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(映画評/ 記録映画「国葬」   監督:セルゲイ・ロズニツァ    2021年1月2日投稿)


         映画評:「国葬」
                       −スターリンに別れをつげる人びとの記録


監督:セルゲイ・ロズニツァ                             オランダ、リトアニア映画(2019年)


▲スターリンの葬儀

 1953年3月5日、ヨシフ・スターリンが脳卒中の発作で斃れた。翌6日、ラジオからスターリンの業績と死をいたむ放送が流される。「レーニンの事業の協力者であり、その天才的な継承者、共産党とソ連国民の賢明なる指導者にして教師−その人物の心臓は鼓動を止めた」。スターリンを追悼する新聞を買う人々の列、食い入るように新聞を読む人びと。カメラはひたすら群集の表情を追う。スターリンが安置された棺に最後の別れをするために、モスクアの円柱ホールに人びとが集まってくる。映像には写っていないが、人の群れに押されて圧死する事態もおきている。
 カフカスの山々、カスピ海の油田地帯、ステップ地帯に暮らす遊牧民、シベリアの雪原、モンゴルの草原。スターリンの銅像や遺影をかこんで、それぞれの地域で追悼式がおこなわれている。人々はみんな悲しみ、涙を流している。葬儀に参列するために、東欧諸国から代表がモスクワにやってくる。中国からは周恩来が来ている。

スターリンの葬儀は5日間にわたってソ連邦内の各地でとりくまれた。この葬儀の様子は、200人のカメラマンを動員して撮影されていた。スターリン個人をたたえるために、記録映画「偉大なる別れ」がつくられる予定であったのだ。しかし、56年からはじまるスターリン批判のなかで、この作品はついに日の目をみなかった。ロズニツァはこのフィルムを編集しなおし、スターリンを支えた群衆に焦点をあてて再構成しなおした。それがこの作品だ。
 当時、スターリンに疑問をもっていた人たちもいる。シベリアに流刑になった人びとはスターリンの死に喝采を叫んでいる。しかし、ここに集まった人たちはスターリンを信奉している。人びとは個人の意志で、スターリンを追悼するために葬儀に参加した。民衆はスターリン個人に従ったのではなく、共産主義社会の建設に希望をいだいていた。だから、スターリンに希望をたくし、同志として追悼した。
 フィルムに写っている人々、映像をみている私たち。この両者が67年の時間をへだててタイムカプセルに乗ったかのように相対する。わたしたちはすでにスターリンが何をおこなったかを知っている。スターリン時代に殺害、処刑された市民は2700万人にのぼり、1500万人が餓死した。その国家建設はまちがっていた。
 当時、民衆はなにも知らされていなかったとはいえ、このスターリン主義を支えたのは確かにひとりひとりだ。その共犯性は問われる。だから、今日の革命運動にとって、スターリン主義を乗り越えること(反スターリン主義)は重要な課題なのだ。
 ドイツでヒトラーをたたえた人びと、天皇の玉音放送にひれふす人びと、スターリンの葬式に参列する人びとがいる。しかし、これらを全体主義という用語でひとまとめにすることはできない。ロシア革命が人類に与えた衝撃、共産主義社会の建設をめざすその熱いいぶきをしっかりと捉えなおす必要があるからだ。現在、世界中で資本主義が生き延びている。共産主義社会の建設が依然として人類の課題となっている。このとき、この映像をわたしたちはどのように見るのか。これはきわめて今日的な課題なのだ。                    (寺田 理・記)


195339日。スターリンの葬式が行なわれている時のモスクワの通り