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[民衆闘争報道]  ‘さよなら原発1000人集会’に於ける小出裕章氏の講演記録 (2013106



「第三回さよなら原発1000人集会」での小出裕章氏(京大原子炉実験所)の講演記録
 



福島原発事故は今進行中だ!すべての原発の即時廃絶を要求する!

日本の子供達を被曝の危険に晒す安倍晋三は、犯罪者として即刻刑務所に収監すべきである。

 

伊丹市・<いたみホール>会場  (写真出処− 柴野貞夫時事研)

 

以下は、106日、兵庫県・伊丹市で開催され「第三回サヨナラ原発1000人集会」で行われた小出裕章氏の講演記録である。当日、伊丹市・<いたみホール>会場は、1300余名の市民で埋まった。ゲストに山本太郎氏(参議院議員)、神田香織さん(講談師)が参加した。

 

小出裕章氏は、講演で次の様に指摘した。
@  福島原発事故は、収束どころか現在進行中の惨事である。また4号機では、広島原爆14,000(1万4千)発分の<セシウム137>が、今後大量放出の危険性がある。
A  安倍と自民党は、日本の58基すべての原発を「安全を確認した」として推進した、その責任を取るべきだ。社会的惨事を収束するどころか、再稼働と輸出まで目論見、進行する悲劇を忘れさせ、小さく見せる悪辣な策謀を、言論媒体を動員しながら謀ろうとしている。
B  被曝リスクに対する世界の学問の今日の到達点は、「低線量に到るまで直線的に存在し続け、しきい値はない」(BEIRVU報告/2005)と言うものだ。北部日本は、「放射線管理区域」とすべきほど、汚染されている。「年間1ミリシーベルト以上の被曝をしてはならない」と言う法律を無視して、100ミリシーベルト以下の被曝なら安全と言う学者は、刑務所に放り込むべきである。
C  成人に比べ、被曝に対し何倍も敏感な子供達を、守らなければならない。「安全は確認された」と国民を騙し、日本の子供達を被曝の危険にさらす安倍晋三は、犯罪者として、即刻刑務所に収監すべきである。
D  侵略戦争を黙認し、原発を黙認して来た日本の大人達は、「自分達も騙されたのだ」と言い訳をするな。これから、一人の人間として、自分の責任を全うしよう。
(時事研による要訳)

伊丹市・<いたみホール>会場を埋めた市民達と講演する小出裕章氏  (写真出処− 柴野貞夫時事研)

 

[小出裕章氏の講演記録]

 

        

[写真出処―遊 絲 社・発行 「小出裕章―原発と憲法9条」より]    
☆民衆闘争報道/書評「原発と憲法9条」(小出裕章・著)(2012年8月7日)

■広島原爆・1万4千発分のセシウム137を、大量放出する危険性を持つ福島4号機

「・・・2011311日に、定期検査中で運転していなかった4号機には、爆発して屋根が吹き飛び、露出した建屋の中にかろうじて残ったプールの中で、1,331本の使用済み核燃料がむき出しのままの状態にあります。プールが崩壊した場合、広島原爆の14,000(1万4千)発分のセシウム137が、今後さらに大量放出の可能性があります。これを、一回の失敗もなく、すべて取りだす作業は、極めて困難な作業です。この崩壊した建屋の上に、更にかぶさる巨大な建屋を建て、巨大クレーンを設置しなければならない。とりかかるのは11月中頃だと言うが、一刻も早く始めてもらいたい。

■広島原発の死の灰の400500倍を、大気中に放出した福島原発事故
<では、これまでに放出された放射性物質はどうなったのか>

私は、皆さんに聞いて頂きたいのは、国際原子力機関(IAEA)に、日本政府が出した報告書があります。123号機からどれだけ放射性物質が放出されたのか。その中でも、セシウム137がどれだけ大気中にばら撒かれたのか。

 

 

 

 

図にある様に、広島型原爆爆発時に大気中に放出されたセシウム137(黄色)は、8.9×1013乗ベクレルです。

では福島の場合、1号機だけで5.9×1014乗ベクレル、一番酷いのは2号機です。1.4×1016乗、政府の申告だけでも、広島原爆の168発分のセシウム137が放出された。しかし、これらは過小評価であると私は考えています。

何故なら、政府は、福島第一発電所は安全だと嘘をついてきた張本人です。犯罪者は、きちんと自分の罪を申告することはない。この2倍か3倍はあると考えられます。

広島原発の死の灰の400500倍が大気中に放出されたと言う、想像もつかない量なのです。そして、大気中に放出された放射性物質はどうなったのか。

日本上空には偏西風が吹き、基本的には風は西から東へ向かい、太平洋を越えて米国の西海岸を汚しています。福島事故後、私の所にはたくさんの方々から問い合わせがありました。海外に逃げようと思うと。米国へ行くとしても、西海岸へ行けば余計被爆する事になるのです。福島事故は、既に世界中を汚染しているのです。チェルノブイリの時も、日本は汚染をしていたのです。

日本政府は、内側20`mの人々へは避難指示を出しました。バスを用意し避難所へ運んだ。外側30`mの所は、家の中へ閉じこもる様に、あるいは自主的に家の中に入る様に指示しました。日本政府の対策は、この20kと30kの対策で終わりだった。

しかし、放射性物質は、風にのって南へ流れました。福島の浜通り、茨城の北部を汚し、また風で戻ってきて霞ヶ浦一帯と千葉北部を汚染し、東京都を汚しました。南方の風に乗り北西に向かった死の灰は、福島原発から40k以上離れた飯館村を覆いました。自分達の村は自分達で作ると、長い間かかって自他ともに認める美しい村を丸ごと汚染しました。ここに日本政府は、なんの対策も立てなかった。電力会社から一銭の協力金も貰わなかった村は、全村この場所から追いだされたのです。琵琶湖が1.5個入る1000平方キロの面積と10万人を超える住民の生活と土地をすべて破壊され、住民は流浪の旅を強いられているのです。

汚染は、それに留まらず、東側に阿武隈山地、西に奥羽山脈が走って両側を山で囲まれた人口密集地帯を、舐める様に汚染して行きました。栃木、群馬の北半分と群馬の北半分、更に西の長野県との間に高い山並がありますが、放射能の帯はこれを越えるのでなく、山裾を巻く様に南へ行き、群馬の西半分、埼玉の西半分を汚染していきました。

私は今、「汚染」と言う言葉を使い、一くくりで言いましたが、少し表を見て頂きたい。

 

 

この赤い処は、1平方m当たり6万ベクレル、この濃い青色の帯は2種類あり、10万〜30万ベクレル(岩手南部、東京都の一部、千葉北部)、一方澄んだ青い帯は、3万〜4万ベクレルです。

福島県の東半分を中心にして、宮城県と茨城県の南部と北部、また栃木県、群馬県の北半分、千葉県の北部、岩手県、新潟県、埼玉県、東京都の一部が、このように汚染されて来たのです。

■北部日本を、「放射線管理区域」に指定しなければならない程の汚染状況

これらの汚染は、何を意味するのでしょう?

私は京大原子力実験所で放射線を取り扱っています。原子力実験所でも、放射性物質を取り扱う場所は限られています。即ち「放射線管理区域」と呼んでいる所で、皆さんは、一歩たりとも踏み入る事は出来ない危険な所となっているのです。わたしの様な研究者が入る場合も、一定の条件と手続きが必要なのです。管理区域の中で、汚れたかも知れない、他の人に被爆させるかも知れない、だから検査しない限りこの部屋を出られないのです。

その時の基準値は、1平方m当たり4万ベクレル、この時その服は核のゴミとして捨てなければなりません。一平方m当たり4万以下にしなければドアは開かない仕組みです。

しかし、この日本地図の青い帯の所は、6万ベクレルを越えているのです。他のくすんだ緑の所も3万〜4万ベクレルと汚れているのです。それは、私の手が汚れていると言うレベルの問題ではありません。その大地全体が汚れているのです。建物も、駅も、道路も、川だって田圃だって森だって汚れている。関東地方のいたるところが汚染されているのです。本来ならこれらの地域は、「放射線管理区域」にしなければならない場所なのです。

こんな酷い事になっているのに、日本国家と安倍自民は何をしたか。日本は法治国家だと言っています。悪いことをする者は国家が処罰すると。国家が決めて守るべき、被曝に関する法制は沢山あります。例えば、1年間の被曝放射線は、Tミリシーベルトを超えて浴びてはならないし、浴びさせてはならない。1平方m当たり4万シーベルトを超えてはならないと決められている。しかし、どうしようもない事故を起こした(事に責任がある)日本政府は、自分達が決めた法律を一切反古にし、蹂躙しています。1年間に20ミリシーベルトまでは赤ん坊を含めて諦めろと言っています。

世界の学問の到達点は「被曝のリスクは、低線量に至るまで、直線的に存在し続け、しきい値はない」「被曝に関するリスクは、低線量に至るまで影響し続け、どんな小さなものであっても影響がある」

こんな状況で400万人の人々が汚染された土地に捨てられています。父親は汚染地に残り仕事をして、家族を出した人、母親と子供だけを逃がした人、汚染地帯で生活をすれば必ず被曝します。被曝は必ず有害です。

1895年、人間は放射線を見つけました。100年以上前、人間にとって放射能がどんなに有害かを調べてきました。現在の学問の到達点はこうです「利用出来る生物学的、生物物理学的なデータを総合的に検討した結果、委員会は以下の結論に達した。」

米国の科学アカデミーの中に<放射線の生物学的影響を考える専門委員会(BEIR)があります。長い間に亘り、放射線の人体への影響を調べてきた委員会です。2005年の夏に出した第7回の報告にこう書いています。「被曝のリスクは、低線量に至るまで、直線的に存在し続け、しきい値はない。」

<しきい値>とは、‘これ以下であれば安全だ’と言う値(あたい)ですが、BEIR報告は、‘そんなものは無い’‘被曝に関するリスクは、低線量に至るまで影響し続け、どんな小さなものであっても、影響がある’と明確にしています。

ところが日本では、安倍内閣、国家、電力会社、原子力推進を図る人々や、一部学者まで、あたかも‘低い被曝であれば、安全だ’とする宣伝を流し続けています。

彼等(安倍政権と推進派)が拠り所にしているのは、ICRP(国際放射線防護委員会)と言う組織です。私は、この組織は原子力推進団体と考えていますが、そんな組織さえ、2007年に出した勧告にこの様に書いています。

「約100ミリシーベルト以下の線量においては、不確実性が伴うものの、癌の場合、疫学研究及び実験的研究が、放射線リスクの証拠を提供している。100ミリシーベルトを下まわる低線量域での癌または遺伝的影響の発生率は、関係する臓器及び組織の被曝量に比例して増加すると仮定するのが科学的に妥当である」と認めている。

■被曝に敏感な子供達を、“低い被曝は安全だ”と、法を無視して危険に晒す学者と政府

日本で、これを100ミリシーベルト以下なら安全とする学者までがいる。私は、こんな学者は刑務所に入れるべきと考えています。どんな低い被曝でも、危険があると言う事を忘れないと言うことです。この被曝に対して、子供達が大変敏感であると言う点を強調しなければなりません。

今日、ここに1300人以上の人々がお集まりになった。福島事故を忘れず参集されたことに感謝いたします。しかし私は、福島惨事に対して、皆さんも無罰ではないと思っています。この日本で、ここまで原発を許して来た事、また福島事故を引き起こしたことに対し日本人は、誰ひとりとして無罪ではないだろうと思います。

しかし、子供達には、原発を選んだ責任はないし、福島惨事に対する責任もありません。だからこそ、私たち大人は何としても、子供達を被曝から守らなければなりません。しかし、子供と言うのは残念ながら、被曝に対し大変敏感なのです。

シーベルトとは、被曝の単位です。今ここに<1万人シーベルト>当たりと言う、へんてこりんな単位について説明したいと思います。

私一人がシーベルトを被曝したと考えてください。同様に二人を集めて来ると2シーベルトです。10人集めると合わせて10シーベルト、もし、1万人集まれば1万シーベルトの被曝量になるわけですね。何人集めてきて、合計で幾らの被曝量になるかを測るのが、この1万シーベルトの単位です。

例えば、皆さんの場合‘1年間に1シーベルト以上の被曝をしてはならない’と法律で決められている。(その法律は、もはや国家によって踏みにじられているが、)法律で決められている様に、皆さんが1シーベルトしか被曝しなかったのであれば、1シーベルトを被曝した人を1千万人集めてくると、初めて1万人シーベルトとなると言うのが<1万人シーベルト>と言う単位です。それだけ合計の被曝量が上がってしまった時に、どれだけの人が、やがて癌で死ぬ事になるのか?被曝した人が全員30歳なら3855人です。これは全年齢の平均を取った時と殆ど等しいです。

被曝の危険度は、年を取るにつれどんどん減って行きます。つまり生命体として衰えるのであり、細胞分裂をしなくなります。遺伝情報も複製しなくなって行く。被曝の影響も平均的危険度に比べ、70分の180分の1の影響しか受けないのです。しかし、この世代こそ、私も含め、原発を許して来た張本人なのです。

0歳の赤ん坊ともなれば、平均的危険度に比べ、4倍〜5倍にもなります。5歳〜10歳の子供の様に、どんどん成長していく世代こそ、大きな被害を受けるのです。

 

 

ここ伊丹市は、福島から離れていますが、この関西には若狭湾に沢山の原発があります。福島の汚染地図を重ねて、福井大飯原発の事故を想定すると、伊丹は、猛烈な被害を受ける事になります。

これまで日本では、原発を都会から離して建てると言う事をやってきたが、事故が起きれば、都会まで猛烈に被害が及ぶのです。それこそが原発事故なのです。一刻も早く、原発を廃止すべきと、私は考えます。

日本の発電能力は、すべての原発を廃棄しても充分有り余っている

原発を推進して来た人々は、日本の電力の3割が原発に依存していると宣伝してきました。冗談ではありません。今この会場の電気も原発と関係ありません。

日本は、今までも、原発が無くても、やってこられたのです。それを証明しましょう。以下の表は、電力会社が持っている種類別発電所を示しています。これ等以外に、企業が持つおおくの発電所もあります。

これは2009年度ですが、圧倒的に多いのが火力発電所です。原発はせいぜい水力発電所と肩を並べる程度です。

   

 

これらは、それぞれの発電所がフル稼働した時の発電所の能力を表しています。青色が、実際に発電した量です。水力発電所の場合は、揚力発電所と言うものがあります。殆ど使われないまま眠っています。火力発電は全体の46パーセントしか動かさなかった。つまり半分以上は止めていた。そんな状態です。電力会社の発電量(青色)の内、約30パーセント原子力で占めています。(2009年)

この3割が無くなれば、困るかと言えば、困りません。こうすれば良いのです。半分以上止めていた火力発電所を動かせば、十分足りてしまうのです。私がこれを言うと、国と電力会社は私に“お前は、20091年間全体の事を言っただけだ。電気は貯めておけないから、一番多く使う時期に合わせて、発電所を用意して置かなければならないのだ”と言ったのです。

夏場のピーク時には停電になると脅かして、橋下などもそれに乗っかり、原発を動かしても良いと言ったりしました。

これは、1930年からつい最近までの、日本にどんな種類の発電所があったのかと言う表です(下図)。

 

    

 

青が水力、黄色が火力赤が原子力、最近猛烈に増えてきた自家発電が紫です。そして、黒い●点の曲線が、日本で一番電気を使った時、どれだけの量を使用するのかを示す「最大需要電力量」です。ご覧の通り、水力と火力があれば、全て足りたのです。1990年代にちょっとだけ食い込んだ所があります。この時だって自家発電を少し融通するだけで解決します。さらに一言付け加えれば、この「最大需要電力量」と言うのは、真夏の数日の午後の数時間だけなのです。この様に沢山使いますと言っているだけなのです。それでも、本当に足りない時があるとすれば、少し工場の生産調整をするだけで、足りるのではないでしょうか?エアコンの設定温度を少し変えれば済む事なのです。

1990年代さえ十分に乗りきれた。ましてや2009年代、がたっと落ち込んでいるのがわかりますか?リーマンショックと言う経済崩壊で経済活動が縮小されました。去年も今年も同じような状況です。つまり、日本の電力は、水力と火力さえ有れば、充分に足りるのです。

今こそ、日本が原子力発電と言う危険なものから逃がれる極めて貴重なチャンスなのです。私達が騙される事なく、一切の原発を廃絶すると言う方向に持って行きたいと考えています。私は、原子力に関係して来た人間として、こんなに危険なものは無いと思っています。

■他者を犠牲にして成り立つ<原子力発電所>「原子力の平和利用」を<隠れみの>にした、日本の核保有の狙い

しかし私は、原発が単に危険だから反対と、言っているのではありません。<原子力>と言うものは、徹底的に無責任なものであります。他の人に犠牲を強いなければ成り立たない−そう言うものなのです。

原発作業で被曝して来たのは、90%が下請け労働者です。今現在、働く労働者は殆どが下請け労働者です。

そして原発は、都会には建てないし、建てられません。各地方の小さな町や村に皺寄せし、事故が起これば過疎地の人々が、生活丸ごと奪われてしまうのです。でも、事故が起きなくても、ウランを核分裂させてしまえば、核分裂生成物と呼ばれる放射性物質を大量に生み出してしまいます。それを私たちは統制する力がない。子々孫々にそれを押しつけるしかないのです。まだ生まれて来ない子供達、原子力を選ぶのに何の選択技もない子供達に、私達は死の灰を押しつけている。

原子力の‘平和利用’と聞かされて来た原発に、日本が手を付けた一番の理由は、実は核兵器の保有能力を身に付けたい処にあった。日本で「原子力」と呼ばれているものは、もともと「核」と同じものであり、原子力を選択してしまう限り、核兵器と縁が切れなくなってしまいます。日本と言う国は、意図的に「原子力の平和利用」を標榜しながら「核兵器を保有する能力」を持ちたいと思って来たのです。こんな事は認める訳には行きません。その意味でも、原発は廃止すべきなのです。

安倍政権とマスコミは、進行中の福島惨事を忘れさせようと策謀している

福島の事故は全く収束していません。安倍首相は、完全にコントロールしているからオリンピックは安心だと。冗談を言わないでもらいたい。こんな苦難を押しつけ、解決も出来ないのに、何のオリンピックだと言いたい。まず自民党政権は、自分達が原発を作り、原発を推進してきた張本人ではないか。この苦しみの責任も取らない。正直に言って、安倍首相は刑務所に放り込むべきだと考えます。

まず今、自民党政権のやるべき仕事は、福島の人々の生活を少しでも楽にする、あらゆる手立てを立てることであって、オリンピックに浮かれる事ではない。

これまで、日本に58基の原発が出来ましたが、その全てが自民党政権が<安全性を確認した>と言って認可したものです。事実は全く違いました。にもかかわらず、安倍首相は、今止まっている原発の<安全性を確認して>原発再稼働を公言しています。さらに、彼は“福島で経験を積んだ国だから、世界一優秀な技術を持ったくにだから”他国に輸出するなどと、まことに、正気の沙汰とは思えない発言を繰り返しています。

今彼等は、私たちに、進行中の福島惨事を忘れさせようと画策しています。こんな政府の作戦に、マスコミも大動員されています。

■私たちは今、一人一人が責任を問われている

かつての戦争の時もそうでした。日本は神国で、天皇陛下がいるから負ける事はないと言われ、国民はこの戦争を止めることなく、流されて行きました。国民は、戦争が終わってから“我々は国と大本営発表に騙されたんだ”と言い訳をしました。

しかし、戦争に反対して国家に殺された多くの人々もいるのです。極普通の国民が、隣人を非国民として国家と一緒になって抹殺して行った歴史もあります。

福島原発事故が起きた今も、そうです。こんな事故が起きるとは思っていなかった。国もマスコミも原発が安全だと流し続け、私は騙されたんだと言っています。それはそれで、その通りだと思います。

しかし、騙されたと言って無罪だと言うなら、また騙されます。騙された事を深刻に受け止めなければなりません。未来の子供達に問われます。“福島の事故の後、お前達はどうしたのか?”と。私もまた、原子力の研究の場に居ながら、福島を防ぐ事が出来ませんでした。誠に申し訳ないと思います。

力はなかったけど、自分はこの様にして来たと言えるように、一人一人の人間として自分の責任を全うする事が必要ではないでしょうか。“子供達を守ってあげたい”と言うのではありません。“子供を守らなければ私自身を許せない。この時代を生きる人間として、どういきるか”を考えて行きたいと思います。(終)