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 (韓国民衆言論 PRESSIAN <宇都宮健児弁護士とのインタビュー> 2014328日付)
http://www.pressian.com/news/article.html?no=115640


<宇都宮健児弁護士とのインタビュー(その2)

          東京都知事、極右候補の60万票と‘この人’の100万票

              −日本社会運動の、「失敗の歴史」から学ぶもの



イ・ヨンチェ(聖公会)恵泉大学教授

 

イ・ヨンチェ 当時民主党は、独自候補を出しましたか?選挙連合はどの様に行われたのですか?

宇都宮: 民主党は独自候補を出しませんでした。前もって提示した4っの政策に同意する労働組合、市民団体、政党らに候補として提案をし、彼らが共に連合する形態でした。今考えて見れば、12年前から準備をしなければならなかったと思います。支持してくれた政党としては、日本未来党があったのですが、今、小沢党首が率いる生活党に変わりました。当時緑の風と言うグループは、今の緑の党に代わりました。そして社会民主党、日本共産党、新社会党の支持を受けました。生活クラブ東京ネットワークと言う生協系列の組織的支援もあったのです。

民主党は、独自候補を出さなかったが、都議会の多数である民主党員は、当時猪瀬候補を支援しました。東京都には、連合の組合員が100万名だと言いますが、東京都の連合支部長は東京電力出身です。彼等は原発政策に賛成する猪瀬を支持しました。労組が保守右派を支持する話にならない状況です。民主党は誰も、公開支持をしませんでした。民主党内には改憲勢力と護憲勢力が居る為に、それぞれが個別投票を選択しました。

イ・ヨンチェ ここに、日本の野党の脆弱性を見るようです。201110月ソウル市長選挙では、パク・ウオンスンと言う市民候補が主導して市民勢力+中心野党(民主党)が連合する選挙連合が成立し、それによって市民運動家であるパク・ウオンスン候補が当選しました。日本ではどうして多数の野党が保守自民党を支持する選択をするのか、疑問を持つことになります。韓国でも民主党に対する批判は多いですが、同じ民主党であっても日本の民主党は、遥かにもっと、保守右翼政党と重なる性格を持つ様です。日本民主党の政治構図を少し説明してください。

宇都宮 日本の民主党は、色んなグループが合わさって作られました。社会党が解体され、その多数が民主党に入って行ったのです。そこでまず、護憲勢力(憲法九条を含む平和憲法を守ろうとする諸勢力)、即ち社会党からの分離派があり、そして社会党に残った勢力が、現在の社民党勢力と言う事が出来ます。二番目に、松下政経塾(松下電器産業、現在のパナソニックの創業者である松下幸之助によって1979年に設立された政治学校。国会議員、道知事、地方議員など、政治家と経営者、大学教員、メディア関係者など、多数の人材を輩出しているもの)出身らがいます。民主党の野田・前首相、前原・前外相などです。

松下政経塾出身達は、極めて保守的な政治家達です。彼等は自民党を脱退し、新しい政党を作ろうとする日本新党(さきがけ)に合流したし、鳩山由紀夫(1947年生まれ、民主党前代表、2009年民主党政権交替後首相歴任)のグループです。

19934年に細川護煕(1938年生まれ)政府がありました。細川は自民党勢力でした。小沢一郎もいました。彼も自民党出身です。日本の政治構図は、自民党が主導する、所謂(いわゆる)55年体制(1955年以後、第1与党は自民党が、第1野党は社会党が占有する政治体制、93年細川連立内閣の登場で55年体制が崩壊する)がありました。その一つの軸は社会党でした。自民党と対立しながら55年体制を構成してきたのです。当時日本社会党は、平均100席以上を持っていました。そんな日本社会党の後退の最大原因は、自らの正体性(アイデンティティー)を放棄し、自民党と一緒になって村山内閣を作った事に在ります。

9495年の村山内閣時、社会党は執権党として自衛隊を認め、米日安保条約を認める事までしました。これは逆説的に、社会党内部の分裂をもたらしました。社会党内の護憲勢力は、分裂以後大部分は民主党に移動しました。

民主党は、こんなやり方で色んな勢力が集まり、作られたものです。権力を勝ち取る為の一種の派閥連合だった訳です。従って政権をとった時、党綱領も,ろくにありませんでした。こんな民主党が2009年総選挙で、政権を掌握しました。その時、消費税の引き上げは政策に含まないものだったのに、2012年にそれを施行しました。民主党はその上、選挙で‘コンクリートから人中心へ’と言うスローガンを掲げました。鳩山の場合、普天間基地を県外に移動すると言う公約もあったのですが、その核心公約も守ることが出来ませんでした。野田政権は最初から、保守陣営ならびに米国との妥協に進みました。結局、財務省と外務省に掌握された政党になりました。

この様に、日本民主党は、自民党との差異がなかっただけでなく、一層右傾化された政策も採択しました。結局日本国民を背信したのです。

イ・ヨンチェ 日本と韓国の「民主党」は、理念的に見れば‘自由主義的政党’だと言う事ができますが、多くの差があるようです。韓国の自由主義政党は、保守政党と新自由主義政策の様なところでは多くの重複性があるが、それでも政治的には独立的な自己正体性があります。過去の独裁に対する態度や、親日、検察改革などでは、自由主義政治勢力が、保守政党と非妥協的な緊張もあります。例えば、2009年、ノ・ムヒョン大統領の在任当時、彼等は新自由主義政策で、進歩勢力によってむしろ多くの批判を受けたが、死を選択する程度に保守勢力と対立する点もあります。ところで何故日本では、自由主義政党がこの様に自己の正体性を維持することが出来ないのか、事実正体性を維持する事が、むしろ得票にも助けとなる筈です。天皇制を頂点とする保守のヘゲモニーの為なのかと言う考えもします。結局、この様な差は、戦前の(日本の)ファシズムの遺産が清算されないからでしょうか。

宇都宮: 戦後、日本とドイツを比較する傾向がありますが、ご存知の様に二つの国は、全く異なる経路を歩みました。ドイツの場合は、第2次大戦以後、ヒットラーナチズムの侵略戦争、ユダヤ人の排除と迫害に対し、徹底して反省をしました。しかし、戦後日本の場合、戦争協力勢力らが、そのまま戦後日本を再建しました。その過程で戦争に対する自己反省を、徹底して出来なかった。保守内部には、東京裁判は勝利者が敗者を一方的に裁判したと言う式の感情が存在します。メディアでも、こんな点だけ一方的に強調します。即ち、東京戦犯裁判を被害者的視角だけで接近しているのです。しかし、日本の侵略戦争、即ち、中・日戦争からアジア太平洋戦争によって、約2000万名のアジアの犠牲者を作りました。広島と長崎の原爆、東京大空襲だけでも、300余万名が犠牲になりました。この様な問題から、日本は戦争責任を認めなかったのです。責任者の処罰を要求する大衆運動も起こらなかったのです。

日本憲法の問題もあります。自民党は、憲法は米国の圧力で作られたものであり、逆説的に‘自主’憲法を作ると言う綱領を持っています。即ち日本憲法は、強要された憲法だと言う論理です。

しかし、日本の憲法制定過程を見れば、まず、ポツダム宣言を受諾し敗戦を受け入れたのであり、その内容で、戦後の社会建設のなかで、国民主権、人権尊重の社会をつくると言う約束をしたのです。

戦争を主導した勢力が、戦後に解体されずに残り、むしろ彼らが、権力の中枢になったのです。以後彼ら支配層は、平和憲法を、強要された憲法だと規定し、それを改定しようとする構造が出現したのです。

無論、彼等とは反対に、労働運動や市民社会勢力は平和憲法を肯定的に評価して来ました。しかし、戦前の勢力らが解体されず、持続されて来た中で、侵略戦争も清算する事が出来ず、今も彼等が権力層に温存され、妄言と政治に影響力を行使している構造です。

2014年東京知事選挙結果について

イ・ヨンチェ 20142月の東京都知事選挙は、いろんな側面で、日本社会、またアジアの諸国の注目を受けました。細川前首相が、小泉前首相の支援を受け、東京都知事に出馬しました。彼と別個に宇都宮先生が、市民社会運動、社会民主党、日本共産党、緑の党などの支援を受け、独自的に出馬し、細川首相よりもっと多い得票を獲得しました。市民社会陣営、社民党、共産党、緑の党、新社会党間で、色んな理念的、政治的差異があった筈なのに、どうして連合する事が出来たのですか。

宇都宮 前回の東京都知事選挙は、投票率が62%程度だったが、今回では16%低かったのです。私の得票率は、その中でも96万票で、約8万票程度増えました。約20.18%を獲得しました。前回と同じ投票率だったら130万票を越えたと思います。これは既存の社民党と共産党の基本票を遥かに超える支持率です。中心は市民団体ですが、労働団体、また政党などの参加による緊密な選挙運動の結果だと思います。全体の支援奉仕者(ボランティア)は前回より3倍以上多かったし、事務局も2倍以上参加しました。そんな意味で、運動が拡大されたと見ています

今回には、ネット選挙(インターネット選挙規制)が解かれ、若い層がネットを通して、ボランティアで参加した選挙でもありました。韓国よりはネット選挙が遅れているが、最終投票日の前日、インターネット放送に出演しましたが、アクセスが数十万越えました。しかし、TV視聴率は1%で100万だと言います。10%であれば1000万ですが、東京都の有権者が1080万名です。やはりインターネットの限界を感じる事もありました。TV討論会が大変重要でしたが、特定の有力候補が拒否したと言う理由で、16回全てが不発に終りました。TVの報道が、有権者達に、各候補の政策を伝達する使命があるとすれば、メディアの使命を放棄したものです。街頭演説は、限定された人々にしか、伝達されません。TV討論会の重要性を感じた選挙でした。

イ・ヨンチェ 極右保守候補が60万票を得て、それが主として若い層の支持を受けたものとなっていますが、これが日本の右傾化の一つの断面なのですか、或いは他の解釈が可能ですか?

宇都宮: 全体としては、日本の社会が右傾化していると考えられます。田母上氏が出馬しなかったら、61万票は舛添氏に入って行く票です。不当な論理を主張する田母上氏でさえ、60万票を獲得する社会状況が展開されていると言う事が、日本の深刻性を見せています。私の場合、前回よりは善戦しましたが、やはり勝利を収める事が出来なかったのは、都市部の高い保守の壁を壊すためには、強力な運動を展開する必要があると改めて考えました。今回、共に選挙に参加した多くの人々は、その可能性を少しは確認したとみえます。自信も得ています。(続く)

(訳 柴野貞夫 2014421日)

 

<参考サイト>

☆ 世界を見る−世界の新聞/<宇都宮健児弁護士とのインタビュー(その1)>東京都知事、極右候補の60万票と‘この人’の100万票 (韓国・PRESSIAN2014年3月28日付)