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(韓国民衆言論 チャムセサン 2009年2月11日付け)  

http://www.newscham.net/news/view.php?board=news&id=45394&page=1&category1=38

 

 

 

フランス、革命的左派の新しい実験

 

 

 
【寄稿】  LCR(革命的共産主義者同盟)の解散と、NPA(反資本主義新党)の創立

 

 

<訳者解題>

 

○日本においても、3月末には、更に、正規非正規を問わず100万人規模の労働者が、職を奪われると試算する言論も有る。まして、大企業と結託し、宿泊施設の代金を天引きし、労賃の中間搾取を重ねて来た派遣業者によって、製造業労働者は、またしても大量に、文字通り、道路や歩道の片隅に放り出されるであろう。まともな人間であればこんな仕打ちは、犬猫にもしなかったはずだ。労働者大衆は、資本主義体制のもとで、人間の尊厳と人権、生命と生活すら守ると言うことが許されないと感じ始めている。 

資本家に対し、「ルールある資本主義」を説くのではなく、労働者は資本家に代わって、自分達で社会を運営しなければならない時代に来ていることを、自覚しなければ為らない。

 

すでに1917年に、死の宣告が出されたはずの資本主義体制が、あまりにも長く生き延びたことが、資本家どもの放埓にして人非人行為をのさばらせている理由である。トロツキーはかって、自然科学の発展に対して社会科学の遅々たる歩みを批判したが、それは、人類の資源の浪費と、労働の搾取で成り立つ資本主義と戦わねばならぬ主体の側にこそ問題があると言うものだ。

 

かって、マルクスは次の様に言っている。「賃労働者は、一定の時間を無償で資本家のために(従ってまた剰余価値にたかる資本家の伴食者のために)働く限りでのみ生きることを許される存在である事、それゆえ、賃労働制度は一つの奴隷制度であり、しかも賃金が良くなるか悪くなるかにはかかわりなく、労働の社会的生産力が発達するにつれて、ますます苛酷になっていく奴隷制度である。」

 

マルクスの指摘は、トヨタに象徴されている。08年3月期、内部留保を13・9兆円と伸ばし、純利益を連結ベース500億、単独2200億円の未曾有の利益を出したのは、正規の半分以下の賃金の非正規労働者88000人(08年3月期)の、牛馬のごとき奴隷労働の結果である。にも拘らず、「前年と比べて利益が落ちた」事を理由に、労働者の職を奪い宿泊所から追い出したのだ。「奴隷」は、奴隷主の鞭の支配下であっても、「食と住居」を与えられたが、日本の「賃金奴隷」は、命の恐怖の中で「食も住居も」あたえられることなく、従って、労働の再生産すら拒否(死)されているのだ。「奴隷」以下と言わねばならない。

 

資本主義の歴史的命運は、既に尽きている。

 

○韓国の「社会主義労働者政党準備会合」は、他の韓国のグループとともにフランスのトロツキー主義者が主導する、革命的共産主義者の広範な結集体の創設大会に招請された。かれらはそこで、フランスの革命的な政治党派の新しい出発の中に21世紀の世界に共通する、革命の求心力を見た事は、正しい選択であるといえる。

 

何故なら、世界の労働者階級にとって、歴史的命運が尽きているはずの資本主義に変わる社会主義の展望を、著しく貶めたものは、スターリン派によるロシア革命の変質と、その後のソ連圏を支配したスターリニスト官僚による「社会主義体制」の姿である。今歴史の正当な評価に従えば、スターリン派による一国社会主義による国際主義の放棄と、労働者民主主義の否定を一貫して批判してきたトロツキー主義者を中心とする革命的国際共産主義運動の存在は、新しい社会主義の展望と希望を、世界の労働者階級に与えるものである。スターリニズムの歴史を正しく総括できないその後継者によっては、決して新しい社会主義の展望を語る事はできないであろうし、社会主義を志向せんとする労働者を説得する事はできない。

 

その運動が、世界で最も大きく、労働者階級のなかで形成されつつあるのがフランスである。(フランス)「革命的共産主義者同盟」(LCR)は、職場と地域と広範な大衆組織に影響を持ち、議会も最大限利用しながら、職場と地域の実力闘争を基礎に,明確に社会主義を志向する政治組織である。2002年と2007年の大統領選挙では、オリビエ・プザンスノを立て、それぞれ4・24,4・08%を獲得している。日本の「革命的左翼」の諸組織も、LCRの如く、革命的求心力を持った大きな組織への結集を追及することが求められている。最近一部組織が、正式に「内ゲバ」を、「スターリニストの粛清」手法と変わらないと自己批判したことは歓迎すべき事である。  (訳者解題)

 

 

 

△民営化政策に反対するLCR(革命的共産主義者同盟)のデモ隊列

 

○LCRを中心とするフランスの情勢については、Wikipedia 内の「革命的共産主義同盟(フランス)」が参考になる。

 

 

(本文 以下)

 

アン・ジェフン(〔韓国〕社会主義労働者政党準備会合)

 

 

2009年2月5日から8日まで、フランス・パリ郊外サンドニのユーロサイトコンベンションセンターで、革命的共産主義者同盟(LCR)の解散総会と反資本主義新党(NPA)の創立総会が開かれた。これは、1962年の5月闘争の成果物で建設されたLCRが、40余年の歴史を終える場であると共に、NPA建設を通じて、資本主義社会を超える為の政治的/文化的/世代的拡張の新しい実験を始める場であった。

 

 

△ LCRのNPAへの転換は、量的、内容的に更に拡張を遂げた。

 

 

 

△ NPA創立総会に参加した代表団

 

LCRのNPAへの転換と左派政治運動の地殻変動は、フランス内でだけでなく、全世界の左派陣営関心を引いている。韓国でも、今回LCR解散総会とNPA創立総会に、社会主義労働者政党準備会合と進歩新党が招請を受け参加したし、その外に21世紀コリア研究所などが参加した。

 

 

 

LCR(革命的共産主義者同盟)の歴史的解散:二つの傾向、二つの同意案

 

 

2月5日午前10時から進行されたLCR解散総会は、450余名の代議員と100余名の海外代表団が参加した中で進められた。総会には二つの案(A案とB案)が提出され、賛否討論の形態で午前と午後にまたがる熱っぽい討論が続けられた。

 

二つの案は、LCRの解散とNPAの組織的結合に対して、異見がなかったが、結合以後、第4インターナショナル(トロツキー主義国際組織)との関係設定問題をめぐって、大きい見解の相違を見せた。アレン・クリビンが説明したA案は、多数派の見解として、LCR解散以後にNPA内部に別途のLCRグループ/傾向を、作らないと言う事だ。だから、LCRが主導的に参加してきた第4インターナショナルの問題は、やはり、NPAの中で空けておいて論議し、決めようと言う立場だった。

 

反面、B案の提案者であるクリスチアン・ピケは、少数派の立場を代弁して、LCRの解散過程に現れたいろんな問題点を指摘しながら、第4インターナショナルに加入した旧LCR会員の組織として、‘第4インター協会’(association)が必要だと言う立場を主張した。これに対し多数派は、協会の設立がNPAが組織的に堅固でなければならないと言う視点に、不必要な裏表の誤解と混乱を引き起こす危険があるので、少数派の見解に反対した。

 

午前と午後の公開会議を後に進行された、夕方の非公開会議で、二つの案と財政問題などに関した表決がなしとげられたが、A案が出席代議員の87.1%の支持を受けた。反面、B案は11.5%の票を得て、1.4%は棄権した。これと同じLCR総会の最終的決定は、一切の既得権を越え、NPAを下から建設すると言う、LCRの老壮闘士たちの断固とした意思を反映したものだ。

 

 

 

NPA創立:新しくて、若々しい、反資本主義運動

 

 

NPA創立総会は、フランス全国から集まった、630余名の代議員達の参加した中で、2月6日から2泊3日の日程で同じ場所で進行された。総会は、2月6日午前の全体会議を通して開幕されたが、午前の会議では会議進行の説明、闘争報告(最近の旧フランス植民地のカダルルペで起こったゼネストの事例)、NPA建設経過報告の順序で続けられた。簡単な経過報告を通してNPAが、党の基本単位である467個の委員会と、9123名の党員として結成される成果が、確認された。会員の中から、女性割合で新たに発刊された週刊誌の購読者が11000名を超えたと言う報告もなされた。

 

経過報告を証明するように、前日のLCR総会より多い参加者達で、会議場はぎっしりいっぱいだった。また、LCR総会場が、老将たちの品位があり威厳のある討論が主だったとしたら、NPA総会の雰囲気は、若い党員達の活気溢れる生き生きとした姿が多く見えた。

 

経過報告に続いて、総括政治報告は、去る2002年と2007年の大統領選挙でLCRの‘赤い郵便配達夫’候補として、大衆的スターに浮上したオリビエ・ブジャンスノが進み出た。オリビエ・ブジャンスノは、“環境/公害問題までも含んで、資本家権力を打倒するのは、労働者総罷業(ゼネスト)の他にない。”とし、“公的資金で経済危機を克服するのではなく、闘争で立ち向かおう。”と主張した。更に、“NPAが、経済危機の中で、反自由主義闘争を通して登場した、新しい世代の反資本主義闘争の政治的道具”として、戦闘性を更に強化しなければならないと力説した。

 

 

△‘赤い郵便配達夫’オリビエ・ブジャンスノが演説をしている。


オリビエ・プジャンスノの、大衆的人気を実感することが出来たのは、フランスの言論(マスコミ)の、この上ない関心(を見たから)であった。(彼等は)会議場を動く彼に、ぞろぞろ付きまとって、その姿をカメラに収めるために無我夢中だった。しかし、NPAの党員達はこんな言論の煽情主義に対し、声を出して揶揄を送った。NPAに、党員達に、重要な事は、オリビエ・プジャンスノ個人ではなく集団の政治であるためだからだ。

 

 

 

30余国の海外代表団達、NPA創立祝賀

 

 

海外30余国から参加した左派政党たちの代表団は、多様な非公式接触と地域別集まりなどを通して、各国の闘争状況を共有し、NPU創立過程に対する意見を交換した。韓国から参加した代表団、また、アジア太平洋地域の参加団らと、最近の各単位に対する紹介と左派政党に対する苦悶などを、分かち合う時間を持った。

 

2月6日には、予定になかった、海外参加団全体集会も即席で進められた。この場で、経済危機と反資本主義闘争への各国の状況に対する意見を発表する時間を持った。去る1月30日、ブラジル ベルレンで開かれた世界社会フォーラムで進行された国際急進左派会議に対する報告もあった。この後、海外代表団らはNPAで準備した公式晩餐に参加し、創立を祝賀した。

 

 

 

反資本主義新党(NPA)-- 党名採択

反資本主義--- 同意する勢力とヨーロッパ議会選挙の対応

 

 

NPA創立総会は、2月6日午後から2月7日午前まで、NPAの創立原則、臨時規約、政治決議案、欧州議会選挙対応決議案などの核心テーマにたいして、分科討論を進行した。この分科討論を通して、各委員会から文件で提出された、細部修正案に対して審議し、2月7日午後から2月8日午後まで全体会議を通して各修正案に対する賛否討論と表決を進めた。

 

創立原則に対する審議では、社会主義の表現と関連し、その中で‘21世紀社会主義’と言う表現が採択された。規約には党名と関連して反資本主義新党、革命的反資本主義党、革命的左派国際主義同盟、反資本主義左派党など五つの案が提出された。論議の終わりに、決選で反資本主義新党(NPA)が革命的反資本主義党(PAR)を、316対270票で押さえて公式党名として採択された。

 

LCR解散総会でも、争点として論議された、2009年欧州議会選挙と関連した方針で、二つの案が提出された。多数案は、社会党との連合を排除するが、反資本主義に同意する勢力の連合を通して選挙を対応すると言うのだ。少数案(クリスチャン・ピケ提案)は、共産党(PCF)また、左派党(PG)が主導する<左派戦線>加入を通した選挙連合を提案する案だ。結論は76%の支持で多数案が可決された。少数派は16.7%の支持を受けた。

 

NPA総会は、3種類の重要案件を採択した後、新しい党の政治的指導部である192人の全国政治評議会(CPN)を個別投票で選出した。オリビエ・プジャンスノも、78パーセントの得票で指導部に選出された。その中で45%がLCR出身だった。反面、少数派の動議案を提出したクリスチアン・ピケが、選出されることが出来ず、大会議決で16%を獲得した少数派が13名しか選出されないとすぐ、少数派側では不満の声を高めた。

そして、大会は臨時執行委員会(20名の規模)を表決無しに推薦して、3月7~8日に開かれる全国政治評議会1次会議まで、党の運営に責任を負うようにした。3月の全国政治評議会で正式に執行委員会が選出される予定であり、対外的に党を代表する代弁人問題も論議する予定だ。

 

2泊3日間の熱を帯びた討論と、政治的決定を仕上げた総会は、終わりに“1月29日の総罷業(ゼネスト)の精神を引き継ぎ戦おう!”のスローガンの下、“カタルベとマルティニーク(カリブにあるフランスの海外県か?-訳注)の闘争が我々の進む道を示してくれる。ゼネスト闘争だ!”と言う内容のアピールを採択した。そして、“今、始まりだ!闘い続けよう”とのスローガンがスクリーンに浮かんでいる中、「インターナショナル歌」を斉唱し、総会を締めくくった。

 

 

 

NPA、巨大な変革の第一歩を踏み出す実験

 

 

LCRのNPAへの転換は、量的、内容的に更に拡張を遂げた。地域中心、多元主義、連邦主義と言う組織原理を通して拡げた。事業単位でみれば、既存のLCRの事業単位をNPAに移転し、事業の連続性を続けて行きながら、新しく、貧民/郊外地域を中心に地域運動を、立派な事業単位と提訴者の人権/人権弾圧対策のための事業委員会が追加された。これは、先の郊外地域の暴動以後に、過去に脱政治化されていた青少年層が、政治的急進化されながら、社会主義運動に接近することを人権的次元で保護し、支援するものである。

 

今回のNPA創立は、ひとまず、順調に見えて相当な弾力を持つフランスの左派運動だけではなく、欧州左派運動に、少なからぬ影響と変化をもたらすことが出来る可能性を見せてくれた。しかし、まだNPAの実験は、今始まりであり、今後中長期的に解き明かして行かねばならない課題は、少なくない。

 

現在の水準で、NPAの正体性は、核心的に確固たる反資本主義の闘争政党であり、これは政治的に、社会党と連帯を通した制度的包摂の断固たる拒否で、集められているが、フランスの複雑な政治的地形のなかで、資本主義体制を変革する戦略と戦術を具体化しなければならない課題が提示されている。

 

さらに、新しく結合された若い活動家達が、既存の活動家達との政治的/文化的/世代的差異が明らかに存在する。NPAを建設することが出来た、一つの動力だった青年層の不満と反乱をどんなに変革の展望の下に、組織することが出来るのか、また、彼らを次世代の指導力として育てて行くのか、重要な課題を残すのだ。この為、環境、差別、階級など多様な社会的議題をどのように接合し、融合するのかの課題が残っている。

 

そうであるにも拘らず,40年間献身的に闘争して来たLCR(革命的共産主義者同盟)の門を降りて、NPA(反資本主義新党)の新しい実験が持つ歴史的意味は、少なくない。新しい党自体の政治的成長だけではなく、共産党と社会党によって主導された20世紀フランス左派の(政治的)地形を、根本的に変化させ、21世紀の社会主義を実現する政治的道具として、最初の一歩を切ったLCR―NPAの政治的実験は、フランスだけの固有なことではないのだ。

 

 

 

【アレン・クリビン(Alain Krivine)とのインタビュー】

 


△ アレン・クリビン

 

アレン・クリビンは、ダニエル・コーン=バンディと1968年5月闘争(5月革命=注参)の核心活動家として、1969年と1974年の大統領選挙に出馬したことがある。1966年、青年共産主義者同盟(JCR,1968年解散) 、1974年、LCR(革命的共産主義者同盟)建設を主導し、フランスの、代表的トロツキー主義活動家達の中の一人だ。

 

 

LCR解散とNPA創党に対する個人的感懐は?

 

 

40年の間、党建設の闘争をして来た。我々の統合提案はしばしば拒否され、孤独だった経験が多い。NPAを通して、この間、願ったものを遂に成し遂げられた。新しい状況で機会を掴まえたし、下から、党を新しく建設したのであり、大成功だ。共産党や社会党から離れてくる同志たち、Attacなど社会運動に参加した同志達が参加した。しかし党は、それ自体が目的ではなく、社会変革のための手段だ。新しい党は、社会変革のための効果的道具と為らなければならない。

 

 

新しい党での同志の役割は?

 

 

2年前、LCR政治局から隠退した。恐らく新党の全国評議会に選出されるかもしれないが、執行部は若い同志達が受け持つだろう。(隠退するのか?)とんでもない。今年67歳だが、やってきた通り続くだろう。これ以上の常勤者はいないが、年金を受ける事に為るので過去と全く同じ様に党建設闘争を続けるだろう。

 

(注)1968年5月革命については、1968年12月発行 合同出版社  「五月革命 3月22日運動著」が、現在にも示唆に富む内容である。

 

 

(訳 柴野貞夫22009年2月13日)




 

<参考>

 

第1段 2008年2月18日更新  “階級政党の建設が至急”対、“現場の実践が先” (韓国・民衆言論チャムセサン 2008年2月14日付け) 下部に解説あり


第2段 韓国・社会主義労働者連合“どうして社会主義なのか?”を評す その1(2008年10月26日更新)


第3段 韓国・社会主義労働者連合“どうして社会主義なのか?”を評す その2 (2008年11月3日更新)



資 本 と 労 働      (1月17日 更新)