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(韓国民衆言論 チャムセサン 201275日付)
http://www.newscham.net/news/view.php?board=news&nid=66777&page=1&category1=2



           原発再稼働を足場に、核武装に向かう日本
             


「原子力が、何時でもその気になれば、核武器に変貌する事が出来ることを、日本は語ってくれている。」「ヒロシマ、ナガサキ、そして、フクシマに続いて、絶えることなく核から、全国家的被害と惨事を被ったのに、相変わらず日本は核を放棄していない。」  (本文から)


                                                           チョン・ホソン



絶対安全'強調した日本、・・・事故後、誰も責任を負わない

我々は、福島大惨事以後の日本政府の態度に注目する必要がある。日本政府は福島事故以後、風の方向が何処に流れるのか、何処に退避しなければならないのか、放出された放射能の濃度が、どれくらいなのか、など、この途方もない災難時に知らなければならない情報を、正しく提供しなかった。
この情報は当時、米国から出た。その上、福島県北側に位置する飯館村地域に、高濃度の放射能が汚染されていた事実に対しても、住民たちに緘口(口封じ)する事を強要した。
日本政府は、生きるか死ぬかの岐路で、情報に頼るしかない国民に、基本的に知らねばならない情報さえ、絶え間なく隠蔽し歪曲した。日本政府は極悪の災難事態に、国民の安全性より収拾費用と経済性問題を強調して来たのだ。
日本政府は、福島事故以後、大気中の放射能基準値を年間1ミリシーベルトから年間20ミリシーベルトに上げた。世界基準の20倍だ。
飲み水の放射能基準値は、全世界が1ベクレルであるのに日本は300ベクレルに上げた。(参考に、米国の水の基準は0.1ベクレルである。)食品の放射能基準値は全世界が10ベクレルである一方で、日本は2000ベクレルに上げた。
土壌汚染の場合は、493ベクレルが、チェルノブイリで定まった農業の許容基準値だったが、日本は5000ベクレルで、農業禁止基準を10倍超過している。
基準値と言うものは、放射能から防護される'安全基準値'を言うものだ。
しかし、この基準値は、ただ'管理基準値'であるだけだ。国民に安全を周知させる為でなく、汚染された放射能から国民を管理する為の基準値と言うものだ。


3.11以後、廃墟となった南三陸(出処:'名前なき地震救護団HP)

数十万名の移住民に対する対策もない事態だ。汚染地域に対する除染作業の約束も、事実上不透明だ。汚染を取り除いたと言う'除染'ではなく、ただ大きな袋に汚染された土等を入れ、他の場所に移して置く'移染'に過ぎない。
例をあげれば、的な汚染された、ある初等学校の運動場の土を、5cmの深さで掘り出し、袋に入れすぐ横に移して置くのが'除染'だ。放射能と言うものは元来、根本除去が不可能な為だ。日本政府はただ、日本国民をして大量の放射能と一緒に生きるように勧誘(?)しているのだ。
最近、放射性物質が途方もなく溢れ出て引き起こされる、海水汚染の深刻性が新たに露見している。
先ず、海に流れ入っている放射性物質は、海の生態系の食物連鎖を引き起こし、来年初め、或いは上半期を越えれば、全地球をほとんど回るものと予測されると言う。現在では、予想と異なり太平洋の西側沿岸の被害がもっと大きい。(これに米国政府も、もみ消していると言う。)太平洋東側、韓半島側は来年初期になるだろう。ここで、大きい魚であるほど更に危険だ。
既に、日本全国土の70%が汚染されていると言う事は、人間が住めない土地となったと言う事をもの語る。土地からすべてのものを得る人間に(とって)、土地の汚染は致命的だ。東日本の汚染地域の住民達は、茫然たる姿で、ほとんど裸で家を出ている状態だ。
これが即ち、放射能被害だ。我々は数多い災難を経験する。洪水や旱魃、もしくは橋や建物が崩壊され、交通手段が崩壊されたとしても、それは金と人間の力があればそれなりに復旧が可能だ。
しかし放射能は、人間の五感で全く感じる事が出来ない汚染だ。これは、金と人間の力で解決されない。自然消滅を待つ外はない。その復旧時間は数百年から数万年にかかる。放射能被害の前に、人間は絶対的に無力だ。出来る事は何もない。ただその地域を避ける外に。
その間、核マフィア達は、原発事故の確率を100万分の1だと、絶対安全を強調してきた。しかし、絶対安全と言うものは絶対的にない。福島惨事、原子力先進国を叫んで来た日本の対応は、即ちそれを見せてくれる。一度爆発すれば、誰も責任を取る事が出来ないもの、これが即ち核事故だ。

脱核どころか核武装へ向かう日本

問題は、福島事故後の日本の対応と態度にだけにとどまらない。
最近622日、日本は、<原子力基本法>に今までなかった、'安全保障条項'を挿入した。これは実に重要な意味が盛られている。
即ち、原子力を、エネルギー生産など平和的利用にだけ限定せず、軍事用核物質が生産する事が出来るように、根拠を準備するものだ。日本は福島事故後、全国民的に原発廃止の世論が拡散されて以後、原発が廃止される場合、潜在的核保有能力まで喪失する事を勘案、長期的に核武装化に行く道を開いて置く法的根拠を準備したのだ。
そして日本は、628日福島原発事故を契機に中断したプルトニューム、ウラニューム混合酸化物(MOX)燃料の、加工工場の追加工事を承認した。(訳注― 日本原燃株式会社再処理事業所 <青森県上北郡六ヶ所村>の事である)これは、日本政府が核武器に転用する事が出来るプルトニューム関連施設を放棄しないと言う意思だ。
現在、日本の六カ所村は、核再処理施設は使用後核燃料からウラニュームを取り除き濃縮し、プルトニュームを抽出保管する所だ。これを、2016年まで追加で建設すると言うものだが、これが建設許可された青森県は、規模(マグネチュード)8の地震が予想される活性断層の可能性が提起されており、さらなる衝撃を隠すことが出来ない。
また、六カ所村に追加で核燃料工場を建設する事となるのは、核武器専用が可能なプルトニュームを生産する事が出来る高速増殖炉'もんじゅ'を維持すると言う意味だと、専門家達は分析した。しかし'もんじゅ'は、商用化が2050年にやっと可能となるだけでなく、事故の危険と技術的困難さのため、米国、英国、フランスなどの国家で、事実上放棄したものであり、日本でさえ1995年以後、'もんじゅ'で各種事故が絶えることなく、稼働が繰り返し中断されている有様である。
現在、日本が公式的に保有しているプルトニュームの量は、国内に6.7t、英国とフランスの再処理施設に23.3tなど、総計30tだ。これは原子爆弾数千個を作る事が出来る量だ。北韓が保有したものと推定される武器級プルトニューム約3040kgと比較すれば、とてつもない量だ。これを保有している理由が何であるのか?
この間、核マフィア達が主張してきた'原子力の平和的利用'とは、事実上、「雉の草隠れ」と言う虚構だと言う事が明確となっている事を、目撃している。
原子力が、何時でもその気になれば、核武器に変貌する事が出来ることを、日本は語ってくれている。


629日、日本総理官邸前で原発再稼働反対集会が10万名を超える市民たちが参加した。(出処:日本レイバーネット)

最近日本は、原発廃棄と脱核世論が拡散されている渦中でも、大飯原発再稼働を宣言し、乗り出した。
ヒロシマ、ナガサキ、そして、フクシマに続きながら、絶えることなく核から、全国家的被害と惨事を被ったのに、相変わらず日本は核を放棄していない。
こんな日本の流れを、我々は注視しなければならない。何故かと言えば、思いがけなく、韓国と日本の核マフィア達は、根本で互いに違ってないからだ。
イ・ミョンパク政府は福島事故が起こるや、'これを跳躍の契機にし、'原子力輸出に火を付けようと語ったと言う。その計画が2030年までに、原発80基の輸出だ。さらに、イ・ミョンパク政府はまた、核の軍事的利用が可能な核再処理施設の建設を、画策していないと保障する事は出来ない。
少し前、韓国と日本が結ぼうとした韓日軍事協定は、何を語るのか?
この協定の内容、手順、性格をめぐって論議があり、この結果がハプニングとして終るのか、そうでないのかは、(心に〕とどめてみる問題だ。ところで、この協定は北韓を狙うと言うが、東北アジア地帯の経済的、軍事的目的を画策しようとするものとして、その背景には米国とともに核武器があるとみる。
日本の核武器開発政策と原子力政策は、既に一体であって、これが韓半島に及ぼす影響を鋭意注視しなければならないだろう。

逆に行く日本、決して違わない韓国、本格的な'脱核'運動だけが、答えだ

原発再稼働と軍事主義で武装する日本と、東海岸一帯で原子力クラストを作り上げるとし、数十個の時限爆弾(原発)を抱かえ、生きていく様にする韓国は、互いに決して違わない。恐らく韓国で核事故が起きたなら、その対応はやはり、日本と変わらないだろう。絶えることのない嘘、隠ぺい、無気力、我々も全く同じ様に直面するであろう。


△さる427日、脱核希望バス参加者達は、コリ原発を訪問し閉鎖を要求した。

今回、福島事故を通して見たように、核事故は一国で終わるものではない。放射能には国境がない。全地球的生存の問題である事を知る事となった。
我々が日本を注視しなければならないと言う理由のなかの一つだ。生存の問題、平和の問題と直結されるこの問題を、この国の民衆たちが無関心で、口を閉ざしている限り、直ぐその分だけ、核マフィア達の足取りは深く近ずいて来るだろう。
日本の54基の原発が、福島以後、全面稼働が中断されて,この中の4基は永久閉鎖に入って行った。しかし、全面稼働が中断されても電力難はなかった。電力難の為に経済の肥であるエネルギーの為に、彼等は核発電所を止むことなく主張するが、核発電所がなくても電力難がない事、核に依存した経済基盤でない事を知らしめること、それだけが脱核を導く原動力となるだろう。
それは、日本政府が作るものではなく、日本の国民達が作って行かなければならない役割となっている。韓国も、同じだ。福島が与えるこの壮絶な教訓を肥やしとして、'脱核'運動が、下から押し寄せなければならないだろう。

                                             (訳 柴野貞夫 2012年7月7日)