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(民衆闘争報道/天理・柳本飛行場跡説明板設置集会・除幕式 2019年4月13日)


  4・13、天理・柳本飛行場跡説明板日韓同時設置集会と除幕式


柳本飛行場の説明板撤去について

 4月13日(土)、「天理・柳本飛行場跡説明板日韓同時設置集会」と説明板の除幕式が天理市内でおこなわれた。主催は「天理・柳本飛行場跡の説明板撤去について考える会」と「天理・柳本飛行場跡の説明板日韓同時設置プロジェクト」。
 大和海軍航空隊大和基地(通称:柳本飛行場)の建設は、1943年秋からはじまった。建設は大林組がおこなった。 この飛行場建設には朝鮮半島出身者がたくさん動員されている。朝鮮人労働者の数は1000人〜3000人とも言われているが、正確な記録は残っていない。動員には2つのタイプがあった。すでに日本に住んでいた労働者と強制連行された労働者だ。
 柳本飛行場跡説明板は、天理市と天理教育委員会によって1995年8月に設置された。この説明板には朝鮮人強制連行の事実と朝鮮人「慰安婦」の存在が明記されていた。(右写真参照。銘板には、天理市と天理市教育委員会の名前が記されている。)
 2014年2月ごろ、「在特会」関係者が天理市に「(「慰安婦」などの記述は)事実ではない」というメールや電話をおこなった。この圧力に屈して、天理市(並河健市長)は説明板を撤去したのだ。天理市は「(強制連行には)いろいろな歴史認識があり、国の動向を見ながら検討していきたい」と言っている。つまり、国の方針に従うということだ。日韓市民による再設置の要請にもかかわらず、説明板は撤去されたままになっていた。
 2019年4月13日、市民の手によって新たな説明板が設置された。天理市の姉妹都市でもある韓国・瑞山(ソサン)市にも同じ内容の説明板が設置される。瑞山市につくられる説明板はキリスト教会の敷地内に設置され、除幕式は7月初旬になる予定だ。

4.13日韓同時設置集会がおこなわれた
 4月13日、日韓同時設置集会は13時から天理市の丹波市(たんばいち)公民館でおこなわれた。この集会には韓国や在日朝鮮人の運動団体の人びとをはじめ110人が参加した。

 「日韓同時設置プロジェクト」事務局長の川瀬俊治さんが経過と意義報告をおこなった。川瀬さんは説明板再設置の意義を次のように述べた。@市民の手によって再設置を実現した。A韓国・瑞山市民との日韓同時プロジェクトとしておこなわれている。特に、説明板の記述内容について、双方が合意したこと。B今後とも天理市に再設置を要求していく。C植民地支配と強制連行の歴史を後世に伝えていく。
 また、「天理飛行場跡説明板再設置を推進するソサン市民の会」、「アイ女性会議なら」、「部落解放同盟奈良県連合会」、「多文化共生フォーラム奈良」の各代表から、連帯のあいさつがあった。
    
      ▲4.13丹波市
(たんばいち)公民館にて


説明板の除幕式

 集会後、天理駅からJR線に乗り、長柄駅で下車。設置場所に徒歩で移動した。説明板は白堤神社のすぐ南側の道路に面して立てられている。15時から「天理・柳本飛行場跡説明板除幕式」がおこなわれた。
 はじめに、在日本朝鮮人総聯合会と在日本大韓民国民団からこの除幕式に参加していることが報告され、、参加者が紹介された。その後、除幕された説明板の前で集会がおこなわれた。
 「日本『軍慰安婦』ハルモニと共に行動する統営(トンヨン)巨済(コジェ)市民の会」の代表が、「記録されない歴史は記憶されないと言います。歴史を後世に残していく活動をしているみなさんに敬意を表します」とあいさつした。2015年10月、この会は韓国で集めた1万筆をこえる署名を天理市に提出したが、並河市長は面会を拒否した。
 最後に、川瀬俊治さんが集会アピールを読み上げた。「今日、日韓市民による歴史的な説明板を設置する新たな市民運動が始まりました。私たちは説明板の日韓同時設置を契機に、天理市と瑞山市はもちろん、統営市を初めとする韓国の市民との交流を深めていくことを目標にしています。新たな市民運動が今後各地で広がることを祈念し、本集会のアピールとします。」

 集会アピールを参加者全員の共通認識にして、この日の除幕式を終えた。



▲新たに設置された説明板(日付は、天理市が説明板を撤去したのと同じ日になっている)


説明板の内容

説明板の記述は下記のとおり。同じ文言で、ハングルでも書かれている。

 1943年秋ごろから海軍(海軍施設部)による柳本飛行場の建設がはじまりました。建設を請け負ったのは大林組です。
 工事は川の付け替えや神社・寺の移転、農地の廃棄をともなうもので、県内の児童・生徒・学生などの勤労奉仕や在日朝鮮人労働者も加わって工事が進められました。飛行場の用地は300ヘクタール。労働者不足から、朝鮮半島から朝鮮人を強制連行して工事を進めました。飛行場建設に関わる朝鮮人の数は2000人とも3000人ともいわれています。
 強制連行された男性は戦後、次のように証言しています。
 「私の村からは4人いた。とにかく韓国人は多かった。」
  (宋將用さん・忠清南道論山)

 「貨物列車に乗せられ、柳本に着いた。帰国時は日本人が引率した。」
  (嚴占秀さん・忠清南道公州)

 証言では、約20人の朝鮮人女性が慶尚南道から強制連行され海軍施設部内の「慰安所」に送られています。女性たちは、戦後に助け出されたものの、一人が現在の韓国統営市の故郷に遺骨となって帰国しています。また、強制連行された金海永さん、金哲九さん、張廣先さんが亡くなり、近隣の寺で葬られたことがわかっています。飛行場への米軍による空爆で朝鮮人女性や動員列車の事故で日本人小学生も亡くなっています。
 これらの歴史の事実を明らかにし正しく後世に伝え、平和を希求する日韓両市民(姉妹都市天理市と韓国忠清南道瑞山市)で同時に説明板を設置します。

           2019年4月18日 天理・柳本飛行場跡の説明板日韓同時設置プロジェクト


   
▲「説明板」のなかにある柳本飛行場の写真。1945年10月12日、米軍が撮影したもの。日本軍の戦闘機ゼロ戦が並んでいる。米軍によって武装解除された時、ここには11機種140機があった。