柴野貞夫時事問題研究会 本文へジャンプ

 

 


名古屋高裁は「航空自衛隊による多国籍軍兵員輸送は、憲法9条1項に違反する戦争行為」と判決した!!

 

    

自公政権は、直ちにイラクとインド洋における多国籍軍の、後方支援と言う戦争行為を止めるべきである!!

 

 

 

 

○ 「憲法の番人」(司法)は、これまでその責任を果たしてこなかった

 

 

 

4月17日、名古屋高等裁判所民事第三部、青山邦夫裁判長、坪井宣幸、上杉英司両裁判官は、「自衛隊イラク派兵差止訴訟の会」による、日本政府による自衛隊のイラク派兵が日本国憲法9条1項に禁止する、海外での他国に対する武力行使であり同時に国民の「平和的生存権」を侵害する国家による違法行為であることを、明確にした判決を下した。

 

 

行政府による「自衛隊イラク派兵」と言う違憲行使の取り消し変更と賠償請求に対しては、「行政権の行使に対し、私人が民事上の損害賠償請求権や取り消し変更の請求を有するとは解さない」(判決)とするも、控訴人らの本裁判の民事請求の根拠としての「違憲確認請求」にたいしては、国家による違憲行為を根本的に認め、この裁判で「訴訟の会」及びこれを支持する多くの国民が求めた憲法の番人としての司法の責任が、戦後初めて果たされたと言ってよい。しかもこの判決は、本裁判の性格上最終判決として確定した。

 

 

今日まで日本の司法は、国家権力によって絶えず積み重ねられてきた、憲法第9条1項及び2項の、なし崩し的不法行為、そして、これら条項が国民に保障する「平和的生存権」の蹂躙を、あらゆる訴訟で「憲法判断の回避」によって容認し、国家権力による日本国憲法の、平和憲法としての実質的解体の招来に手を貸し、憲法の番人としての如何なる責務も果たしてこなかった。

 

 

その意味では、今回の判決は、航空自衛隊による多国籍軍のバグダットへの兵員移送と言う事実に限定しても、日本政府による、米帝国主義者どもによる世界的な侵略的武力行使への加担が、明確に憲法第9条違反であると認定したことは、憲法の番人としての司法の責任を、遅まきながら果たすことが出来たと評価でき、我々日本の民衆の、平和憲法を擁護する戦いを支え、法に照らしても日本執権政府と資本家階級、及び日本のあらゆる右翼国家主義者や軍国主義者とフアシスト共に対する一定の打撃となったことは疑いない。

 

 

しかし、資本主義社会における、憲法に保障する「基本的人権と法の下の平等」による法の支配とは、その美辞麗句を支配者に守らせるための民衆の絶えざる戦いを抜きにして、国家権力の暴力装置を背景とした資本家階級の民衆支配を覆い隠すイチジクの葉に過ぎない。東京高裁による、今回の判決の対する国家権力の対応は、そのことをあからさまに暴露している。

 

 

 

○ イラクでの多国籍軍空輸活動が、「憲法9条の蹂躙」と断定した司法の憲法判断を、無視すると公言した福田首相

 

 

「三権分立」と「法の支配」という、彼ら日本資本家階級の統治原理なる御託を並べてきた国家権力は、この判決を受けて何と言ったか。福田首相は、判決当日「結局、国が勝訴したんだから問題はない」と、本裁判が訴訟団による、違憲請求を目的とした民事賠償に過ぎない事をあからさまに捻じ曲げ、「法の支配」に背を向ける妄言と虚言で、憲法尊重義務を誰よりも重く背負わされているはずの首相職を自ら辱めた。今後とも法の蹂躙の意思を公言し、法と国民に対する許しがたい冒涜をおこなった。

 

 

判決は、日本政府のこれまでの憲法解釈を前提としたとしても、「バグダットは・・国際的な武力紛争の一環として殺傷や破壊行為が現におこなわれ、イラク特措法に言う《戦闘地域》に該当する。(また)航空自衛隊の(バグダットへの)輸送活動は、現代戦では、輸送なども戦闘行為の重要な要素であり、多国籍軍の戦闘行為にとって必要不可欠な軍事上の後方支援を行っていると言える。多国籍軍の武装兵員を戦闘地域のバグダットへ空輸するものについては、他国による武力行使と一体化した行動で、自らも武力の行使を行ったとの評価を受けざるを得ない。(したがって)空自の空輸活動は、イラク特措法を合憲としても、武力行使を禁止した同法2条2項、活動地域を非戦闘地域に限定した同条3項に違反し、憲法9条1項に違反する活動を含んでいる。」(判決要旨)と、日本政府のイラク自衛隊派兵行為が、具体的に、憲法を踏みにじる戦争行為であることを明確にした。

 

 

 

○ 「判決文は、暇になってから読む」と、憲法と法の支配を嘲笑する高村外相

 

 

判決によって、自公執権政府が「人道復興支援とテロ防止の為の国際貢献」と言いくるめてきた中身の実態が剥がされた外務大臣・高村正彦が、この判決を知らされた18日記者会見で行った発言は、福田と同様、法の支配を統治原理とする事を建て前とする資本家階級権力の代理人の本音が、常に必要とあれば権力に物を言わせて、その建て前をかなぐり捨て、権力の暴力を背景に、法を無視することにあることを示している。

 

 

高村は、この国家の違法行為と断じた判決を、「後世大事にする必要も無い。裁判所が傍論で書いたと言う事実はあるから、外務大臣を辞めて暇でもできたら読んでみますよ。」と揶揄した。判決に於いて、まさに今、自らの職責に於いて推し進めて来た対米戦争協力が、憲法蹂躙行為と指弾されている時にだ。

 

 

憲法の番人である司法が、外務省が主導してきた米軍の国際的な武力行使への協力(兵員輸送)を、「憲法9条1項の違反であり、イラク特措法にさえ違反する」(判決要旨)と断じ、外務大臣としての高村自身の己(おのれ)の責任と脱法行為が、「法治国家」における「法の支配」の検証の問題として俎上にのぼっているにも拘らず、この司法の判断に対する外相としての責任を問われ、「外務大臣を辞めて暇でも出来たら(判決文を)読んで呼んでみる」と答えた事実は、高村と言う人間が、思考能力も判断力も失ったパラノイヤか、国民を愚弄する為、幼稚な意図的詭弁を弄している犯罪者か、そのどちらかと言うべきであろう。

 

 

日本資本家階級どもの「法の支配による統治」とは、この程度のものだと言う事を、日本の民衆は深く肝に銘じておくことにしよう。

 

 

 

○ 司法の怠慢が、国家権力の憲法無視を増長させてきた

 

 

司法の判断を、「後世大事にする必要も無い」と、国家権力の中で公言する高村の様な<やから>が輩出してきた歴史的背景は、何度も言うが、戦争を放棄し武力の行使を行う軍隊を持たないと規定した憲法9条1項、2項にもとずく「国民の平和的生存権」を、絶えず脅かしてきた歴代国家権力の行政執行に対し、法の番人としての司法が「憲法判断の回避」によってその責任を放棄して来た事に依るところが大きい。

 

 

その結果「解釈改憲」は留まるところを知らず、ついに「イラク特措法」と言う自衛隊の『海外派兵』を合法化する違憲立法まで成立したのである。このことが、福田や高村のような、国民冒涜発言、憲法9条が保障する国民の「平和的生存権」を否定する傲慢不遜な態度を生み出す原因となっているのである。

 

 

 

○ 政府の「戦争行為」(判決文)の「差止め」を、認めなかった今回の判決は不当である。

 

 

今回の判決は、イラク特措法の違憲性は問題とせず、日本政府の憲法解釈を前提として、空自の多国籍軍兵員輸送が、特措法にも違反していることを強調しており、しかも、訴訟団による「差止め請求」を、「行政権の行使に対し、私人が民事上の請求権を有すると解すことは出来ず、訴えは不適法だ。」(判決文要旨)と、政府に、違法な「国際的武力紛争への後方支援」(判決文要旨)を差止めることを求めなかったのは極めて遺憾である。

 

 

また、「本件派遣によって具体的権利としての平和的生存権が侵害されたとまでは認められない」(判決文)との認識は、政府の行為に対する、一方での、明確に「憲法9条に違反する」とする判決文との整合性に明らかに問題がある。イラク派兵によって憲法9条が蹂躙されていると言う現実が、平和憲法の法の執行と理念の解体の危機を告げているとすれば、この事態こそ、国民の「平和的生存権」の侵害として認識しなければ為らないはずである。

 

 

 

○ 司法の憲法判断を、『関係はねえ』と嘲る、空幕僚長の首を切れない自公政権は、もはや政治的腐敗の極致である

 

 

 

福田と高村が4月18日、揃って、自分達に対する判決への意見を問われて、自、分達の御主人であるブルジョアジーの建て前であるはずの『三権分立の統治理念』さえ踏みにじり、(憲法違反の判決が確定しても)「問題はない」だの、(判決文を)「暇になったら読んでやる」だの、御託をならべて「法の番人」の審判を嘲り嘲笑したが、同じその日、もう一人の当事者も図に乗って、今度はもっと低俗にお笑い芸人のネタを使って(「バグダッドへの多国籍軍兵員輸送は憲法違反」は)「“そんなの関係ねえ”」と、公言した<やから>がいる。

 

 

判決が、憲法違反の主たる行為者とした「航空自衛隊」の責任者である田母神俊雄航空幕僚長は、4月18日定例記者会見で「隊員たちの心情を代弁すれば、(隊員の)大多数にはほとんど影響ない。“そんなの関係ねえ”と言う状況だ。」と平然と主張した。この、憲法尊重義務を公然と嘲ける、国家権力の暴力装置を握る軍人の発言を誘発しものは、福田、高村を初めとする自公執権政府の憲法否定の態度と、憲法の番人としての司法のこれまでの怠慢にあることは明白である。

 

 

暴力装置を背景に、公然と憲法の遵守を否定するこの自衛隊幹部をのさばらせることが、何を生み出すことになるか。我々は、「有事に於ける国民の強制的動員」と「憲法の上に聳える司法としての軍事裁判所」と言う軍事国家が、民衆支配の究極の姿であることを想起すべきである。日本資本家階級の、国際的軍事プレゼンスの確立と、市場分割の為の武力行使(侵略戦争)の準備を予見するものとの認識が必要である。

 

 

 

○ 憲法とは、国民に対する国家権力の義務を明記した「法律」である

 

 

「憲法」が、他の諸法律と根底的に異なるのは、それが、国家権力が国民に対してはたすべき義務を明記した行動規範であり、国家権力をして厳しく守らしめるための法であると言う点である。国家権力から民衆の基本的人権を擁護するための法であるという事である。憲法を無視する執権政府とその代理人たちの無法行為と無法発言は、決して容認することはできない。

 

 

2007年、国民投票法の成立は、平和憲法擁護の戦いが正念場を迎えていることを示している。福田自公政権と小沢民主党改憲派は、9条改憲の大連立を今も模索している。福祉を切り捨て差別社会を合理化し、朝鮮民族に対する民族的差別を煽り排外主義を植え付け、軍事国家の道に利用する自公政権と対決する民衆の広範な戦いを、さらに進めるときである。 (文責 柴野)