配」を、「侵略と植民地支配を実行した主体である日本国家」を曖昧にした一般論として記述し、日本の戦争犯罪に対する責任と謝罪と反省を、全面否定した。
A安倍が、 朝鮮半島の植民地支配と一体的に遂行され、植民地朝鮮の足場を固め、中国東北部(旧満州)の侵略を推し進める為の帝国主義略奪戦争である「日露戦争」を、“植民地支配の下にあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた”と賛美する事は、日本国家による朝鮮半島に対する侵略と40年にわたる過酷な植民地支配が正当であったと主張することと同じである。これほど、朝鮮民族を冒涜し、愚弄する態度はない。安倍が<談話>において‘朝鮮’と云う言葉を、一句たりとも使わなかったのは、日本国家の朝鮮半島と朝鮮民族に対する植民地支配の歴史的事実を正当化しようと目論んだからである。
安倍が、「韓国」と云う単語を、アジアの諸国の国名の中の、その他多勢の一つとして、1回だけ使った狙いもそこにある。
B 1905年の「乙巳條約」(第2次日韓保護条約)から1945年の日帝敗亡に至る40年間の日本の植民地支配は、朝鮮民族の言語と文化の抹殺、独立運動に対する死の弾圧、処刑と拷問、性奴隷と強制労働に象徴される、日本国家による朝鮮民族に対する非人倫的蛮行である。安倍が、朝鮮植民地支配について一切の言及を避けたのは、日本国家の、この犯罪行為への謝罪と反省を回避し、否定するために他ならない。朝鮮民族に対する日本の帝国主義支配には、如何なる問題もなかったと主張しているのだ。
C 日本軍の「性奴隷」である「慰安婦」は、日本国家による組織的な非人道的戦争犯罪としてではなく、「女性一般の人権問題」に捻じ曲げ、犯罪行為の主体である日本国家自身の責任をすり抜けている。安倍は、今も執拗に、「強制連行」も「国家の関与」も無かったと主張しているのだ。
D 日本が「戦争への道に向かわざるをえなかった」のは、「列強が、植民地経済をブロック化し、日本が孤立せざるを得なかった」からだと、長々と言い訳し、自己合理化の長舌をまくし立てているが、自らも列強の端くれとして植民地経済のブロック化を狙い、植民地経営による他民族支配を通して軍国日本の延命を図って来た事にしらを切っている。それによって、アジア侵略を正当化しようと試みているのだ。
E 「基本的価値観を共有する者と手を取り合う」と云うのは、米国を中心とする軍事同盟国と手を結び、公然たる中国への敵意を露わにしているフレーズだ。「日米ガイドライン」締結時の安倍の演説を想起させる。
F 安倍は、“あの戦争には何ら関わりのない私達の子や孫、そしてその先の世代の子供達に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません”とぬけぬけと言った。
日本国家によるアジアの諸民族に対する侵略と植民地支配の歴史に向き合わず、数々の戦争犯罪に対する取るべき責任も取らず、それを執拗に回避しながら、隙あらば、アジア侵略と植民地支配の歴史を正当化しようと目論む国家主義者・安倍が、侵略の歴史と戦争犯罪に対する反省も謝罪もする意思がない事を、次の世代にかこつけて正当化しているだけである。「謝罪」とは、繰り返してはならない歴史を、子から孫へと語り継ぐ責任と行為の事を言うのである。
日本人がアジアの諸国民に対して、正しい歴史認識を持った人間として向き合うことを示す言葉である。アジアの民族と民衆に対する、繰り返してはならない植民地支配の歴史を経験した民族の、世代を跨ぐ歴史の教育を引き継ぐと言う言葉である。それを「宿命」というなら、自分達にとっても、アジアの諸民族にとっても、尊厳を持って自慢できる宿命ではないか。
戦争を正当化し、また賛美し、真実の歴史を否定しながら、一方で「戦争と植民地支配にさよならを告げる」と言う理屈に合わない<安倍談話>は、世界とアジアと日本の民衆を誑かす詭弁である。こんな不埒な人物が、「世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献する」と主張する事に、どんな真実があると言うのだろう。
安倍は、8月14日の<安倍談話>のあと、記者団の質問に答えて“どのような行為が侵略に当たるかは、歴史家の議論にゆだねるべきだ”と答えた。
我々時事問題研究会は、安倍に、中国国家公文書局の『中国侵略日本人戦犯供述書選』を読むことを薦めるものである。
安倍の様なパラノイアでも、“どのような行為が侵略に当たるか”“侵略戦争とは何であるか”を、少しは、理解することが出来るかも知れないから。