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〔韓国民衆言論 チャムセサン 国際ニュース 2014429日付〕http://www.newscham.net/news/view.php?board=news&nid=74144&page=1&category1=38


          
在ドイツ哲学者 ハン・ビョンチョル、
            “セウォル号の殺人者は、船長で無く新自由主義だ”


● セウォル号船長(の行為)、労働市場柔軟化政策の結果。 “責任感持つ事は出来ない”

現代社会を‘疲労社会’と呼び、欧州学会に大きい反響を生んだ、在ドイツ哲学者 ハン・ビョンチョル ドイツベルリン芸術大学教授が、ドイツ有力日刊紙・FAZに、今回セウォル号災難について、“殺人者は、はじめから船長でなく新自由主義”だと明らかにして、注目された。

26日(現地時間)ハン・ビョンチョル ドイツベルリン芸術大学教授は“この船は、我々のすべてだ”と言う題目で、ドイツ<フランクフルトアルゲマイネツァイトゥン(FAZ>に寄稿、“沈没したセウォル号は、韓国人だけの問題でなく、沈む船を脱出した船長は、公共心をただの妄想だとする新自由主義イデオロギーの肉体”だと明らかにした。

ハン・ビョンチョル教授は、今回のセウォル号事件に対し、“単に、乗務員の不注意や非専門性、或いは韓国の国家的特色から、原因を探さなければならない事故として見る事はできない”とし、“これは、我が世界自らに対し多くの事を示すと言う、そのために、今日、我が社会に対する一つのメタファ(隠喩)として解釈する事が出来る”と前提した。

ハン教授は、まず“あらゆる面で、船長一人で責任を負い、パク・クネ韓国大統領は、殺人行為に責任がある”としたが、“この不幸に対する責任は、現代の前の経営者でもあった、イ・ミョンパク前大統領の新自由主義政策にある”とし、これ(新自由主義政策)を反証する三つの事項を提起した。

● セウォル号を飲み込んだ、新自由主義―-労働柔軟化、国家機関の民営化、規制緩和(国家の私有化―救助組織さえ民営化)

ハン教授が、最初に提起した新自由主義の事例は、規制緩和だ。彼は“一般的に船舶の生命は20間持続”されるが、“2009年、親・企業的政府(李明博政権)が、これを30年に延長させた。”とし、“こんな改革は、当時、李明博政府が集中した新自由主義的規制緩和線上で始められた”と伝えた。

彼はこれについて、“20年の制限規定が持続されたなら、日本で落船直前にあった18年になるこの船は、輸入されなかっただろう”とし、“ひたすら、利潤だけを追求する企業政策は、事故の危険を深刻に増大させる”と提起した。“費用を下げ、効率的に運営すると言う、こんな新自由主義の教理は、人命と人間的尊厳を、経費(=犠牲)として要求する。”と言うのだ。

ハン・ビョンチョル教授は、国家機関の私有化にも間違いがあると指摘した。彼は“韓国では海上救助業務が、部分的に私有化された”とし、“費用節減の為の救助措置の民営化は、危険である”と明らかにした。

彼は最後に、“セウォル号乗務員の大部分が、いわゆる非正規職だったと言う点”に注目した。ハン教授は、“彼等は短期契約的だった”とし、“船長さえも、極めて低い賃金の、1年任期の短期契約的”、“権威はなく、ただ名前だけの船長”だったと、指摘した。

ハン教授は、“この様な労働条件では、どんな義務、船に対する強い拘束と責任感も持つ事は出来ない”とし、“だから、人々はまず、可能であれば自らを助ける”と明らかにした。この為に彼は、“殺人者は、最初から船長でなく、新自由主義の制度だ”と強調した。

[出処: http://www.faz.net/ ]

● セウォル号船長、労働市場柔軟化政策の結果・・・“責任感を持てない”

ハン・ビョンチョル教授は、セウォル号惨事の時代的背景となった新自由主義の政策的問題を提起しながらも、哲学者として、この新自由主義イデオロギーが倫理的問題を生み、これがまた、事故に繋がるのかに対しても、掘り下げ暴いた。

ハン教授は、まず、“韓国で正規職は極めて稀(まれ)だ。”と言うところに注目し、“しかし、一般的に契約職労働は、道徳を傷つける”と見た。彼は“正規職がアジア危機当時、IMFが過酷に貫徹させた、新自由主義アジェンダによって、急激に廃止され、(・・・)経済の新自由主義化以後、韓国の社会的雰囲気は極めて険悪で非人間的”だとし、“全て自分自身、そして自分の生存だけを考え”て、“公共心が壊滅された”と明らかにした。

彼は、この様な事例として、先ずパク・クネ大統領を始めとして、韓国の政治家達が自身の履歴のために、事故現場に慌てて行き、特に写真を撮ったと言う点を聞き、これは、当時、制度的な強要に隷属させる新自由主義、俗に言う所の対案無き社会の証言だと見て、かれは韓国でだけでないと強調した。

しかし、ハン・ビョンチョル教授は、この様な公共心の壊滅は、“労働政策の結果”だとし、この原因を、新自由主義の労働市場柔軟化政策に求めた。

ハン教授は、“さらに多い利潤と効率の為に、労働を柔軟化することは、我が新自由主義世界の一般的な傾向”だとし、“今日、人々は種々の限られたプロジェクトだけのために採用されるだけだから、会社に対する強い拘束力が生まれない”と見た。

彼は代表的に“現在の経営者達は、会社に対する正体性が極めて弱い。”とし、“彼等は、会社が沈没し始めたら、多少誇張して言うなら、この会社を最初にまず、離れる”と明らかにし、“新自由主義は、効率を高める為に、一般的に拘束力、信頼を破壊する”と診断した。

このためにハン教授は、“韓国船長の態度は、部分的には新自由主義労働政策の結果”だとし、“これは船長に、道徳的な責任を課す‘自分の船’と言う強調をまったく可能としなかった”と見た。これに対し、彼は“どんな船長も‘自分の船’を先ず最初に離れない”とし、“20年前、韓国で発生した似た同様の大変な船舶事故で、乗務員達の態度はまったく違っていた”し、当時“乗務員全ては、災難から生き残る事は出来なかった”と伝えた。

ハン教授は、しかし、“一般的に船長は、強く自分の船と自身を同一視し、船と自身の運命を共にする”とし、“これは名誉に関する質問”だと明らかにした。しかし彼は、“この様な精神は、今日まったく存在せず、これは韓国にだけ限定される事はできない”のであり、“イタリアの<コンコルディア号>船長も、まず自分の生存だけを考えたのは、偶然ではない”と強調した。

● “ 我々はみんな、自分の生存に、もがいて生きて行かなければならない”“競争は、市場経済領域の一つの組織原則であるが、人々が、全社会を打ち立てる原則ではない”

このため、ハン・ミョンチョル教授は、“今日の社会自体は、生存の社会”で、“すべては自分の生存に、もがかなければならない”と見る。
ハン教授は、‘新自由主義’の概念の考案者である経済学者 アレクサンダー・ルイストウを引用し、“ただ、会社を市場に任せてしまえば、会社は更に麻痺されるだろうと主張した”とし、“この為に彼は、連帯、公共心と人間性を再生させる事が出来る‘重大な政策’を要求”するが、“新自由主義の今日の形態は、これとは反対に、より大きい者か、彼ら自身の企業家を生産する”と憂慮した。

このために、彼はルイストウが見た様に、“競争は、市場経済領域の一つの組織原則であるが、人々が全社会を打ち立てる原則ではない”とし、“道徳的であって、社会的な観点から、競争は一つに団結する原則でなく、解体させるものであって、今日の全社会の競争は、社会の没落、人間的な関係の解体に導く”と主張した。

ハン・ビョンチョル教授は、即ちこれによって、“船長だけでなく、自分自身の生存を先ず考える事は今日の典型的”であって“公共心が継続して解体されれば、(セウォル号だけでなく)わが社会は沈没するだろう”と警告した。

ハン教授は、この他にも、今回の災難によって政治家達が、透明性と統制を強化する事が出来るかも知れないが、これは本質的な原因でないとし、信頼を失ってしまった社会で、透明性が連帯と公共心が消えた社会で、統制が強調されても、透明性と統制は腐敗を防ぐ事が出来ても、これはただ、症状だけを除去するものであるとし、その限界を示した。

彼は、災難の“原因である揺れる公共心、或いは漸増する利己主義は、持続されるだろう”とし、彼が最初提起した新自由主義の政策変化に対する,根本的な省察を提案した。

(訳 柴野貞夫 20145月9日)