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(民衆闘争報道 京都同胞時局講演会 201338日 於京都)

  

  [時局講演](その1)
       
緊張激化、朝鮮半島情勢−激動2013年 朝鮮の戦略は?


                    講師;キム・ジヨン(金志永) 朝鮮新報社副編集局長

 

<時局講演会の記録>

司会者 本日の時局講演会は、我々の祖国、朝鮮民主主義人民共和国による国際法上の正当な衛星打ち上げの権利に対し、これを侵害し妨害するアメリカなどの政治外交的軍事圧迫を契機として、朝鮮半島を巡る情勢が極度の緊張の中で、情勢の性質とその本質、その性格と展望を、主体的且つ適切な観点から認識して頂ける様、当講演会を開催することとなりました。

講師の招介です。講師であるキム・ジヨン(金志永)先生は、1966年京都に生まれ、1989年朝鮮大学校・政治経済学部を卒業され、同年「朝鮮新報社」に入社、現在は編集局副局長として活躍されています。1990年代からピョンヤン支局特派員として、2004年からは同支局長として、朝鮮各地での政治・経済・文化、人民生活など多方面のジャンルを取材されて来ました。

ピョンヤン、ソウルなどで行われた「南北高位級会談」で、北側取材団メンバーとして随行されただけでなく、北京での「六者会談」、中国・ベトナム・モンゴルで行われた「朝・日会談」などを現地で取材されました。

2012年には、6か月にわたり朝鮮に滞在取材され、日本には殆ど報道されない本当の朝鮮を、誰よりも良く知る方であります。

キム先生の配信される記事は、南朝鮮の連合(ヨンハップ)通信を始め、世界各国の朝鮮ウオッチャーが注目するところです。

本日は、「緊張激化・朝鮮半島情勢とオバマ政権の選択」と題し、1時間講義して頂きます。講義のあと、若干の質疑応答を予定しております。

キム先生、宜しくお願いします。



[キム・ジヨン(金志永) 朝鮮新報社副編集局長の講演]

 

●米国とのパワーバランスの変化を通して、経済復興を約束した朝鮮首脳部

<朝・米対決の背景が、ここにある>

「朝鮮新報」で記者をしていますキム・ジヨンと申します。今日は、情勢の話をしたいと思います。

昨日、朝鮮の第3回目の核実験に対する国連安保理の制裁決議が採択されました。それに先立って朝鮮は、遂に、停戦協定の白紙化を宣言しました。

採決を主導したアメリカは、31日から大規模な軍事演習を行っています。これに対し朝鮮は、戦争が起こるかも知れないとして、自衛的措置として停戦協定白紙化を言っています。

今同胞の間では、緊迫する朝鮮情勢の中で、戦争が起こるのではないか、ウリナラは何を考えているのか、今の強硬姿勢は勝算があってやっているのかと、憂慮する声もあるそうです。

今、情勢の話をする前に、確認して置きたいポイントがあります。

キム・ジョンウン時代の朝鮮、即ち現在の朝鮮は、過去の朝鮮と違うと言う事です。キム・イルソン(金日成)主席、キム・ジョンイル(金正日)総書記時代の路線の継承をしていますし、当事者もそういっています。しかし、その上にたって、今、朝鮮の国力、朝鮮の国際的地位(世界に占める地位)が変わったと言う判断に基づいて、その新たなレベルで政治、経済、軍事政策を展開していると言う事です。

その点が見えず、それを無視していると言う事で、日本のメデイアは未だに、90年代の‘瀬戸際外交’と言う単語を使いながら、今の朝鮮を解説しようとしています。そこの無理があります。朝鮮自身が、前とは違うと言っているわけです。

今の朝鮮首脳部の、ものの見方、考え方を凝縮した演説があります。

昨年4月15日、キム・イルソン(金日成)生誕100周年を記念するピョンヤンでの閲兵式(ヨンビョンシク)がありました。キム・ジョンウン(金正恩)第一書記がはじめて演説をしました。ここに若きリーダーの戦略的思考が凝縮された幾つかの文言があります。

「もう、アメリカは核で朝鮮を威嚇する事は出来ない。朝鮮半島で戦争を挑発する事は出来ない。」と言い切ったわけですね。最高指導者が何の根拠もなく、言う事は出来ません。「今後は、朝鮮人民が他の国を羨むことのない、本来の社会主義朝鮮を立て直し、経済復興をする、経済を立て直す。」今迄は色んな事情があって出来なかったが、基本的には「安全保障環境が整のったのでやる事が出来る。」と言うわけです。朝鮮人民は、この演説を聞いて泣きました。厳しい時期を経験して来たからですね。戦争は出来ない。平和であると言う前提で、こんな公約が出てきました。8090年代、冷戦崩壊後、非常に厳しい時期がありました。朝鮮にとって失われた20年です。

この演説の二つの観点、まずは朝・米の軍事的力量関係、パワーバランスが変化したと言う事、そのために朝鮮の経済復興戦略が本格的に始まると言う事、

この二つの視点が背景にあって、今の朝・米対決がある訳です。これが重要なポイントだと思います。

 

●国際法でなく、自分達の理屈で朝鮮を制裁する五つの常任理事国

 <ウリナラは、この様な不条理を受け入れる国ではありません。>

それでは、チャイサラボジャ、経済復興する為に何故核実験をやったのかと言う事ですね。去年ウリナラが1212日に人工衛星を打ち上げました。それに対し国連安保理はそれを制裁の対象としました。

国際政治は、ものごとの基点を何処に見るのか、今回のすべての出発点はここにあります。朝鮮の人工衛星を制裁の対象としたのは、何を根拠にしているのか。国際法に基づいているのか?そうではありません。朝鮮は、宇宙の平和利用を定めた国際法―宇宙条約に沿って打ち上げたのです。

一方、国連安保理は、何に基づいて制裁決議をしたのか、核保有国である5常任理事国は、「軍事衛星」を何度も打ち上げてきました。これ等の国が、朝鮮にだけ適用する規制ルールを作ったのです。彼等は、弾道技術を使った如何なる衛星も打ち上げてはならないと言う。人工衛星を打ち上げるロケットと弾道ミサイルは同じ技術です。他の国が衛星を打ち上げる場合もそれは同じです。唯このルールは、朝鮮にだけしか適用されないのです。

全ての国々に、衛星を打ち上げる権利はあるが、朝鮮にはその権利はないと言うのです。その上、処罰の対象にすると脅して来たのです。自分たちの理屈で制裁をしたのです。

その事によってその直後から、どうゆう事が起こったか、制裁決議が出て5日後、米国は迎撃ミサイルの実験をしました。ペンタゴンが発表をしました。自分達のテキサスの基地から打ち上げたものが、宇宙空間に上がり正常に作動したと言うのです。これは明確な宇宙の軍事利用です。堂々と、臆面もなくやったと公表しているのです。

その前日、中国も迎撃ミサイルの打ち上げ実験をしましたこれ等は「衛星」ではありません。同じ技術を使った「軍事ミサイル」です。

日本はどうか?アメリカが打ち上げた同じ日に衛星を打ち上げています。「情報収集データ4号」と言っていますが、軍事目的のスパイ衛星である事は「北朝鮮を監視するため」と公言している事からも明らかです。

130日、南朝鮮でも、ロシアの力を借りながら、やっと「衛星」打ち上げに成功しました。南朝鮮は、「非常任理事国」として今回の朝鮮に対する安保理の制裁決議に加わった。自分達は、衛星であろうが軍事ミサイルであろうがOKだが、「朝鮮は駄目だ」と言う、この不条理、不公平、これが「国際社会」の現実なのです。ただ、ウリナラ、朝鮮と言う国は、この様な不条理をそのまま受け入れる国ではありません。

今回の様に、「衛星の打ち上げ」が制裁の対象になったのは(核実験は別として)初めてです。前回、2009年の打ち上げでも、非難はしましたが制裁はしていません。とうとう人工衛星までが制裁対象になったのです。朝鮮は、‘アメリカは、越えてはならない一線を超えた’と判断したのです。朝鮮が超えたのでない、アメリカが超えたのです。

 

朝鮮の核は、自分を守る為の核戦争抑止力である。

 <長い時期、‘言葉でなく行動で’米の核威嚇を受けてきた朝鮮>

朝鮮は今まで20年間、核問題をテーマに米国と対話をして来ました。目標は朝鮮半島の非核化です。これは今後、もう無いだろうと。アメリカとは対話できない。“アメリカは、敵視政策を止めるつもりはないらしいと。であるから、我々も今後、非核はしない。核兵器は持ち続ける。人工衛星を打ち上げる権利も力で守る。敵視には力で守る”と外務省も国防委員会も表明したのです。

この様に、我が外務省・軍が表明したらどうなったか。その途端米国は、チョソントンヘ(朝鮮東海)で、予定のなかった軍事演習を、いきなり始めたのです。それには南朝鮮軍も参加しました。米国はこれに、核原子力潜水艦<サンフランシスコ>を投入しました。これは兵器として、弾道ミサイルとは違う怖さがあるものです。目には見えない、レーダーに映らない、敵の近くまで行って核ミサイルを撃つわけです。この<サンフランシスコ>が朝鮮東海に入ったのは、19年ぶりです。1994年以来です。これには核ミサイル・トマホークが搭載されています。トマホークは射程1000kmです。90年代の湾岸戦争でイラクの軍事施設をチョトンヘッコリ、灰塵で更地に帰してしまいました。

実はこの2月の演習の直前に、こうゆう事がありました。<核搭載型―ステルスB2>が、米本土から2機、グアムに投入されました。ハリウッド映画で今、<エネシーライン>と言うのがあります。三部作の二部は、「北朝鮮潜入編」となっています。このポスターに<ステルスB2が映っていますね。この内容は、「北の核秘密基地を破壊すべく、B2が投入されたと言うのです。米国民がこれを見たら、B2が投入されたと言う事は朝鮮への攻撃と見ます。

どんな内容かと言いますと、「アメリカと北朝鮮は、第二次世界大戦以降も一触即発の緊迫した対立関係の中で、北朝鮮が秘密基地内に核ミサイルを保持しているとの情報がホワイトハウスにとどいた。その基地の破壊作戦に任命された米海軍の・・・」と言うものです。

南朝鮮の軍当局者から朝鮮への先制攻撃発言が、実際に出ているのです。南朝鮮合同参謀本部議長、ジョン・スンジョは、“核攻撃を受ける前に、先制攻撃すべき”と好戦性を剥き出しにしています。

1994年、クリントン政権は朝鮮への軍事攻撃をスタンバイしたが、キム・イルソン、カーター会談で対話局面に入り戦争は回避された。

<当時の米国防長官、ウイリアム・ペリーは、今、“軍事攻撃で北の核施設を除去する事は不可能だ。94年も不可能だったが、今はもっと不可能だ。あるがままのノースコリアを受け入れて、認めなければならない。その道しかない”>と指摘している。

1994年朝鮮で何があったのか、当時も朝鮮半島は緊迫状況にありました。第一次核危機です。クリントンは、ウリナラのヨンビョン核施設への軍事攻撃を計画しました。土壇場でこの計画は取りやめになりました。カーター前大統領がピョンヤンに行き、キム・イルソン(金日成)主席と会談をして、核問題を対話で解決しましょうとなった。ここで対話局面へ入いりました。

それは、米軍が、朝鮮への軍事攻撃がどんな結果をもたらすか、南の基地はたくさんありますね、コンピューターで試算した結果、自分達が蒙る被害状況が想像したより甚大である、これでは戦争に踏み切れないと悟った結果です。このような動きの中で、対話局面にはいったのです。

今、衛星を対象にした制裁の動きの中で、米国の取っている一連の行動は、当時と良く似ています。ではその方向に行くのかと言う問題ですが、ここに興味深い発言があります。

1994年、ヨンビョン爆撃が予定された当時の米国防長官、ウイリアム・ペリーさんは、クリントン第二期目では、<朝鮮問題調整官>でした。この人は、朝鮮核問題は包括的に、対話でしか解決出来ないとした「ペリープロセス」を進めた人です。この人がこのような状況の中でソウルにいました。米国の通信社の「今朝鮮問題は、94年の様な状況ではないですか?」とのインタビューを受けて、こう答えた。「軍事攻撃で北の核施設を除去する事は不可能だ。94年も不可能だったが、今はもっと不可能だ。」と。
(編集者注)
「米軍は、作戦計画を検討した結果、米兵の死者80000100000、南朝鮮塀490000以上、軍・民合わせ、100万の死者と予測。それでも、当時ぺりー国防長官は、極東米軍1万、空母、ステルス戦闘機、核潜水艦を配備、戦闘体制に入った」(『二つのコリア国際政治の中の朝鮮半島』オーバード・ファー著)
じゃどうするのか。「米、日、南が一つとなって、ノースコリアと向かい合うしかない。あるがままのノースコリアを受け入れて、認めなければならない。その道しかない」といったのです。アメリカの政府中枢で8年間、朝鮮問題に携わってきた人です。「米、日、南が一つとなった圧力を加えろ」とは言っていません。(ぺリ―の)こんな論調は、日本には全くありません。こんな声が出ないと言うのが日本や日本のメデイアの大きな問題です。これ(圧力論)が日本の「常識」になっているのです。オバマの先輩にあたる人ですが、オバマはペリーの助言を聞いたのかどうかはわかりませんが、今は、米国は違った方向に力を行使しています。そのようになっていません。

朝鮮はこの間、3回核実験をやりました。2006年、2009年、今回と3回ですね。朝鮮労働新聞の一面にでました。自分たちが持っている核兵器に就いてこう言っています。「核戦争の脅威にさらされている国が、自分を守る為に持った核戦争抑止力の為の核だ」と指摘しています。アメリカはそれどころではありません。アメリカは「核大国」です。「核兵器で攻撃するぞ」と、言葉でなく行動で示している国です。

米国が<核搭載型―ステルスB2を投入すると言う事、核原子力潜水艦<サンフランシスコ>を投入すると言う事は、そう言う事なのです。あからさまな恫喝を続けているのです。朝鮮人民は、米国によるこの様な具体的な核の脅威を受けているのです。傲慢な大国によって、自主権、生存権を侵害されている事から    自分達を守らなければならないと言う状況が長い間、続いてきたのです。

1994年朝鮮で何があったのか、当時も朝鮮半島は緊迫状況にありました。第一次核危機です。クリントンは、ウリナラのヨンビョン核施設への軍事攻撃を計画しました。土壇場でこの計画は取りやめになりました。カーター前大統領がピョンヤンに行き、キム・イルソン(金日成)主席と会談をして、核問題を対話で解決しましょうとなった。ここで対話局面へ入いりました。

それは、米軍が、朝鮮への軍事攻撃がどんな結果をもたらすか、南の基地はたくさんありますね、コンピューターで試算した結果、自分達が蒙る被害状況が想像したより甚大である、これでは戦争に踏み切れないと悟った結果です。このような動きの中で、対話局面にはいったのです。

今、衛星を対象にした制裁の動きの中で、米国の取っている一連の行動は、当時と良く似ています。ではその方向に行くのかと言う問題ですが、ここに興味深い発言があります。

1994年、ヨンビョン爆撃が予定された当時の米国防長官、ウイリアム・ペリーさんは、クリントン第二期目では、<朝鮮問題調整官>でした。この人は、朝鮮核問題は包括的に、対話でしか解決出来ないとした「ペリープロセス」を進めた人です。この人がこのような状況の中でソウルにいました。米国の通信社の「今朝鮮問題は、94年の様な状況ではないですか?」とのインタビューを受けて、こう答えた。「軍事攻撃で北の核施設を除去する事は不可能だ。94年も不可能だったが、今はもっと不可能だ。」と。

じゃどうするのか。「米、日、南が一つとなって、ノースコリアと向かい合うしかない。あるがままのノースコリアを受け入れて、認めなければならない。その道しかない」といったのです。アメリカの政府中枢で8年間、朝鮮問題に携わってきた人です。「米、日、南が一つとなった圧力を加えろ」とは言っていません。(ぺリ―の)こんな論調は、日本には全くありません。こんな声が出ないと言うのが日本や日本のメデイアの大きな問題です。これ(圧力論)が日本の「常識」になっているのです。オバマの先輩にあたる人ですが、オバマはペリーの助言を聞いたのかどうかはわかりませんが、今は、米国は違った方向に力を行使しています。そのようになっていません。

朝鮮はこの間、3回核実験をやりました。2006年、2009年、今回と3回ですね。朝鮮労働新聞の一面にでました。自分たちが持っている核兵器に就いてこう言っています。「核戦争の脅威にさらされている国が、自分を守る為に持った核戦争抑止力の為の核だ」と指摘しています。アメリカはそれどころではありません。アメリカは「核大国」です。「核兵器で攻撃するぞ」と、言葉でなく行動で示している国です。

米国が<核搭載型―ステルスB2を投入すると言う事、核原子力潜水艦<サンフランシスコ>を投入すると言う事は、そう言う事なのです。あからさまな恫喝を続けているのです。

朝鮮人民は、米国によるこの様な具体的な核の脅威を受けているのです。傲慢な大国によって、自主権、生存権を侵害されている事から    自分達を守らなければならないと言う状況が長い間、続いてきたのです。

●米国の悪魔の兵器が生んだ「核避難民」

<離散家族が生まれた原因>

いま会場に来る間に、日本の新聞、南朝鮮の新聞を見ながら来たのですが、こうゆう理屈にはなっていません。それらは、ウソン(まず)「朝鮮が悪い。世界の非難を受けるのは朝鮮の自業自得である。世界中があれ程反対しているのに、核実験をした。どんな経緯があっても、国連決議で止められているのに何かを打った。だからしょうがない。」と言うわけです。果たしてそうでしょうか? 

朝鮮に対するアメリカの核威嚇、軍事的圧力は、ウリナラが核実験をする前からありました。衛星を打ち上げる前からあったのです。1950年〜1953年時期、朝鮮戦争でトルーマンは、「核兵器を使う」と言いました。トルーマンは現実に核攻撃の出撃命令を出したのです。戦争初期の頃マッカーサーは、5012月、朝鮮北部に朝鮮トンヘ(東海)からファンへド(黄海道)に至る放射能ベルト地帯をつくり、60120年の間、生命体が蘇生する事はできない。人間の住めない様にすると暴言を吐きました。(これは、単に暴言にとどまらず、具体的に準備された事が、最近明らかになった。)米国のこのような核恫喝は朝鮮人民にとって悪夢です。この様な核恫喝は、「核避難民」を生みだしました。特にファンへドから多くの住民が南に向かって逃げました。家族全員が逃げられないなら、長男だけでも逃がす。この様にして「離散家族」が生まれたのです。

朝鮮戦争時期、南からは義勇軍に参加した人が多いのですが。北からは核攻撃から逃がれた(避難した)のも男性が多かったのです。

朝鮮人民にとって、広島・長崎の原爆は、悪魔の兵器として記憶にのこっているのです。朝鮮人民は、持ちたくもない悪魔の武器を、自衛の為に持たざるを得ないのです。

19537月、休戦協定は、新たな兵器は入れてはならないのです。しかし米国は、「核兵器」と言う新しい兵器を持ちこみました。70年代にはその数、1000発になりました。60年代になって、今度は、その核兵器を使う事を前提とした軍事演習を始めました。名前は変わってきましたが核戦争演習に変わりはない。31日からはじめた「キーリゾブル」も全くおなじものです。

停戦協定の白紙化の話が先程出ましたが。停戦協定は戦争の終わりではないのです。戦争行為の一時中断です。平和会議をしているのに軍人が戦争をしていては出来ないと言うものです。未だにアメリカと朝鮮は「交戦状態」です。その間、圧倒的な軍事的パワーをもって圧迫して来たのはアメリカであってウリナラではない。

こんな事は誰が見ても明らかなことです。それなのにアメリカは、朝鮮が核実験をしたところから見せるのです。安保理決議に違反したと言う処からストーリーを作り上げる。国連決議に違反したので、ステルスB2を朝鮮半島に送らざるを得ないと言うストーリーです。

この理屈とストーリーを鵜のみにして、日本のメデイアはこの虚構を、ただひたすら繰り返しているのです。情報操作です。騙されないようにしなければならないのです。

過去2回の衛星打ち上げは、問題にならなかったが、今回米国が問題視する事はある程度予想していました。

 

2013年「創造と変革」による、朝鮮の経済復興プログラムの推進

<軍事的優位は帝国主義者の独占物ではない。戦争をはねのける力を持った朝鮮

 

さて、ウリナラ朝鮮は、2013年をどの様に展望しているのか?対立が激化し、戦争になるかも知れないと見たのか?朝鮮はその様には見ていません。1月1日、キム・ジョンウン(金正恩)第一書記は新年の辞を述べました1994年、キム・イルソン主席が最後の辞を述べてから「新年の辞」はありませんでした。当人にとっては、はじめての新年の辞です。19年ぶりです。

そこで、2013年の国政の方向性を一言で言って、「創造と変革」と言いました。今年は、社会主義強盛国家建設はするが、そこでの転換が起こるのだと。即ち「創造と変革の年」であると言いました。

米国と対立する状況で、この若きリーダーがこの様に言い切った。人民も見る中で、言いっぱなしになってはならない。人民が見ています、在日同胞も見ています。この転換局面でキム・ジョンイル総書記の存命中から準備していたものがあるんです。朝鮮の経済復興プログラムです。こうすれば、経済発展する事が出来ると言うものがある。それを、いろんな条件・諸事情があって出来なかったが、2013年にはやろうと言っているのです。

そのプログラムがスタート出来る根拠は何か、それは昨年の実績です。昨年2012年は、キム・イルソン生誕100周年でした。非常に重要な1年でした。唯、100だから区切りが良いからではありません。幾多の死
をのりこえて、朝鮮民主主義人民共和国の歴史を築いてきた父母・祖父母が歩んで来た道を振り返り、確認し、その道を行こうと言う節目の年でした。

政策的に言いますと、キム・ジョンイル(金正日)総書記が、2012年に「社会主義強盛大国の門を開く」と言っていました。朝鮮の自主路線、不正・不公平は認めないと言う朝鮮式社会主義制度は間違いでなかった。今の現状をこのまま、まっすぐ進めば、強盛国家になりますよと言うことを証明しなければならない。そう言う力があると言う事を証明することが出来ると言うわけです。其れはひとつに国防力、これは戦争をしながら高めることはできないのです。また経済復興も、戦争をしながら出来ないのです。それを外に向かっても確認すると言うイベントが閲兵式だったのです。アメリカの戦争威嚇をはねのける力があるぞと言う事を明らかにしたのです。戦争をはねのけ、朝鮮の平和的経済復興計画を推し進めると言う表明だったのです。

閲兵式では、アメリカの戦争威嚇をはねのける力、いろんな兵器が招かいされました。ミサイルK78(ICBM)もその一つです。他にもあると言うことです。

とにかく、キム・ジョンウン第一書記は、閲兵式を前提にして、「軍事的優位は帝国主義者の独占物ではない。その事を今日の閲兵式が証明する」とこの閲兵式で言ったのです。一時期<ミサイルK78>は、張りぼてに過ぎないと言われました。しかし、それが<ほんもの>であると言う事は、誰よりも米国が知っているのです。(続く)

(編集者注―講演記録が長文になりますので、2回に分けて連載します。)