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(民衆闘争報道/ ウクライナで今、何が起こっているのか <連載9> 202315日)

         ウクライナで今、何が起こっているのか <連載9>

                                                  柴野貞夫時事問題研究会

   米国CIAによる、1953年からこれまで続いたウクライナのナチ化

ノルウェイの言論、Steiganに掲載されたフレッド・ジョーズの文「米国CIAによる、1953年からこれまで続いたウクライナのナチ化」を翻訳して掲載する。
Steigan>のサイト
https://steigan.no/2022/07/usa-cia-har-nazifisert-ukraina-siden-1953/
?fbclid=IwAR0GDUKEyNudPsDtmXOLSq6vzXe8zSbAiP2XTVIn-urvuzjoFuiQN4rIr8



CIAの機密解除文書は、ウクライナに対する米国のナチス化プログラムを詳細に証明している
ゼレンスキ―は、ウクライナファシストの紛れもない後継者

ジョーズは、CIAの機密解除文書を証拠として、ウクライナに対する米国によるナチス化プログラムを詳細に証明している。
20145月、ウクライナのネオナチが創設したテロ集団・「アゾフ大隊」が、同年11月ウクライナの正規軍に編入され、20151月、「ウクライナ国家防衛隊所属特殊部隊「アゾフ連隊」に昇格したが、その背後に米国がナチスを復活させたと言う疑惑が着実に提起された、ジョーズのこの記事は、これまでの議論に、終止符を打つのに十分な根拠を与えてくれる。

▲ナチ民兵隊・アゾフ連隊との連携を協議する米国とカナダの軍隊。
(出処―アゾフ連帯のウェブサイトから、2018年)

  ナチ武装組織・<アゾフ連帯>の構成員と、ハーケンクロイツに類似させた旗幟を掲げる、ウクライナのファシスト・アゾフ連隊。

▲米第173空挺旅団によって訓練を受けるファシスト武装集団<アゾフ連帯>。彼らは、ドンバス地方などのロシア民族居住区で、斬首、拉致、殺人等、 ISISもどきの残虐行為を実行してきた。

<参考>http://vpack.shibanojijiken.com/sekai_o_miru_sekai_no_shinbun_493.html


ウクライナがソ連邦を構成していた時期である1953年から、CIAは既にウクライナのナチス化の足場を築いてきた
米国のあざ笑いと悪に、終わりはない。ナチズムは、(ウクライナにおいて)決して終わらなかった。
それは、米国によって持続され、ウクライナに今も健在している。ごく最近、米中央情報局
CIA>が、3800以上の機密文書を解除した。この文書は、1953年以来、CIAがウクライナを不安定にする目的で、ウクライナのナチス指導者、ステファン・バンデラ(Stepan Bandera)の支持者とともに、ウクライナをナチス化する為に二つの主要なプログラムを運営したと言う詳細な証拠を提供している。
CIAは、1948年にウクライナに潜入し、1953年にナチ化の「足場」を設けた。CIAプログラム」は40年間に亘って遂行され、依然としてウクライナで展開されている。彼らは、「ウクライナ最高解放委員会(ZP-UHVR)」、「ウクライナ民族主義者組織(OUN)」、「ウクライナ反乱軍」(UPA)などの反ソ連ウクライナ抵抗団体に資金と装備を提供する準軍事作戦として展開した。
CIAはまた、ウクライナ最高解放委員会ZP-UHVRのバンデ派、ウクライナ最高解放委員会ZP-UHVR)、CIAの外国ベースの仮想支部、及び英国のMI―6情報局に支援を提供した。ソ連邦ウクライナに潜入して追放された、西側のウクライナのエージェントを利用してウクライナを不安定にする初期のこの作戦は、コード名を「空気力学プロジェクト」(Project AERODYNAMIC)と命名された。
1953年7月、CIAの機密文書に、この作戦の詳細な説明が出てくる。「Project AERODYNAMIC」の目的は、冷戦と熱戦の為の、反ソ連ウクライナ抵抗の活用と拡張を提供することである。UHVROUN、西ヨーロッパと米国にあるZP-UHVR 海外代表部、OUN―Bを活用するだろう。CIAは、1970年以前に解除された機密文書で、既に1950年からZP-UHVRと接触したと認めている。

▲第2次世界大戦当時、ソ連邦・ウクライナを占領したナチス軍の前を行進する、「ウクライナ反乱軍」(UPA)のウクライナの女性ナチ集団

Vitali Klitschko(ビタリ・クリチコ、真ん中・背の高い男・元世界ヘビュウ級チャンピョン、現・キエフ(キウイ)市長が、左右にウクライナ・ナチテロ集団―アゾフ大隊のメンバーらと喜んで写真に納まっている。ハーケンクロイツを模したアゾフ大隊の旗幟を持つネオナチ。


▲ゼレンスキー政権を支える、ウクライナファシストと写真に納まるビクトリア・ヌーランド(当時、オバマ政権の国務次官補)。現在、バイデン政権で、国務次官に昇格。

2014年当時、ビクトリア・ヌーランドは、オバマ政権の国務次官補として、ウクライナでネオ・ファシストと共謀し、親露政権打倒の軍事クーデターと反ロシア工作に関わって来た人物だ。ヌーランドは、国連安保理事会に先立つ202238日、ウクライナの状況に関連し、米上院で開かれた聴聞会で、次の様に証言した。ウクライナに生物学研究施設がある。事実、我々はロシア軍が施設を統制しようとするのかと見て、相当懸念していると。
ヌーランドは、米国が現在、この研究に関連するすべての資料が、ロシア軍の手に渡るのを防ぐ方法について、ウクライナと協力している’と述べた。安保理事会におけるロシアによる指摘と暴露を欧米は、こぞって、ロシアのでっち上げと非難し、米国の犯罪行為をロシアに転嫁したが、ヌーランドはあっさり米国の仕業だと認めた。

<参考>バイデン(米国)とゼレンスキー(ウクライナ)の生物・化学兵器をめぐる癒着と利権
http://www.shibano-jijiken.com/sekai_o_miru_sekai_no_jousei_78.html

▲ウクライナの国旗に、ナチスのハーケンクロイツを刷り込んだアゾフ大隊の旗幟。

ナチスの同調者達と組織員は、今日、キウイ(キエフ)のウクライナ政権(ゼレンスキー政権)と、全国の地方自治体に浸透している。
AERODYNAMIC」は、ソ連ウクライナに現場要員を配置し、ウクライナ抵抗運動、特に、既にウクライナで活動している「OUN」の情報要員と接触ルートを構築した。CIAは、ウクライナの秘密CIA軍に、武器や弾薬を含む通信機器、その他の材料を空輸するように手配した。
CIAのウクライナの要員は、殆どが西ドイツ(当時)にある米陸軍対外情報部(FIPP)で訓練を受けた。
ウクライナのCIAエージェントと西側コーデイネーターとの通信は、双方向無線機(WT)、国際郵便チャンネルによる短波、秘密の空輸、及び陸路輸送によって行われた。
ウクライナに入ったエージェントは、催榴弾銃、北極寝袋、斧、塹壕道具、チョコレートバー、ミノックスカメラ、35oライカカメラ、フイルム、ソ連帽子とジャケット,22口径拳銃・弾丸、防水フイルム用、避妊薬などを含むキットを携帯した。他のエージェントには、ラジオカセット、ハンドジェネレーター、ニッケルカドニュウム電池、及び帰還ビーコン(携帯用ミサイルシステムのカバー名である可能性がある。)が支払われた。AERODYNAMICによる関連プロジェクトは、「CAPACHO」というコード名で命名された。

▲米国のファシスト「自由連隊」((Pravij Sector)は、アゾフ連隊(大隊)の姉妹組織の一つだ。

CIA文書は、リチャード・ニクソン政権を通じて、「AERODYNAMIC」の運営が1970年まで続いたことを示している。

このプログラムは、スパイ小説「bak Jernteppet」(訳注・ノルウェー語?―「鉄のカーテンの後ろに」)よりも、鮮やかでスタイリッシュな心理戦を行った。CIAはマンハッタンに出版社を設立し、ウクライナに密輸される反ソ連AERODYNAMIC」の書籍を印刷し出版した。新しい戦場は、オデッサ近くの湿った裏庭や、キエフの冷たく荒涼とした倉庫ではなく、出版及び放送メデイアの世界が中心となったのだ。CIAが最初に設立した会社は、「プロローグ研究・出版協会」で、後に「プロローグ」として知られるようになった。
「プルローグ」のCIA暗号名は、‘AETENURE’だった。この団体は、「プロローグ」にウクライナ語で載せられた。
CIAは、「プロローグ」を‘ZP-UHVRの活動の為の非営利非課税偽装会社だと言った。CIAが、「プロローグ」に資金を供給するために使用した「法的実体」は、機密情報として残っている。しかし、CIAの機密文書には、「プロローグ」資金が、「デンバーとロスアンジェルスを経て、ニューヨーク事務所に送られ、プロローグ資金の出所を示す領収書が、ニューヨーク金融当局の尋問資料として提供された。」と書かれている。
「プロローグ」ミユンヘン事務所についてCIA文書は、資金援助がニューヨークのプロローグ協力銀行とは、別の口座から出ていると明らかにしており、この口座も、機密文書に残っている。1967年、CIAは、「プロローグ・ミユンヘン」とウクライナで亡命した民族主義ジャーナル‘Suchasnist’のミユンヘン事務所を統合した。
CIA文書はまた、FBI(米国 連邦捜査局)のエージェント(要員)が、ニューヨークの「AERODYNAMIC」のエージェント(要員)を妨害した可能性があることを示しています。1967年、CIA指令は、米国のすべてのZP-UHVRの要員に、ソ連と、ウクライナSSR(訳注―ソビエト連邦の構成共和国の一つである、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国/Ukrainskaya SSRを指す)の国連担当外交団及び国連職員との接触を、FBI又はCIAプロジェクト事件担当官に報告するように勧告した。ニューヨークとミユンヘンの「AERODYNAMIC」担当CIAエージェント達は、コード名「AECASSOWARY」と命名された。MI―6の有名なエージェント「007」のような簡潔性は考慮されなかった。ミユンヘンのCIAエージェントは、コード名「AECASSOWARYー6」、ニューヨークの上級エージェントはコード名「AECASSOWARYー2」だった。
AECASSOWARY」のエージェントは,1959年ウイーン世界青少年会議に潜入した他の「AERODYNAMIC」に参加し、一緒に運営した。ウクライナの若者と接触するウイーン潜入作戦は、CIAによって、コードネームLCOUTBOUNDと命名された。この文書は、著者が今提示するよりも、遥かに多くの資料がある。すべてを載せるには、多すぎる量だ。

▲人々は、西部ウクライナが、どのようにナチス化されたのか?理解出来ない。戦死者の棺を運ぶウクライナ兵の軍装は、限りなくナチスの軍隊を連想させる。(手前は、ロシア正教会の牧師)

要約すると、アメリカの焦点は、ウクライナのナチス指導者、ステファン・バンデラの力の維持と育成に焦点を当てており、CIAは、彼らが見つけたすべての機会を利用し、今日我々が確認しているナチス化されたウクライナを作り上げたのである。
1958年、CIAは、ドイツにいたステファン・ヴァンデラを、こっそり米国に連れて行こうとした。当時、ソ連のKGBは、既にこの計画を把握し、ステファン・ファンデラが隠れていた地下階段で銃によって打ち殺した。

<ボリンの大虐殺>ロシア民族とユダヤ民族に対する大虐殺を、ナチスドイツとともに実行した、ウクライナ・ナチス
「ボリン」は、ヴォルィーニ州(ウクライナ語: Волинська область ヴォルィーンスィカ・オーブラスチ)を指すが、ポーランドとベラルーシに接するウクライナ北西の州である。

 

1941年、ボリン(ヴォルィーニ)にナチス・ドイツが侵攻した。現在、ゼレンスキーが国家的英雄と称賛するウクライナ・ナチスの指導者と一部の地元内通者の支援を受け、ソ連邦構成国であるウクライナを占領したナチスは、1942年終わりにはボリン在住ユダヤ人のホロコーストを完成させた。
7月13日は、ステファン・ヴァンデラが、ナチス組織・OUN―Bと、UPA部隊と一緒に行ったボリン大虐殺75周年になる日だ。当時、ナチスは、大きな道に沿ってボリンに向かう木に、ユダヤ人やロシア人の小さな子供たちを生きたままぶら下げた。その場所には、この悲劇的虐殺を記念する碑石が立っている。

▲上写真 ボリンに通じる道の木に、幼い子供たち達が、生きたままぶら下がっている。 

1943年、ボリン(ヴォルィーニ)虐殺が行われた現場

79年前(1943)のこの日(7月13日)、世界史上最も酷い悲劇の一つであるボリン大虐殺が起きた。ウクライナのナチス武装勢力は、民族排外主義と他民族蔑視、民族浄化をナチスと共感し、ガリシア(ボリンーヴォルィーニ州)で数万の民間人(ロシア人、ユダヤ人、ポーランド人)を無慈悲に殺害した。この血なまぐさい日曜日、UPA部隊は、ボルヒニアの100の居住地を、朝早く攻撃した。ウクライナのナチスは、弾丸を無駄にせず、無防備の市民をナタで切り、刀で刺し、ハンマーで殴った。その後、住民の居住区を焼き払った。

ゼレンスキ―は、ウクライナファシストステファン・ヴァンデラの後継者だ
国内の18の野党の活動を禁止し、野党指導部のほとんどを拘束し、NATO―西ヨーロパの敵対的軍事同盟と手を組むゼレンスキーが、民主主義の旗手だと?
この邪悪なウクライナのナチス殺人者の孫(ゼレンスキ―)は、ドンバス地域でロシア住民達への民族浄化の蛮行を図ってきた(ドンバス戦争)が、79年後の今、彼らには、新しい「裁判所」(法廷)が待っている。

▲ウクライナのファシスト ステファン・ヴァンデラは今、新ナチとゼレンスキーによって、国家的英雄として崇められている。

 

この邪悪なウクライナのナチス殺人者の孫(ゼレンスキ―)は、ドンバス地域でロシア住民達への民族浄化の蛮行を図ってきた(ドンバス戦争)が、79年後の今、彼らには、新しい「裁判所」(法廷)が待っている。
ステファン・ヴァンデラは、今日、ゼレンスキーとその一派によって、国家的英雄として称賛されている。彼の誕生日は、祝日と記念日に指定されている。首都キウイ(キエフ)への主要道路は、彼の名前にちなんで命名された。
リボフとリヴネには、ナチスドイツの有名な人物の名を冠した通りと場所がある。リボフには、ナチスドイツの軍服を着た者だけが出入り可能なレストランとクラブがある。SS記号が羽根に縫い付けられたナチス将校の制服を着た人々は、他の人より優先権がある。此れは一体、どんな「病気」なのか。

 

2014年、ウクライナのネオナチを動員し、自らが深くかかわった「マイダン軍事クーデター」直後,2014年、キエフの街頭で、ビスケットを配っているオバマ大統領時期の米国国務省欧州・ユーラシア担当次官補・ビクトリア・ヌーランド。右は、駐ウクライナ米国大使

 

米国国務省欧州・ユーラシア担当次官補、ビクトリア・ヌーランドは、米国議会で、米国が50憶ドルをかけてウクライナの統制権をロシアから奪い取ったと明らかにした。
「民主主義の英雄」と呼ばれるウラジーミル・ゼレンスキーは、ネオナチと手を組み、700人の国会議員と、ウクライナ情報機関国家保安局(SBU)の首長を逮捕し、国内の18の野党の活動を禁止し、野党指導部のほとんどを拘束した。NATO―西ヨーロパの敵対的軍事同盟よりも、ロシアと友好的な中立国家を目指す政党を強圧的に解体した。2019年、ゼレンスキーは大統領になると2014年の第一、第二ミンスク協定を無視、2014年のネオファシストの「マイダン」クーデターを容認した。これらの事実を、ノルウェーの国民は何も知らされていないのだ。

 

▲ゼレンスキーは、NATOの対露敵対政策を批判する市民を、「ロシアのスパイ」として、路上で処刑しているおぞましい光景だ。これはほんの一例だ。ウクライナ議会は、野党をすべて拘束し、批判勢力をネオナチが武力で威嚇し、崩壊している。