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【韓国民衆言論 チャムセサン2009年2月19日】

http://www.newscham.net/news/view.php?board=news&id=45490&page=1&category1=38

 

 

 

反資本主義新党(NPA)創党大会に行って来て。

 

 

フランス・トロツキー主義「革命的共産主義者同盟」の発展的解散と「反資本主義新党」の創党

 

 

フランスNPA:新しい、戦う政党(革命的左翼)の歴史的実験(2)

 

 

 

メディア・チュンチョン(http://www.cmedia.or.kr/)2009/02/19


 

 

<訳者解題>(記事本文は、このあと)

 

○前回に引き続き、韓国左派活動家による、フランスの「革命的共産主義者同盟」の発展的解散と「反資本主義新党」の創党大会の報告を2回に分けて掲載する。

 

○パリ発2月13日(共同)は、13日付フランス日刊紙「フィガロ」の世論調査をもとに、次の様に伝えている。

“サルコジ大統領の対抗馬として、最もふさわしい政治家として、7日発足したばかりの極左政党「反資本主義新党(NPA)の創設者オリビエ・プザンスノ氏(34)が、主要野党党首を抑えてトップに選ばれた。世界的な経済危機を背景にフランスでは雇用の維持などを求めストやデモが頻発しており、最左翼勢力への支持増加が確認された形。

プザンスノ氏は、12月の調査から12ポイント上昇し、23%の支持を獲得、社会党のオブリ第一書記は5ポイント増の13%にとどまり、2007年大統領選で同党候補となったロワイアル氏は6㌫、中道、民主運動のバイル議長も6㌫だった。”と。

 

 

<本文>

 

長い間、交流したフランスの同志から招請をうけ、フランスに行って来た。4泊5日のぎりぎりの日程の中で、フランス語が出来ない関係で困難が多かったが、歴史的事件の現場にいると言う感動を感じることが出来た。一言で、老壮革命家と新しい世代の活動家達の出会い、その新鮮な実験が、公式的に第一歩を踏み出す場で、共にする事が出来たと言う事実ひとつだけでも、多い困難が相殺された。

 

1989-91年、社会主義の分解直後から推進された、新しい主体形成の努力が、長い紆余曲折の末に遂に、初めて実を結ぶ感激の瞬間であったが、冷靜に言って、新しい解放と変革のための主体形成と、新しい政治地形/左派地形は、まだ形成中だ。また、NPAプロジェクトの結果が、主体の努力だけで成果を出す事が出来ると言う保障があるのでもない。こんな意味で、LCR(革命的共産主義者同盟)/NPA(反資本主

義新党)の実験に対する過度な期待や、恣意的同一化の政治的危険に陥らないようにしながら、この過程を理解する必要がある。




△写真 LCRの示威行動 (出処:NPAホームペイジ)



 

LCR(革命的共産主義者同盟)総会―争点と意義

 

総会の進行方式が、我々と随分異なる。最小六ヶ月前に、総会に一つの総括文書として案を提出する。二つの案が提出する事もできて3-4個の案が提出されることもある。党内の「意見グループ」(分派?―訳注)間の合従連衡が可能だ。今回、450余名の代議員らの前で二つの案が提出されて、多数派のA案は歴戦の老将、アレン・クリビンが基調提案したし、(<レデイアン>の関連記事は、総括提案だと錯覚するが)、少数派のB案は、クリスチアン・ピケ(党内分派/意見グループである「,連係」Unirを代表)が説明した。

 

なにしろ、長い間の討論だったし、内容に対する熟達度が高いのか、原稿もなく、よどみない演説も上手くやっていく。無論初歩活動家達は、ノートを持って語る事もするが、総会討論が全組織的に準備された理由に、代議員達が自分の会員たちの意見を代弁して、ほとんど義務的に発言するので、重言復言の、長引くと言う感じもあるが、代議員達は自分の義務を忠実に遂行している。

 

2月5日午前の討論は、LCR(革共同)の解散とNPA(反資本主義新党)の建設に関した内容が主となるので、特別な意見はない。勿論、少数派は解散過程があまりに性急ではないか、また、十分な討論が必要だと言うなど、それなりの一理はあるが、自明な批判を提議した。勿論、NPAへの(勢力の)拡張が、「革命運動」の、「反資本主義運動」への下向平準化(質的ダウン)ではないのか?と言う厳しい批判も提議された。欧州議会の選挙と左派連帯を取り巻く問題提議と、批判も提議されたが、LCR(革共同)総会で決定する事より、NPA(反資本新党)総会で決定しなければならない事案だ。

 

しかし、午後の討論は違った。LCR(革共同)が属した第四インターナショナル問題が出て来るので、討論が容易に終る気配を見せない。多数派は、すっきりとLCR(革共同)を整理して、NCR(反資本新党)に,LCR(革共同)協会、或いは、第四インター支部を作らない立場であり、少数派は、第四インターとの関係のために、最小限の形式的枠が必要だと言う立場だ。その形式的枠は「意見グループ」(分派―訳注)や、傾向でもない単純な協会(association)水準だから、問題にならないと強力に繰り返して主張した。

 

後で、多数派の見解に(少数派が)押さえられた話を聞いてみたら、真相はこうだ。少数派がNPA(反資本新党)で、意見グループ(分派―訳注)を作る権利は当然あるが、LCR(革共同)を、全体としてまとめて、協会でも支部でも作る事になれば、第四インター問題がNPAで重大な事案となり、不必要な論議で、新たに結合した新世代の活動家達を、逆に疎外させる憂慮が大きいと言うことだ。数十年間の累積された努力の成果でつくったNPA(反資本主義新党)が、わずかの間に、過去の孤立的宗派組織に回帰する危険を、根本的に除去するのだという意思の表現だ。

 

とにかく、午後の熱っぽい討論を経て、夕方の会議で表決が果たされた。最終表決は非公開会議で進行した。後で、結果を確認するとA案が87・1%,B案が11・5%、棄権1・4%だそうだ。おおよそ、LCR内部の構図を知ることが出来る結果だった。

 

 



△写真 代議員の投票(出処 NPAホームペイジ)

 

 

40年の革命闘争の決算―LCRからNPAへ


 


(出処 NPAホームペイジ)

 

アレン・クリビン、ダニエル・ベンサイトゥなど、老将達は68年革命当時、ダニエル・ベンコンディトゥ、アレン・ジェスマル等と共に、20歳初半の若い獅子たちだった。彼らが今、60をひらりと越えた白髪で、若い世代に組織を渡した。苦労して、難しい歳月だったが、並外れた自負心と矜持(きょうじ)を持って退く老将たちの姿は美しい。

むろん、老革命家達に政治活動の隠退と言うものはない。後で、アレン・クリビンとのインタビュウで訊ねたら“闘争は継続される。”と言った。

 

今回解消した、何だか怖い名前のLCR【革命的共産主義者同盟】は、1974年に公式に結成されたが、そもそも、1966年の共産党青年組織から放逐されたアレン・クリビンなどが結成した、革命的共産主義青年同盟(JCR)だ。かれらは、68闘争(5月革命)の走者として積極的に結合してから、ドゴール政権からその年6月に解散させられた。彼等は、フランス・トロツキー主義政党である国際主義共産党(PCI)と結合し、次の年である1969年、共産主義同盟(LC)を結成して、第四イあンターナショナルの支部として加入する。

 

しかし、68年の後の暴風のなかで、68年(5月)革命を1905年のロシア革命に比肩し、1917年の再現の為に戦ったが、彼らの夢は未完に終わり苦難の時期が始まった。この70年代初半の左派主義的傾向の中で、LCはファシストグループである「新秩序」(NO)と、物理的衝突を辞さなかった後、もう一度組織の解体に遭った。そして次の年である1974年に、革命的共産主義者同盟(LCR)として新たに生まれ、今日に至り発展的解散の歴史的局面を迎えたのだ。

 

LCRは、こんな1970年代の左翼主義を克服し、1980年代後半以後の労働組合運動と社会運動を媒介に、一つの大衆路線に転換した。その結果、戦闘的労組であるSUD[連帯―団結―民主主義、]、実業者運動(AC!)、反世界化運動(ATTAC)等で主導的役割をすることで、歴史的に衰退する共産党や、LO(労働者闘争)とPOI(独立労働者党・ランベル派)など、宗派的孤立に陥った他のトロツキー主義組織に比べ、躍動的な闘争を遂行し、数字に比べ、はるかに大きな社会的政治的影響力を持つこととなる。

 

特に、1995年の年金ゼネストを始まりに、2003年のCPE反対闘争(資本家が労働者を、理由を明示せず2年以内に自由に解雇できることを保証する「雇用柔軟化政策」―訳注)、2005年欧州憲法反対闘争などにつながる闘争主義の活性化のなかで、新たに急進化された世代が組織に加わりながら、70年代初中半の1万党員と、日刊紙を出した全盛期に比べ、2千台に減った組織員が再び3千名水準に増えた。特にソ連の分解以後の新しい情勢に、新しい勢力再編のための努力は、1999年欧州議会選挙、2002年大統領選挙(この時、弱冠27歳のオリビエ・プジャンスノが登場した。)を経験しながら、新しい政党のプロジェクトで具体化される。

 

そして、2005年欧州憲法反対闘争と、CPE反対闘争の組織的成果が、即ちNPA(反資本主義新党)建設に集約されたのだ。あらゆる既得権を総て捨て、新しい枠に結合するものである。2007年大統領選挙の得票で支給される政治支援金(元来は、右派小規模政党らが、生存の為に.要求したもの)を、第四インターナショナルへ支援する他に、40年間蓄積されたあらゆる物をNPAに移転する決断は、左派運動史で類例のない事だ。その40余年の歳月に、(私が)心を奪われている切切さを、どんな言葉で表現出来るであろうか?

 

 

NPA(反資本主義新党)―新しい実験の第一歩

 

 

‘今、反資本主義新党だ!’は、スローガンとメガホンにしよう!新しい世代の活動家達が、生涯を革命に捧げた老将と一緒になって、下からの新しい党を建設する。もはや前日とは雰囲気が違う。外は降りしきる雪が舞うが、会議場が大勢でざわめく。解散時点でLCR(革命的共産主義者同盟)の会員規模が3200名だが、NPA(反資本主義新党)は、経過報告よれば9123名で、一万の隊伍に肉薄する。余裕だった会議場はいっぱいとなって、出入りする事も容易くない。楽しい悲鳴!!




△写真NPA創設大会場(出処NPA/ホームペイジ)


 

(続く)

 

 

(訳 柴野貞夫)

 

<参考サイト>

 

09年2月14日更新 世界を見る-世界の新聞から
☆ フランス、革命的左派の新しい実験 (韓国・チャムセサン紙 2009年2月11日付け)