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(民衆闘争報道 日本軍「慰安婦」被害者証言キャンペーン2013in奈良、吉見義明教授の講演記録
  <その3> 2013526日)


    [吉見義明教授―講演記録] (連載その3)
 
       被害者の声に向き合って記録し、記憶し、未来へ語り継ぐ責任

 

 

“過去の日本の過誤を認めたくないと言う、日本帝国的“誇り”の感情でなく、事実を直視し、過去を克服する「誇り」と言うものがあるはずだ”

 


             
                                    中央大学 吉見義明教授

 

 

    

                   △写真出処 柴野貞夫時事問題研究会

●日本軍によって、丸抱かえで経営・管理されて来た<日本軍慰安所制度>の実態

<日本軍の営外施設として「慰安所」が作られた実態を示す、日本軍第35師団司令部「営外施設規定」>の各条項を示しながら、吉見教授はつぎの様に指摘した。

これは中国・開封にいた日本軍ですが、まず第二条、駐屯地外の営外施設の一つとして日本軍によって<慰安所>が作られているのが分かります。ここで酒保と言うのは、物品を売る売店、<特殊慰安所>とは<慰安所>の事、偕行社とは将校クラブの事、その他計四つが営外の施設だ。

第三条で、これら営外施設は、当該駐屯地の部隊長が管理し経営・指導監督すると規定し、<慰安所>は部隊長が経営・管理し、指導監督すると言う様に、日本軍の施設である事はあきらかです。

19条では、中隊以上の駐屯地に<特殊慰安所>を開設する事が出来る事を規定しています。21条では、慰安所の建物は部隊の経理部長が建て、業者に無償で貸与するとして、<軍が慰安所の建物を作って無償で貸す>ことを明記している。第22条と23条で、軍から、<慰安所>の経営に必要な備品まで支給する事を決めている。

●橋下が主張する「慰安婦制度は、何処の国もやっている」は、本当か

(橋下が触れた)米軍との比較です。米軍が女性達を集めているかどうかですが、米軍は多分関わっていないと考えられます。日本軍の場合は、○(女性を)集める業者を軍が選定し、○軍が(女性)を集める為に業者に対し様々な支援を行っている事−その女性を移送する時に船の場合は「軍用船」を提供し、陸の場合は「軍用トラック」で移送をすると言う様に、軍の丸抱かえが実態である。しかも、戦地・占領地では、(女性を)軍が直接徴募する場合もあり、これも米軍と明らかに違うと考えられます。

尚、(ナチス)ドイツ軍の場合、日本軍の<慰安婦制度>と良く似たものがあったと、言われています。その実態はまだ十分解明されていません。ただ、日本軍とドイツ軍が決定的に違うのは、ドイツ軍は植民地の女性を戦地に連れて行った事はないと言うこと。ドイツは第一次世界大戦の敗北ですべての植民地を放棄しているので、連れて行く事はそもそも出来ない。

次に、RAA(特殊慰安施設協会)の慰安所を米軍は利用したと橋下が言っているのですが、米軍が利用したのは事実です。しかし、RAAは米軍の要請でつくったものでなく、(占領下)日本政府が自発的に作り、各都道府県に指示したものだが、存続期間数ケ月で米国によって閉鎖された。この根本的な事実を、橋下は間違って主張しています。

この様に考えて行きますと、「どこの国も慰安所を持っていた」と言う橋下の主張は違うのではないか、彼はまず、日本軍の<慰安婦制度>の問題をまず明確にすることが必要なのでないか。

●<慰安所>から解放された女性は一人もいない。この犯罪行為で逮捕された業者は誰もいない事実から、軍と日本政府の責任は絶対に免れない

次に、実際に慰安婦として連れて行かれて、慰安所で日本軍兵士の相手をさせられたハルモニ達の体験を見てみたい。

今日は、キム・ボットン(金福童)ハルモニ、キル・ウォノク(吉元玉)ハルモニに報告をして頂きました。

キム・ボットンさんは、1941年に軍需工場で働かせてやると騙されて連れていかれました。当時14歳です。当時の日本の刑法ではマン21歳未満の女性の拉致は、それでアウトです。「軍服工場で働く」これも、詐欺・誘拐、この点でもアウトになる。

キル・ウォノク ハルモニの場合は13歳、もっと年齢が低いのです。当然21歳未満であるだけでアウトですね。キル・ウォノクも「工場で働ける」と言って、騙されて連れ出された。これも誘拐罪です。

こんな極当り前の事実がどうして日本政府が認め様としないのか、否定するのか、不思議なことです。

この間私は、彼女らの話、証言を聞いて記録にのこして置こうと、作業を始めています。レジュメに引用しているキム・イサンさんの話しは、中央大学紀要に載せているものを引用したものです。中央大学紀要・32号に載せています。(現在、大学紀要はインターネット上で見る事ができます。サイニーと言う論文検索を開き、「吉見義明」と入力すれば、私の論文が出てきます。コピーもできます。その一部を載せたものです。

これ等の証言を、証拠として実証したいと考えています。橋下は、“証拠がない、証拠がない”繰り替えしおっしゃる。「証言」が、なぜ証拠にならないのでしょう。彼が弁護士であれば、裁判の経験もおありでしょう。裁判では訴状、つまり書かれたものと、陳術・供述証言ですね、共に証拠として採用されます。書かれたものだけでは真実に迫る事は難しい。それは、証言・供述によって補うこととなる。但し裁判では反対尋問があります。供述への反対尋問が行われ、反対尋問に耐えたものだけが証拠として採用されるのです。

歴史学で言うと、反対尋問に相当するのが資料批判です。この資料批判は、書かれたものについても、そのまま受け入れるのではなく、批判を経た上で歴史を構成するものとなります。また、証言・供述も同様に、資料批判に耐えたもので歴史を構成するものとして用いられる証言も、十分証拠となるのです。

私が直接本人と面会し、中央大学紀要にも載せている。○イ・スサン(李秀山)さんの体験は、17歳のとき、“もっと良い仕事がある”と<誘拐(だまし)>によって、連れ出され、満州の慰安所に送り込まれた。○慰安所では、性の相手であることを拒否できない。○拘束された生活○逃げても連れ戻され、死なない程度の過酷な拷問を受けた。

これらの体験は、「軍、或いは官憲によって選定された業者が、女性を、軍が作り管理した慰安所へ‘誘拐’によって連行し、その自由を拘束し、性奴隷としての生活を強いた」と言うケースを補強する証言となっています。

慰安所へ彼女達が到着し、誘拐’された人身売買である事が分かった時、軍がどうするのかと言う事、本来であれば、(日本刑法によって)これは犯罪行為であるから、女性達を解放し朝鮮に送り返すべきである。しかしそんな例は聞いた事がない。

さらに、軍が選定した業者が、‘誘拐(だまし)・人身売買’で連れてきたのであれば、これは犯罪者として業者を逮捕しなければならないはずだ。しかし、そんな例も形跡もない。こんな犯罪行為は、当たりとして見逃がされて来たのである。

[誘拐(だまし)・人身売買’・略取を前提にしないと、日本軍の慰安所は成立しない]施設だったと言う事、[この性奴隷の施設から解放された女性はいないし、この犯罪行為で逮捕された業者は誰もいない]事は、軍と日本政府の責任は絶対に免れないと考えます。

●過去の日本の過誤を認めたくないと言う、日本帝国的“誇り”の感情でなく、事実を直視し、過去を克服する「誇り」と言うものがあるはずだ

橋下が今の段階で、なぜあの様な事を言うのか、私は多分つぎの選挙で、改憲、憲法を変えて行きたいとする考え方と深い関係があると思います。

今、歴史認識の問題が大きく浮かび上がっています。また改憲と言う問題が浮かび上っています。これは深い繋がりがあると。

繋がりの一つは、“日本人の誇り”と言うテーマと関係があると思います。また、外国からあれこれ言われた時に、“毅然とした態度”を取った方が、ある利点と考える政治家の思惑がある様に思います。

慰安婦問題で“日本だけが不当に侮辱を受けている”と、615日に橋下は言っているのですが、彼が選挙を目前に、「日本人の誇り」や「毅然とした態度」なるものを強調することが世論の支持をとりつけると考え、歴史の歪曲を利用することが必要と考えているのです。

他方、第2次安倍内閣が成立、安倍がやろうとする事が浮かび上がっています。一つは、靖国の公式参拝を考えている。第一次安倍内閣で参拝しなかった事を“痛恨の極み”と言っている。今年は、参拝はしなかったが「真榊(まさかき)の奉納」はした。麻生副総理を始め、4閣僚の参拝は容認した。

安倍は歴史問題で、村山談話について“そのまま継承するわけではない”とし、日本の侵略と植民支配で「侵略の定義は定まっていない」と発言し、日本のアジアに対する侵略の歴史を否定しようと企んでいます。村山談話を薄め様と画策しています。

一方で、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が再起動し、集団的自衛権の行使を認める方向へと踏み出そうとしている。

教科書検定基準の見直しの動きが、高校教科にまで向かっている。各学校の教師に任されていた高校教科の選定権を奪う動きも出ている。

憲法96条を改定し、改憲をし易くする動き、河野談話の見直しを安倍が念願としていること。改憲・歴史認識問題はセットになって出ていると考えられます。

日本軍慰安婦制度問題は、それらの地ならしなのです。特に対中国、韓国に強硬な態度を取る事で支持を広げ様とする姿勢が見えます。

小泉政権時、学生に対し、靖国・中国認識でアンケートを取ったことがあります。学生達は、靖国参拝は正しいと思って支持するのではなく、中国、韓国から批判された事を、はね返した事を支持すると言うのです。これらの核心は、過去の日本の過誤を認めたくないところにある。日本帝国的“誇り”の感情を高める事にある。

しかし、事実を直視し、過去を克服する「誇り」と言うものがあるはずだ少なくとも戦後60数年間、一度も対外戦争をする事なく、一人の戦死者も出さず、一人の外国人も殺さなかった事こそが「日本人の誇り」であり、過去をきちんと、かえりみる事で、新しい日本を作る事こそが真の「誇り」になると思います。

歴史認識と改憲は繋がりがあります。安倍流の「日本人の誇り」ではなく、我々の「誇り」を生む事が今問われています。
(完)