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(韓国民衆言論  PRESSIAN 世界ニュース 2014328日付)http://www.pressian.com/news/article.html?no=115640

<宇都宮健児弁護士とのインタビュー(その1)

         東京都知事、極右候補の60万票と‘この人’の100万票
             −日本社会運動の「失敗の歴史」から学ぶもの

 

  

イ・ヨンチェ(聖公会)恵泉大学教授

 

 

<プレシアン編集者前言>

2011年、チョ・ヒヨン聖公会大教授とイ・ヨンチェ恵泉大学教授は、日本の市民社会運動と、知識世界の重要な人物達をインタビューし、‘修正 日本社会探訪’の題目で<プレシアン>などに連載した。通常、韓国社会の変化は、10年前の日本社会をなぞって行くと言う話がある。そんな点から、韓国社会が日本社会の前轍(踏んできた歴史)を踏まない為には、逆に日本社会の軌跡を注意深く探って見なければならないと言う事を意味する。このインタビューは、市民社会運動と知識社会を中心に構成される。

韓国の社会運動は、80年代以後30余年の間、長足の発展をして来たし、数多い団体が出現した。しかし、無限の上昇曲線を描くものと予想した韓国の民衆運動と市民運動も、色んな所で、発展の‘瓶首の地点(ボトルネック)’に到達しているのであり、‘転換的危機’に直面していると言う話が出ている。

一方、日本の社会運動は、総じて‘失敗の歴史’として韓国には知られている。しかし、失敗からも学ぶ点があるのであり、失敗の歴史と言う表面的認、識の裏面で展開されてきた元気な運動は、停滞期に入って行く韓国社会運動の陣営に多くの示唆を投げてくれると考えられる。

このインタビュー・シリーズの目的は、日本社会の変化、社会運動の変化を半面教師として、現段階の韓国社会と社会運動の諸課題を、もっと広い視角で見るようにしようとする事だ。

2013年のインタビューでは、東京だけではなく、日本の主要な地域運動を中心として、約10余名とインタビューを進行した。インタビューは、20131月、7月、12月の3回、イ・ヨンチェ教授などが進行した。2011年のインタビューの様に、日本の市民社会運動の最大の争点であると同時に、象徴性をもった運動事例を、象徴的な人物をインタビューする遣り方で紹介する方式をとる事となる。今回のシリーズは、三つの範疇に分けて連載する。

最初の範疇は、最近の日本市民社会運動の懸案を中心に扱う事となる。保守政党の壁を破って、市民社会の要求を反映する為に、市民代表として2012年と2013年、東京都知事選挙に出馬した、反貧困運動の代表的人物である宇都宮健児弁護士(日本弁護士協会前事務局長)、韓国の鉄道罷業を連想させる‘日本国鉄’闘争を紹介する為に、奥田トヨキ先生(前国鉄労組員,機関士)、そして201311月〜12月、日本社会を熱くした‘特定秘密保護法’制定とそれらを取り囲む市民社会運動を扱う為に、前田哲男(安保軍事問題専門家、フリージャーナリスト)先生をインタビューした。

二番目の範疇は、日本の戦後社会運動の軌跡で、重要な転換点となった60~70年代の代表的な運動三つを紹介しようと思う。九州の三池炭鉱闘争と水俣病反対闘争、そして成田空港反対の象徴である三里塚農民闘争だ。これは、一人一人の人をインタビューする遣り方でなく、関系者を幅広くインタビューし、三つの事件を立体的に紹介する方式をとる。

三番目の範疇は、我々が注目して見なければならない日本社会運動の色んな側面を紹介する為に、六人をインタビューした。日本の非正規職、また中小企業地域労組運動で活動する、日本の労働運動専門家であるヒラガ・ケンイチロウ先生(中小企業ネットワーク活動家)、沖縄米軍基地反対運動の象徴的人物であるユイ・アキコ先生(前オキナワタイムズ編集長)、韓国の進歩新党と類似した性格を持っていると評価する事が出来る日本新社会党 副事務長であって、日本労働運動の政治参与にも深い関与をして来たイシゴ・ヤスクニ先生(新社会党副書記長)、日本の反天皇制運動の象徴的な人物であると同時に、日本新左翼運動の理論家でもあったアマノ・ヤスカズ先生(雑誌 インペクション編集者)、そして最後に、韓/日間の最大の争点である‘日本軍慰安婦問題解決全国行動’共同代表であるワタナベ・ミナ先生などだ。

(プレシアン編集者)

 

<本文>

日本の反貧困運動の代表的人物であると同時に、前日本弁護士連合会会長だった宇都宮健児弁護士を東京の事務室でインタビューした。

脱原発と平和憲法改定反対などの為の政治改革の一環として、2012年と2014年、日本東京都知事選挙に、市民社会運動代表として出馬する事もした宇都宮健児弁護士とは、日本のロースクール制度、保守的司法制度、司法改革運動、日本の弁護士達の公益活動、反貧困運動など多様な主題に対して話を交わした。

イ・ヨンチェ ウイキペデイアでも、宇都宮先生の履歴が具体的に出ていました。韓国の読者達に簡単に履歴を紹介して下さいますか。

宇都宮: 1946年生まれで、愛媛県出身です。家は傷痍軍人出身の長男として生まれ、以後、熊本で成長しました。東京大学に入学したあと、駒場キャンパスで学生運動をしながら弁護士を志望しました68年に司法試験に合格した後、大学を中退し71年から弁護士登録をしました。83年から宇都宮弁護士事務所を開業し、現在の東京市民法律事務所へ拡張されました。

主として商業分野を担当し、多重債務問題、消費者金融分野を専門にして来ました。これ以外でも死刑制度反対、放射線量再調整問題、オウム真理教問題、選択的夫婦別性制度導入、教職員君が代起立斉唱義務化に対する反対、原発運動の民主性(訳者?)、反韓デモ規制の必要性など、 社会問題にも関与して来ました。市民運動専門誌<週刊金曜日>の編集委員、反貧困ネットワーク代表、年末派遣労働者支援村代表などを歴任して来たし、脱原発運動全国巡回講演代表も担当しています。

イ・ヨンチェ まず2012年東京都知事選挙に出ましたが、市民運動的背景について説明していただけますか?

宇都宮: 私が2012年の都知事選に出たのは、200911月の選挙出馬を促した市民グループ達との関係が大きかったのです。しかしその時期に、弁護士グループも2010年の弁護士連合会会長選挙に出なければならないと、要請が入ってきました。二つの提案を同時に受けて、両方すべて心理的圧迫がおおかったのです。

     ▲宇都宮健二(宇都?健儿)?イヨウンチェ
      写真 宇都宮弁護士 ‘東京都知事出馬と日本の政治について問う’

 

大概、派閥の連合によって会長が選出されるでしょう。ですから私の様な無党派は会長を夢見ません。ところが本当に異変が起こりました。会長に当選して20104月から20125月まで、2年の任期を終えました。会長任期中である20113.11、大地震と原発事態があって、日本弁護士協会は地震、また原発の被害者救済活動をしました。個別の被害者達を支えながら、日本に54個の原発がどの様に作られたのかを考える事となりました。こんな事が再び起これば、日本社会が崩壊すると考えたのです。したがって、脱原発が何よりも重要だと考えました。この運動に関与することになりました。

イ・ヨンチェ: 再選に出馬されたでしょう。民主党政権の時期でもあったのですが、どう考えられたのですか?

宇都宮: 2009年民主党政権が出帆し、両極化{貧富の}問題を解決してくれると期待したが、むしろ保守化されました。野田政権は経済政策の保守化だけでなく、政治的にも保守化を指向しました。80年代末まで、議会では社会党や共産党が連合し、保守化を阻止して来たが、現在この二つの政党の力は大変弱くなりました。代わりに、市民運動と連結されている弁連は日本社会の保守化阻止の大きい原動力だったのです。日本最大のNGOの様な役割を要求されたのです。20123回の決戦投票が続く薄氷の選挙だったのですが、再選はなりませんでした。私は、また弁連の一般会員として帰ってきました。私は再び原点で、反貧困、脱原発運動を展開してきました。

そんな渦中に、201212月に石原慎太郎都知事が、急に知事職を放り出して、補欠選挙が行われました。石原は猪瀬直樹(46年 生まれ、長野出身で新左翼学生運動の指導部を経験する。80年代には作家として登壇し、2001年小泉政権時政界入門。201212月都知事選挙で個人歴代最高得票で当選する。2012年都知事選挙直前、不法政治資金の授受問題で201312月辞任)副知事を指名しました。

2009年に都知事出馬を要請した市民グループが、再び私に、出馬を要請しました。東京都の重要性と、市民運動を代表して猪瀬に対抗する候補の必要性があったのです。2009年には慎重だったのですが、私も同じ問題意識があったし、特定の候補が無かったので、出馬する事となりました。

イ・ヨンチェ 2012年の東京都知事選挙の場合、どのように選挙連合が達成されたのですか?3.11原発事態直後なので、野党や市民運動の候補の意味が大きかったものと見えるのですが。

宇都宮 日本では、70年代から 革新地方自治団体がありました。東京都知事の美濃部亮吉190484、東京大経済学教授、196779年まで12年間、革新系都知事を歴任)の場合、社会党と共産党、そして労働組合・総評などが連合し、強力な組織で選挙をしました。各地域の市民運動は革新自治体を支持しました。しかし90年代中盤以降、日本社会党、日本共産党は少数政党になったのです。<総評>は結局解体され、89年<連合>として統合されたのです。

<連合>(89年に誕生した保守性向の‘日本労働組合総連合’。日本共産党系列は  ‘全労連’を、日本社会党左派系列は‘全労協’を結成した)は、誕生から保守化、右傾化の象徴となりました。

<連合>の場合、電力労組が中心なので、彼等は原発賛成派です。70年代の様に、日本社会党と日本共産党の枠組で選挙連合する事は、今は殆ど不可能です。ですから市民グループは、何を基本政策にするのかと言う点で、4つを提示しました。脱原発、反貧困、教育行政転換、護憲が主要政策だったのです。

イ・ヨンチェ 説明をして下さってもよいですか

宇都宮: 最初に、脱原発と関連して、こんな考えをしました。即ち福島原発は、東京など大都市で消費され、福島で消費される事はないのです。福島は東京電力が運営しているのであり、最大株主は東京都です。従って東京の市民は原発被害者を助けなければならない責任が存在しています。原発の廃炉をさせなければならない権限も東京都が持っています。こんな連結構造下で、東京都が原発の廃炉を主張すれば、他の地自体{地方自治体}でも重要な変化をもたらすだろうと考えました。

二つ目に、東京都は47つの県の中で、最も豊かな都市です。そうであっても貧困格差が最も大きい地域です。石原都知事が137ヶ月を歴任したが、徹底して、福祉予算を“無駄な予算”だと、削減して来ました。137ヶ月以前の東京都は、福祉が他の地域より、最高でした。反貧困次元で福祉を主張しました。

三つ目に、教育行政の場合、東京都は‘君が代斉唱’時、起立と日の丸掲揚を、徹底して教育現場に徹底的に強制した導入だ(20031023日、東京都教育委員会‘入学式、また卒業式の、国旗掲揚、また国歌斉唱の実施に対して’と言う通達を下達し、これに従わない教職員を処罰している。解雇、警告、減俸などの処罰者は、約248名に達している。大部分の教師達はそれが戦前の軍国主義を象徴すると考えました。

四つ目に、そうであるから、これに対し、憲法擁護を代案(対案)政策として提示しました。更に20124月には、石原、当時都知事が米国で、尖閣列島の東京都購入を宣言しました。東京都がこんな提案を発表するや、野田政権は尖閣諸島を国家が国有化すると宣言する愚を犯しました。これが逆説的に中国との関係を悪化させたのです。

イ・ヨンチェ: 興味深いですね。石原前都知事の極右的な、尖閣列島の私的買い入れに対応する為に、野田民主党政府が国有化を推進したのが、それが逆に、中国の反撥を激烈に呼び起こし、それによって、中・日関係の悪化へつながったと言うわけですね。

宇都宮: これによって、日本で、国家主義と民族主義が急速に台頭する事となりました。若い層が、この様な流れに陥って行ったのです。‘在特会’(在日特権を許さない市民の会―日本語でザイトクカイ)と言う団体があります。若い層を中心にした、保守右翼団体です。彼等は東京の新大久保、大阪の鶴橋周辺のコリアタウンを中心に、ヘイトスピーチ(憎悪表現)デモを展開しています。彼らが中国と韓国に反対するデモを提案しています。彼らは、従来の日本右翼ではなく、一種の新右翼的グループだと言う事が出来ます。示威隊には日本刀を持っていた青年もいました。

新大久保や鶴橋で、デモをする若い層は、安定的な中産層の労働者ではありません。彼等は、自分達の働く場を在日同胞に奪われ、生活が不安定だと考えています。この様な平凡な市民達が、むしろ右翼に変化している事が、安倍政権下の日本社会の一つの特性です。

安倍政権は、憲法改正を全面に掲げています。私は、東京が平和的メッセイジを発信する事が、何よりも重要だと考えています。平和憲法を守らなければならないと言うメッセイジを発信する事と同時に、北京市とソウル市に共に、東アジア平和都市宣言をしようと提案しました。        交流を通して3国の中心都市間の平和的流れを創造して行く事が出来ると考えています。(続く)
                                   (訳 柴野貞夫 2014412日)