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(世界の新聞/韓国民衆言論・ミンプラス 2018211日付)
http://www.minplus.or.kr/news/articleView.html?idxno=4562


       在日総連 “わが民族同士誇らしく幸せに生きていこう”

在日本朝鮮人総連合会・平昌オリンピック応援団、開会式と民族和解フェスティバルに参加

                                              カン・ホソク記者

▲在日本朝鮮人総連合会応援団105人が、黄永祚記念体育館で開かれた民族和解フェスティバルに参加した。  

<在日本朝鮮人総連合会(総連)>大韓民国の国家保安法上の代表的な反国家団体のメンバー105人が、ピョンチャン(平昌)に来た。 北韓(朝鮮)は「在日本公民団体」と呼び、我々はよく「朝鮮総連」と略して呼ぶ。
総連会員の国籍は朝鮮籍が多い。(訳注―従って「韓国籍」の会員もいる。即ち、「朝鮮籍」も「韓国籍」も、「朝鮮民主主義人民共和国」や「大韓民国」の国籍ではなく、日本の植民地支配の歴史から生み出された「特別永住権」を持っに至った朝鮮民族の、日本国家に対する自主的な意思表示を示したものである。)日本植民地時代に渡ってきた当時の日本に、「朝鮮」国籍で申告したのを、解放後も変更していないこと。 二世、三世と伝わりながら、日本政府の差別と弾圧にも、“祖国が統一されれば、そのとき、統一国家の国籍を取るだろう”と心に誓い、厳しい歳月の朝鮮民族の尊厳を守ってきた。

平昌オリンピック応援団として入国した彼らに初めて会った場所は、ソクチョ(束草)ハンファリゾートのロビーだった。 話しかける事も、質問を受ける事も、ぎこちない短い時間はあっという間に過ぎてしまい、彼らは10日開かれた民族和解フェスティバルに出席するため、カンルン(江陵)黄永祚記念体育館へ行くバスに乗った。
彼等を取材しようと決めた理由は、日本という最高レベルの資本主義社会に住んで70年の歳月、朝鮮を憧憬し、北の立場を支持するわけ(理由)が気掛かりだからだ。実際、彼らは朝鮮民主主義人民共和国の国籍者ではなく、だからと言って、数10回、北韓(朝鮮)を行ってきた彼らが、北の実状を知らず、騙されているわけでもない。


▲平昌オリンピック応援団として入国した、ユン・チュンナム チャン・チュンジャ母娘は、開会式の感想を語った。“北と南の選手が一緒に入場する時、大変感動しました。その時まで寒かったのに、寒い事も忘れてしまって涙まで出てしまいました”。

  
▲リ・トンジェ祖国平和統一協会・会長は、“私たちの民族が、力を合わせなければならないと言う事。私たちは海外にいますが、北南、海外の力を合わせて平和運動、統一運動、南北関係が、改善される大きな突破口を開こうと訴えた。

 
▲フリーランスのMCをやっているク・ヒョンア(37歳)さん 。 

体育館をぎっしり埋めた3千余の応援団をかき分けて、総連同胞とのインタビューを続けた。 最初の質問は、9日開かれた「オリンピック開会式で最も感動的な場面は」だった。南北共同入場と聖火奉送(訳注―この場合、会場内での聖火リレーを指す)という予想は外れた。
 “アナウンスがコリアと言った時、南北の選手たちが一つになって統一旗(彼らは、韓半島旗をこのように呼んだ)を前に押し立て登場するので、 自分も知らないうちに、涙が流れて理由もなく胸がジーンと... 私の遺伝子DNAが、私たちの民族であり、コリアだ...  フリーランスMCの仕事をするグヒョンア氏はその日の興奮を隠せなかった。
平昌に入って行った時、単一旗(訳注―統一旗のこと)が沢山垂れ下がっていて、いらっしゃい、会えてうれしいと言ってもらって、大きな感動を受けたと言う、カン・スンジュ氏とリ・スミヨン氏。
南北の選手たちが手を握ったこともそうであるが、開会式場で、南・北・海外の同胞達が一つになって、応援する姿もまた感動的だったと言うリ・ヨンヘ氏。
短くは10年、長くは70余年ぶりに、故国の土地を再び踏む事となった総連応援団の、最初の公式日程であるオリンピック開会式は、明らかに、彼らに韓(朝鮮)民族の自衿心(誇り)と,消えて行く統一の熱望を、再び引き起こす事に十分と見えた。時間余進められた、民族和解ハンマダンの余韻を維持したまま、夕食の場に移った。


▲故国の地を初めて踏まれたと言う、イム・チャビン(82歳)先生と、夫人のキム・ヒョスク(77歳)先生。開会式場で、北側代表団のキム・ヨンナム(金永南)委員長とキム・ヨジョン(金与正)副部長が、ムン・ジェイン大統領と手を取り合ったのを見て、“統一が来ると確信を持つようになった”と言う。  

▲夕食の席で撮影したリ・スヒョン氏。 頬の肉を“写真処理で少し削ってほしい”と言う注文を叶えてあげる事が出来なかった。

今後、南北関係をどのように展望するのか。 米国の干渉と対北圧迫攻勢にどのように対応するのか。
やや鋭敏な主題であり、記者は、慎重に口を開いた。複雑な質問に比べ、チェジュ(済州)島が故郷であるソ・チョルジン氏の答えは
簡単明瞭だった。
“北・南・海外の私たち民族が、どれだけ力を合わせるかに掛かっている。ピョンチャン( 平昌)オリンピックは、私たち民族に負わしてくれた贈り物である。ピョンチャン(平昌)を契機に、全民族の統一力量を一つに集めて、米国と日本、その追従勢力の分断策動を粉砕し、私たち民族同士,誇らしく、幸せに生きて見よう”。
“米国との関係の問題も考慮しなければならないと言う、ムン・ジェイン政府の立場は理解出来る”と述べ、“平昌オリンピックを開催した底力で首脳部会談(南北首脳会談)まで成功させ、キャンドル大統領の威厳を見せてくれると信じる”と付け加えた。

― 総連はなぜ核ミサイルをはじめとする国際問題で北朝鮮(朝鮮)の立場を一方的に支持するのか。
もっと早く聞きたかった質問を投げかけた。躊躇う事無く答えが出た。 キョンプクウイョン(慶北宜寧)が故郷の、キム・セジンさんの確信に満ちた発言だ。
“私たちが北の立場を支持する理由は、日帝強占(カンチョム)時期、誰が抗日闘争をしたかという政権の正統性の問題もあるが、何よりも朝鮮は、米帝国主義の圧殺策動に対抗し、自主的立場を堅持しながら、民族の尊厳を守ってきた点を高く評価している。 核問題だけでも、数十年間続いた米国の核の脅威に対抗する唯一の手段は核だという判断に基づいて、米国本土まで到達する核武力を確保することにより、この地の平和を確保し、私たちの民族の生存権と尊厳を守った。 もちろん、在日同胞社会に、北朝鮮が大きな助けと配慮を惜しまなかったことも、北を支持する理由だ。”
 
今後、南北関係をどのように展望するのか。 米国の干渉と対北圧迫攻勢にどのように対応するのか。
やや鋭敏な主題であり、記者は、慎重に口を開いた。複雑な質問に比べ、チェジュ(済州)島が故郷であるソ・チョルジン氏の答えは
簡単明瞭だった。
“北・南・海外の私たち民族が、どれだけ力を合わせるかに掛かっている。ピョンチャン( 平昌)オリンピックは、私たち民族に負わしてくれた贈り物である。ピョンチャン(平昌)を契機に、全民族の統一力量を一つに集めて、米国と日本、その追従勢力の分断策動を粉砕し、私たち民族同士,誇らしく、幸せに生きて見よう”。
“米国との関係の問題も考慮しなければならないと言う、ムン・ジェイン政府の立場は理解出来る”と述べ、“平昌オリンピックを開催した底力で首脳部会談(南北首脳会談)まで成功させ、キャンドル大統領の威厳を見せてくれると信じる”と付け加えた。

― 総連はなぜ核ミサイルをはじめとする国際問題で北朝鮮(朝鮮)の立場を一方的に支持するのか。
もっと早く聞きたかった質問を投げかけた。躊躇う事無く答えが出た。 キョンプクウイョン(慶北宜寧)が故郷の、キム・セジンさんの確信に満ちた発言だ。
“私たちが北の立場を支持する理由は、日帝強占(カンチョム)時期、誰が抗日闘争をしたかという政権の正統性の問題もあるが、何よりも朝鮮は、米帝国主義の圧殺策動に対抗し、自主的立場を堅持しながら、民族の尊厳を守ってきた点を高く評価している。 核問題だけでも、数十年間続いた米国の核の脅威に対抗する唯一の手段は核だという判断に基づいて、米国本土まで到達する核武力を確保することにより、この地の平和を確保し、私たちの民族の生存権と尊厳を守った。 もちろん、在日同胞社会に、北朝鮮が大きな助けと配慮を惜しまなかったことも、北を支持する理由だ。”


▲やや複雑な質問に対して、簡明に答えてくれたソ・チョルジン氏。
 

▲大学の先輩と後輩の間であるソ・チョルジン氏(左)とキム・セジン氏(右)。

インタビューを終える頃、女性アイスホッケー・コリアが、スイスとの予選を開始した。 結果は、80の敗北。 残念な気持ちをなだめなければならないが、ムン・ジェイン大統領と金永南委員長が競技場に同席して南・北・海外応援団の“我々は、(パチパチパチ)一つだ(パチパチパチ)”の応援が加わり、我々民族の統一熱望で、平昌の夜空を縫い取った。

                                              (訳 柴野貞夫)