ホームページ タイトル


(韓国・「労働解放実践連帯」HPより、社会主義綱領草案資料2011・1・14-連載その3)

http://www.hbyd.org/freeboard/11798

 



Political Revolution or Counterrevolution—Whither China?

Published: 1917 No.31 (April 2009)

 

 

中国は、どこへ行く?


 

政治革命と反革命の分かれ道


 

(連載その3)

 

 

中国共産党の左旋回

 

 

 

江沢民(チャン・ジョミン)/朱鎔基(シュ・ロンチ)統治期間、(1996年~2002年)支配官僚の影響力ある分派は、損傷や社会葛藤を伴わなくて、漸進(ざんしん)的で調和のある資本主義経済への転換が可能だと言う見解を、公然と受容した。

 

しかし、完全に私有化された経済で、自分達が占める役割が無いと言う事を、党官僚の大多数が分かっているのだ。

 

官僚達は、国営諸企業が利潤を出さなければならないと考えており、実際に過去数年間そうして来た。しかし党官僚達に(とって)、国営企業の価値は、単純に経済的なものにだけあるのではない。

 

それらは、中国共産党の政治権力の基盤、その存在の口実、そして核心幹部達の訓練空間を提供する。国営企業で、あらゆる最高位級の任命と進級、そして解任は、党の組織委員会と人事部の承認がなければならない。

 

経歴を積もうとする国営企業の管理者達は必ず、利潤性と下達される他の諸要求の間で、均衡を取らなければならない。2002年、<ペトゥロチャイナ>のマ・フサイと、<シノペク>のリイ・イジョンイと言う二名の石油管理者が、16次総会で党中央委員会の補欠会員から正会員に上ると言う、昇進審査対象となった。彼等はみんな、彼らが担当した会社の罷業(ストライキ)に対応しなければならなかった。しかし、会社の利潤を守るために、労働者との妥協を拒否したマ・フサイは、補欠会員として残された一方、社会統合を懸念する党を考え、譲歩措置をしたリイ・イジョンイは、正会員となった。(Erica S. Downs, “Business Interest Groups in Chinese Politics: The Case of the Oil Companies,” in China’s Changing Political Landscape).

 

社会不安に対する懸念は、中国共産党の私有化計画を制限して来た。

 

依然として、経済の核心を構成する国営部門の労働者達は、国家資産が自分達のものだと考えており、私的資本家達に対し敵愾心を見せる。

不動産開発業者に、国営・窓枠工場が売られるのを目撃した一人の労働者は、次の様に痛烈に指摘した。

 

 

“工場内にあった全ての芝と鉄鋼は、我々労働者のものだ。それらは、我々の汗と労働だ。火が燃える地面の上に、窓枠の切れ端が落ちているのを見た時、人々は涙を流した。それらは、国家の財産だったし、官僚達はそれらを浪費したのだ。・・・” Theory and Society, 2002년 31권

 

 

資本主義的社会関係の侵奪を非難しながら、国営企業労働者達は、中国共産党の社会主義的修辞をよく取り上げる。チャンジャン砂糖工場が私有化される時、その労働者達は次の様に抗議した。

 

 

“資産の形態を新たに構成する問題は、必ず、労働者によって決定されなければならない。

地方政府は、単独でその問題を決定する事は出来ない。・・・労働者達は、企業の主人であり、改革の主役だ。労働者達、そして職場委員会と相談の無い構造調整と、労働者に知らせないで工場を売る行為は、労働者の民主的権利に対する深刻な侵害だ。我々は、我々の民主的権利を取り戻す事を要求する。”-Modern China, Vol. 29, No. 2 2003년 4월

 

 

その様な抗議は、中国社会の深い共感を得ている。労働人民を犠牲にさせた市場計画によって金持ちになった、富裕で力の有る上位層の道具として政府が行動していると言う考えが、広範囲に広がっている。

胡錦濤主席と温家宝首相の現行政府は、天安門事態以後、初めて左旋回へと対応している。

 

そしてこの行政府は、自己自らを労働者・農民の保護者、そして資本主義路線の主張者達の過速疾走に対する、反対者として見せ様としている。

 

これと同じ様な動きの初めての信号は、今は“中国新左派”として知られた知識人達が、いくつかの国営企業の私有化過程にあった公共資産の大規模流用を暴露した2004年にあった。その年11月、中国政府は、国営企業の私有化の主手段である経営外注化を禁止した。一方、国営企業管理監督委員会(SASC、2003年に国営企業の管理の為に設立)は、国家資産の価値を最大化し、資産の掠奪を防止する為の措置を導入した。それ以後、大型国営企業の私有化は止まった。

 

鉄鋼会社の外国所有は禁止されたし、いくつかの小さい私有鉱山(大きな洪水被害があった)は、急に新たに国有化された。

 

この措置は、WTOを指向する‘市場計画’の、主たる受益者達である国内の‘赤い資本家達’(企業家となった共産党官吏)と、外国投資者らを制裁する諸措置と同伴された。中央政府は、都市の土地取引を厳密に統制しているし、食品を含めて、価格と消費を統制している。

 

地方官吏と私的事業家の間の共謀を標的にして、海岸地帯の上層部に焦点を合わした、大々的な反腐敗運動が始められた。

 

2006年と2007年の間、中国共産党は外国資本に対する新しい法令を制定し、外国資本が背後にある合併を、精密調査し、銀行、小売業と製造業に対する規制措置を強化した。国内会社らを後押しし、貧困と不平を緩和する目的で取られたこのような措置は、マイロン・ブリリアント(米国商工会議所アジア分科副委員長)に、次の様な不平を言わせた

 

“これは、もっぱら外国投資者達に対する脅威だけではない。中国が、市場経済に前進するのを遮るものだ。”((New York Times, 2007年 11月 16日).

 

非常に制限的ではあるが、この様な私的部門に対する抑制は、下からの圧力を受けている中国共産党内の多くの階層が、市場改革の速度と程度を不都合としている事を意味する。

 

2007年6月、貧困地域に属するシャンシ(訳注-山西省、臨汾市?)で、児童と精神肢体者達が、レンガ工場で殆んど奴隷と違わなく強制で働いたと言う事を、国営放送が報道した。

地方の中国共産党官吏が承認した事が明らかになった、この致命的な暴露は、大衆的憤怒を掻き立て、親資本主義的改革に対する大衆的反感を再点火した。

 

退役将軍と元大臣たちが含まれる17人の中国共産党元老グループは、‘改革’に伴う低賃金、国営部門の縮小、そして外国資本の浸透を批判する公開書簡を発表した。その書簡の作成者達は、親資本主義的道筋を修正し、毛沢東思想へ帰ること、即ち、再国有化と中央計画に変える事を、近づく17次党総会に訴えた。万一、市場計画が継続されたら、“エリツィンの様な者が現れるだろうし、党と国は必ず悲劇的に破壊されるだろう。”と警告した。(reproduced on mrzine.monthlyreview.org)

 

毛沢東主義の反対派の提案は、通過されなかった。その‘保守派’は、中国共産党内で少数であり、公開的な毛沢東派は更に少ない。

 

しかし、その書簡に署名した17人は、一人として、二流人士達ではない。

 

中国共産党内で、この様な‘保守’的情緒がどれほど広がっているのかを測る事は不可能だが、ウロウロする中国財産法の歴史は、彼らが、絶対に無視する程小さいものではないと言う事を示唆する。

 

2007年、全国人民大会は、賛成2826対反対37、棄権22と言う圧倒的な数字で‘中華人民共和国の財産権に関する法’を承認した。

初めて私的財産所有者の権利を明示したこの法は、過去13年間、毛主義の反対派と‘保守派’によって阻止されてきた。

2006年の遅くまで、彼等はそれを検討する時間がなかった。この点で、反対意見が閉ざされた門の中で湧き上がったものと斟酌される。

 

中国共産党官僚は、大衆の前で統一された姿を見せ様と務めたが、胡錦濤の人民を意識した左遷回は、内部的緊張感を高めているものと見える。保守派達は、猛威をふるう資本主義的競争で発生した諸問題に対し、強硬に対応すると精一杯宣伝するが、激しくなる人民の不満をこんな事で眠らせる事には力不足だと見ている。

 

 

 

 

中国の、労働者政治革命のために!!

 

 

今後、どう展開されるのか、その速度がどうなのかを予見するのは難しい。しかし明らかな事は、資本主義的蚕食と‘赤い資本家’層の厚い成長にも拘らず、中国は奇計的な労働者国家として残っていると言う事実だ。

 

中国共産党官僚は、(彼らが)新しい所有階級に転換される事も無かったし、外国と国内資本の頼もしい道具となる事もなかった。中国スターリン主義官僚は、世界帝国主義の圧力の伝達ベルトの様に行動する、壊れやすく、矛盾的な特権層として残っている。

 

しかし、その政治権力と特権は、1949年の革命で樹立された集散化された所有形態から来たものだ。深く亀裂した最高位の人士のなかの比重の高い分子達が、公然と中央計画経済への復権と露骨的な資本主義復活と言う、全く相反する綱領をそれぞれ擁護することは、権力を握っている中国共産党の掌中の力が落ちていると言う証拠だ。

 

中国が世界経済の超大国として浮かび上がったと言う話が頂点に達したのは、2008年の北京オリンピックの時だった。しかし、その直後の引き続く金融危機は、輸出中心の発展モデルの危弱性と国内の社会的不安定性、そして帝国主義諸国の留保なき敵愾心を浮き彫りにさせた。

 

世界資本主義経済体制に、中国が進入した否定的結果が克明に表れたのは、私有化が多く成し遂げられ、輸出依存的な南部でだった。

 

半分以上の中国おもちゃ生産工場は、百万名の失業者を生み出し作業を中断した。67万個の小さい会社が2008年に門を閉じ、その為に670万個の職場が消えた。建設計画は中断され、自動車販売は急降下したし、不動産価格は下降している。失業者となった労働者達の、示威と罷業と暴動は、ふらふら揺れる輸出企業を連日強打した。大部分の事件が、中国言論に紹介されないが、中国共産党指導部は大変憂慮している。

2008年12月、遠隔会議で公安部長官であるメンチアンチュは、署長達に、“世界金融危機で触発された挑戦を深刻に考え、社会安全を維持するところに最善を尽くせ(China Daily website, 19 November 2008)”.と頼んだ。

 

中国の私有化された輸出部門の爆発的成長の背景は、資本が政府の干渉を受けないと言う、公開的で暗黙的な保障だった。

 

これは、中国共産党の介入能力を制限してきた。広東省トンガンにあるウェイス履物工場が破産し、その所有主が、労働者4000名の2か月分の賃金を踏み倒し逃亡した時、その地域のタクシー運転手は、“その会社は、国営会社では無い。・・・そうであるから、あなた達は政府をその問題で苦しめるのは駄目だ。その問題は、あなた達と私有会社の間の問題だ。((Financial Times, 11 November 2008)”だと語った。

 

しかし、中国共産党官僚は、万一、度を過ぎて手を離れる事となれば、労働者達が、所有主達と直接問題を解決し様とする事を憂慮する。そうして輸出の3分の一ほどを担当する広東省のジンジュガン流域地方政府らは、遅配賃金を支払うようにして、示威(デモ)止め様としている。

 

北京の官僚たちは、1997~98年のアジア金融危機時、そうだったように、政府支出拡大で、世界経済の下降による影響を改善し様とする。

中国共産党は、住宅、地方の社会基盤施設、水道と電力、運送、環境改善、技術改善、自然災害の再建などの多様な事業に、中国の年間総生産の16パーセントに達する4兆元を投入すると約束している。

 

銀行家達とその他の金融所得者達を救済する事に、公的資金が使われる米国など、帝国主義諸国の‘扶養政策’と中国の計画の間には、大きな差がある。中国で、中央政府の支出は全体支出の4分の1だけを担当している。残りの大部分は国営銀行と国営企業、即ち、労働者国家の最も特徴的な部門で担当する。(続く)

 

(訳 柴野貞夫 2011/2・5)

 


 

参考サイト



☆ 256 中国は、どこへ行く? 政治革命と反革命の分かれ道 (韓国・労働解放実践連帯HPより 2010年1月14日付け)


☆ 255 中国は、どこへ行く? (韓国・労働解放実践連帯HPより 2011年01月14日付け)