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(韓国ネット言論 PRESSIAN 世界ニュース2013731日付)http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=60130730095637&Section=05

 

       [再び、朝鮮学校]3>  国際人権法から見た、朝鮮学校差別問題 

朝鮮学校(問題)は、・・・日本が作った、日本が解決する問題だ

 

 

  

元 百合子(もと ゆりこ)・大阪女子学院大学教員

 

「この問題の根底には、この国を襲っている偏狭なナショナリズムの潮流がある。植民地支配を貫通する思想だった自民族優越主義と人種主義の自覚的克服を、自ら課すことが出来ず、過去と現在の日本社会の姿を、批判的に、再び問う作業が決定的に不足した。その上、政府と自治体の今回の一連の措置は、‘在日コリアンは、差別しても構わない存在だ’と言うメッセイジを、継続的に発信したものに他ならない。

この様な‘上からの排他主義’に鼓舞された‘下からの排他主義’が急速に勢力を拡大させて行っている。日本社会は、いまや、在日コリアンに対する中傷誹謗や、常軌を逸した  憎悪性発言(hate speech)が、‘表現の自由’と言う名分の下に、如何なる規制受けず乱舞する社会となった。朝鮮学校問題は北朝鮮の問題ではなく、日本人が作った日本人が解決しなければならない問題だ。」(本文から)

朝鮮学校設立と言うのは、在日朝鮮人達が、植民地支配と強制的な同和政策に依って否定された民族の言語、文化、自矜心(誇り)を取り戻し、これを次の世代に伝える為に、日本の敗戦直後の日本社会での苦しい生活の中でも、最も先に着手したことだった。

こんな歴史的経緯に照らして見る時、朝鮮学校は元来、日本政府が植民地支配の責任の一環として、誠意を尽くし、支援しなければならない教育事業だ。しかし日本は、学校設立当時から今日に到るまで、朝鮮学校に対し、弾圧と差別、冷待遇で一貫している。一方、当事者と支援者達の絶える事なき運動で、1960年代後半から朝鮮学校を‘各種学校’として認可し、補助金を支給する地方自治体が広がって行った。しかし,最近3年の間、歴史の針を半世紀以上逆回しした様な事態が広がっている。

 

http://image.pressian.com/images/2013/07/30/60130730095637.JPG

▲朝鮮学校の授業の様子 (写真出処 地球村同胞連帯)

 

20104月に施行された、所謂‘高校授業料無償化制度’(以下、無償化制度)は、義務教育制度の適用を国民にだけ限定し、外国国籍の子供達の教育に責任を負わなかった政府が、外国人学校の学生達にも、就学支援金を平等に支給すると言う点が、画期的だった。しかし当時の民主党政権は、或る国務会議(閣僚会議)でも、相反する‘外交上の理由’即ち、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)に関連された政治的理由を挙げ、朝鮮学校に対する審査だけを無限定(無期限)延期したのであり、全国にある10ヶ校の朝鮮高級学校は、事実上適用から除外された。

昨年12月、総選挙に勝利し政権に復帰した自民党は、今年2月、関連省令を改定してまで、朝鮮学校を制度から完全に排除した。20103月に、国連人種差別撤廃委員会(人種差別撤廃条約の履行監視機関)が、朝鮮学校だけを排除しようとする動きに懸念を表明したが、これを無視したのだ。更に、中央政府による、この様な露骨な朝鮮学校差別に呼応して、自治体でも補助金の大幅削減と停止事態が拡散された。

政府や自治体は、こんな措置が北朝鮮敵視政策の一環である事を隠さないが、制度の受恵者である学生達が、拉致問題や核問題に対し、どんな責任もない事は自明だ。朝鮮学校には韓国籍や日本国籍の学生達も少なくない。また、特定国に関する政治的見解を公然と教育行政に介入させることは、国内法にも違反する。日本弁護士連合会も‘差別を正当化する根拠はない’と言う会長声明を出した。この問題に関する日本言論の報道には、人権という観点を殆ど見る事が出来ないし、日本が批准した条約や、その他の国際人権基準に照らして見れば、一連の諸措置は、朝鮮学校の学生の保護者、学校関係者達に対する人権侵害であり、即刻是正されなければならない。

●国際人権基準


元来人権は、人間と言う理由だけを条件に、すべての人々が平等に持っている普遍的な権利であるから、国家は領域内のあらゆる人々に、人種、民族的出身、国籍、性別、階級、経済力、社会的地位、思想、宗教や、政治的意見などに関係なく、差別を受けず平等に保障しなければならない義務がある。これが国際人権法を貫徹する無差別平等原則と言うものだ。参政権や、公務就任権の様な居住国の国籍や市民権を持っていない者(外国人や無国籍者)に対する制限が許容される権利もあるが、例外的なものだ。特に教育は、異なる人間としての権利を実現することにあって不可欠な手段であり、同時に前提条件でもあるから、最も基礎的であって、重要な人権の一つとして数えられる。

これに対する侵害や、不十分な保障は、子供達に長期間にわたる、回復するのに困難な被害を及ぼす可能性が高い。だから、教育に対する権利(right to education)は、世界人権宣言、人種差別撤廃条約、教育での差別禁止条約などで、規定されており、国家は、無差別平等原則を厳格に適用し、保障しなければならない義務が課せられているのだ。さらには、‘公的機関によって規律され保護されるあらゆる分野にあって、法律上、或いは事実上の差別を禁止する’と言う規定、言い換えれば、差別を受けない権利が‘市民的また政治的権利に関する国際協約’(以下、自由権規約)に規定されており、教育の権利にもこれが該当する。

教育権の一つの要素として、保護者が児童の為に公立以外の学校を選択する自由があり、個人或いは団体が、私立学校を設立・管理する自由がある。

外国人が私立学校を設立し、運営し、母語と継承語を教育し、民族の歴史や文化を学ぶ民族教育を行うことは、人権なのだ。また、これは国際人権法上、民族的、言語的、宗教的少数集団が、一般的人権外に追加的に享有する‘特別な権利’(自由権協約第27条)の一部である。

国家は、少数集団による母語と継承語の教育、民族教育に対し、干渉や妨害を慎まなければならない事は勿論、一般の私立学校以上の特別な考慮と財政措置を含む、積極的な措置によって保護し、奨励する様に要請されている。

日本政府は、頑強に認めないようにするが、国連では外国人も少数集団として、このような‘特別な権利’を持っている事が認められている。特に日本の場合の様に、公教育が、子供達の言語的、文化的多様性に符合された教育を提供しない場合には、外国人や外国に根を置いた人々が、独自に民族学校や外国人学校を設立・運営する自由が、十分に尊重されるべきだ。

教育権の平等と言うものは、教育機会の平等にとどまらず、教育の質にあって実質的な平等を確保することを意味するためだ。グローバル化した現代の子供達の多様性を無視した均一的な教育の提供でなく、他文化、他言語教育の実施を要請している。多数主流集団に保障されている母語、継承語の学習と教育、民族教育(継承文化、歴史教育)が少数集団の子供達にも同等に保障されなければだめなのだ。

日本では今まで、外国人学校に対する国庫支援はなく、自治体の補助金が支給される場合にも、‘日本人対象’の一般的な私立学校に比べ根拠なく少なく、税制上の優待措置などでも、いろんな不利益を受けてきた。私立学校に対する公的支援金の助成義務を明文化した国際人権条約はないが、助成する場合には平等が原則だ。

特に、無償化制度からの朝鮮学校排除のように、設立・運営する人々や学生達の国籍、或いは民族的出身による差別は許す事は出来ない。政府や自治体が私立学校の認可基準や、支援金助成の支給与件を定める事自体,禁止されていることはないが、公立学校教育に代替え可能な普通教育の実施と修学期間の様に、最低限度に止めなければならない。朝鮮学校にだけ、新しい条件を恣意的に追加する事に正当性はない。また、一旦開始した財政援助の削減や停止、即ち、人権保障から後退する措置は、原則的に禁止されている。国の経済危機の様な状況などで、時限的に後退措置が認められる場合はあるが、その時でも国籍や民族による差別は許容されない。

以上の様に、国際人権基準と乖離されている日本の状況に対し、以前からいろんな人権条約機関は、繰り返し懸念を表明し、是正を勧告して来た。政府はこれに対し、根拠と説得力を欠いた反論をしたり、無視する不遜な態度で貫徹している。今回5月にも、国連社会権規約委員会が無償化制度での朝鮮学校排除を明白に“差別”だと認め、朝鮮学校に通う子供達にもこの制度を適用させる事を勧告したが、政府はこのような勧告に、法的拘束力がないと言う事を理由に、‘従う義務はない’と言う答弁書を国務会議(閣議)で決定した。

これは、条約締約国として、極めて傲慢な態度であり、‘批准した条約の誠実な順守’を、宣言した憲法982項にも違反する。このような条約に基づき設置された履行監視機関による条約の解析や勧告の権威と価値を認めようとしない政府の姿勢と、日本が批准した人権条約を、審理で生かす意思がない裁判所の態度が、日本の制度や人権状況を国際基準に近付けようとするときに、大きな障碍となっている。日本では政府が批准した条約は、自動的に国内法の一部となって、効力の順位にあっても、一般国内法より上位にあると言うことを勘案すれば不合理な状況であり、これは補助金の復活(無償化制度での不支給決定の取り消し)などを要求して、各地で学校関係者達が起こした行政訴訟闘争を難しくしている。日本には国内人権機関もない。

●結論

日本政府は、即刻 @無償化制度問題にあって、省令を廃止し就学支援金を支給し、A補助金の削減と停止問題にあっては、自治体に対し国際人権基準に不適合な行為の中止と、適合した方向への改善を勧告しなければならない。

また、長期的には @普通教育を実施する外国人学校の法的支援の適正化を図り、補助金や税制上の待遇措置での深刻な不平等と、不利益を解消し、A人権保障にあっては、国民優先主義、外国人差別の誤謬を是正し、内外人の平等原則を含んだ国際人権基準を、国内法令の解釈と実施に反映する事が重要だ。

さらに、この問題の根底には、この国を襲っている偏狭なナショナリズムの潮流がある。植民地支配を貫通する思想だった自民族優越主義と人種主義の自覚的克服を、自ら課すことが出来ず、過去と現在の日本社会の姿を、批判的に、再び問う作業が決定的に不足した。その上、政府と自治体の今回の一連の措置は、‘在日コリアンは、差別しても構わない存在だ’と言うメッセイジを、継続的に発信したものに他ならない。

この様な‘上からの排他主義’に鼓舞された‘下からの排他主義’が急速に勢力を拡大させて行っている。日本社会は、いまや、在日コリアンに対する中傷誹謗や、常軌を逸した憎悪性発言(hate speech)が、 ‘表現の自由’と言う名分の下に、如何なる規制受けず乱舞する社会となった。

朝鮮学校問題は北朝鮮の問題ではなく、日本人が作った日本人が解決しなければならない問題だ。

(訳 柴野貞夫 201385日)

 

 

<参考サイト>

 

☆ 世界を見る−世界の新聞から/朝鮮学校は依然として日帝時代、同化と差別の歴史(藤永壮大阪産業大学教授) (韓国・PRESSIAN 2013年7月23日付)

 

●藤永 壮教授の論考・記事 

 

★ 393 ジュネーブに飛んだオモニたちの鶴(韓国・PRESSIAN 2013年5月17日付)

 

★ 373 在日朝鮮人の人権を無視した安倍新政権(韓国・PRESSIAN 2013年1月9日付)


369 朝鮮学校差別は国際社会の笑い草(韓国・統一ニュース 2012年12月30日付)

 

★ 365 ホン・ギルドン、大阪府・大阪市を訴える(韓国PRESSIAN 2012年12月2日付)

 

●時事研記事


論考/安倍政権の朝鮮学校無償化の根拠法令削除に抗議する(2013年1月23日)