ホームページ タイトル

 

(韓国民衆言論 <週刊−ハンギョレ21 20148181024号・記事)http://h21.hani.co.kr/arti/cover/cover_general/37703.html

 

            帝国主義の亀裂、イスラエルのあがき

-帝国主義の時代に、極右ユダヤ人が考案し、米国の戦略的宝物となった‘シオン主義’の人工的被造物−‘イスラエル’の歴史
-

 

キム・オジン キョンサン(慶尚)大 社会科学研究院 研究教授 

反戦平和連帯(準)幹事

 

 

「英国が企んだ、帝国主義を助けるユダヤ国家の建設。イスラエルは、中東の地に作られた新しい植民地宗主国。米国にとって、‘米国の身代わり’となって、中東問題を解決してくれる便利な道具」(本文から

 

 

<本文>

 

一体全体、どうしてガザ地区に対する虐殺と封鎖は、継続されるのか?最近になって最も多く受ける質問だ。

ハマスの施設を打撃すると言うことは、ガザ地区の民間人を殺すと言うことだ。パレステイナの人口を撲滅するものではないとして、イスラエルの虐殺劇を理解する事が出来るのだろうか?根本的な理由を理解しようとすれば、20世紀始めに遡登らなければならない。

聖書時代から第一次世界大戦までは、‘シリア’と言えば、現在のシリア、レバノン、ヨルダン、パレステイナを含んだ全地域を意味した。その中でパレステイナは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教すべての聖地がある場所だった。

エルサレム(イスラエル)、カイロ(エジプト)、ダマスカス(シリア)ベイルート(レバノン)、ラバト(モロッコ)、バクダッド(イラク)で、ユダヤ人とアラブ人は、同じ村に住む友達だった。

▲ 写真 去る729日、イスラエルの空襲を受けたガザ地区の東側で、砲煙が沸きあがっている。イスラエルと欧米帝国主義の履行関係の中で、パレステイナ住民達は、依然として伸吟している。

英国の利益を保護してやる同盟軍(イスラエル)


1849年、英国がアジアとアフリカ、ヨーロッパを結ぶ要衝の地・アデン(南イエーメンの首都)とアルジェを掌握しながら中東とアフリカに植民化の波濤が押し寄せた。フランスと(帝政)ロシアもこの波濤に合流し、後発産業化へ常勝長躯したドイツも挑戦状を突き出した。

191645月、英国とフランス、ロシアは、サイクス・ピコ(Sykes-Picot)協定を通して、中東地域をそれぞれ分けて(分配して)行った。この過程でパレスティナは英国の支配を受ける事となった。

同じ時期、ユダヤ人達の間では、‘シオン主義(シオニズム)’→ユダヤ人国家建設運動が荒れ狂った。フランスで活動した右翼言論人であるテオドエ・ヘルチュルは、反ユダヤ主義の世論に押されてスパイとして追い立てられたユダヤ人将校−アルフレッド・ドレフュスの事件を見届けて、政治的シオン主義を具体化した。

‘帝国主義列強の支持を受ける非発展国でのユダヤ人国家’−像を、著書<ユダヤ国家>を通して提案した。このアイデアは、後日、初代イスラエル大統領となる科学者、ハイム・アズリエル・ハイツマンに、あまりにも魅力的に迫ってきた。

イスラエルは、自分達を保護する帝国主義秩序が、中東で亀裂している事に対する不安感を、ガザ地区の虐殺として表現している計算だ

ハイツマンは、英国の影響力の下で、シオン主義国家を作れば、そのシオン主義国家は、英国の利益(特にスエズ運河)を保護してやる同盟軍となることだと、英国支配層を説得した。1917年、英国外務大臣アーサー・バルフォアは、ユダヤ人とアラブ人が昔から一緒に暮らして来た土地に、帝国主義を助けるユダヤ国家の建設を保障してやろうと宣言した。

バルフォア宣言は、ユダヤ人達の移住を加速した。シオニスト達は、全世界から資金を引き入れ、英国高等弁務官が下した布告令に力を得て、パレステイナの土地を安値で買い入れた。‘ユダヤ人の土地、ユダヤ人の労働、ユダヤ人の商品’と言う旗幟(旗印)の下、新しい定着民達は、アラブ人労働者達が職場を探すことが出来ない様に妨害した。

パレステイナの人々を追い出した土地で、ユダヤ人達は、労働組合だけでなく企業家、銀行、保険会社、地主、社会保障の用まで、広範に包括する彼らだけの共同体(ヒスタドゥルトゥ)を作った。

パレステイナの人々が、黙っているはずが無かった。19364月、パレステイナの人々は真正な総罷業で抗議した。これについて、当時或る英国官吏は、‘革命初期’だと描写するほどだった。罷業と納税拒否のような、市民不服従運動がパレステイナ全域を襲った。英国の対応は野蛮的だった。罷業初日から戒厳令を宣布した。

当時英国は、第2次世界大戦後の国際舞台で、影響力が以前ほど行使出来ない立場でパレステイナで植民統治をしようと頭を悩ませていたので、イラクの石油にもっと集中する事に決定した。

6%(の土地)を所有し、人口30%(のイスラエル人)に、55%の土地を抱かせて・・

そんな中で、パレステイナの本当の悲劇が始められた。1947年、国連はユダヤ人移民者中心のユダヤ国家と、パレステイナ人中心のアラブ国家に分割する決議案を採択した。パレステイナに根付いて暮らして来たアラブ人達には、呆れた内容だった。

全体土地面積の、6%を所有していた人口30%のユダヤ人達に、パレステイナ領土の55%を割り当てるものだったのかと言う話だ。イスラエルは、これに満足しなかった。イスラエルが建国を宣布した1948年、パレステイナの人々が‘ナクバ’(災難)と呼ぶ虐殺が始められた。

<テイルヤシン>と言う一つのアラブの村では、イスラエルの特攻隊によって、パレステイナの人々254名が1列に立てられたまま、銃殺された。恐怖に怯えた75万名のパレステイナの人々が大急ぎで故郷を離れなければならなかった理由だ。

イスラエルは、(イスラエルと言う)不意に中東の土地を占領した新しい植民地宗主国に対抗するアラブ諸国家との戦争(1次中東戦争)で、アラブ諸国の軍隊を撃破した。特に1967年、繰り広げられた3次中東戦争で、イスラエルは米国に、自己の有用性を確実に立証した。当時米国は、ベトナム戦争で苦戦を免がれることは出来なかった様(ざま)だった。その年6月、イスラエルはエジプト・シリア・ヨルダンの軍隊を、六日目に制圧した。

米国の目が、ぱっと見開いた。イスラエルが‘米国の身代わり’、」中東問題を解決してくれる便利な道具となる事が出来る事を確信したのだ。イスラエルは、‘正常な国家’の地位を確保したし、新しく占領した領土の主権も承認を受けた。以後1979年のイラン革命で、親米パーレビ王政が崩壊するや、イスラエルは、米国にとって無くてはならない中東の宝物であると同時に、戦略的資産となった。

イスラエルは、米国に、第3世界との通路の役割もした。1960年代にイスラエルは、ザイール(現コンゴ民主共和国)、ケニヤ、ナイジェリア、など15カ国のアフリカ諸国と親交を結んだ。南アフリカ共和国との親交は、特に情が厚かった。米国の武器はイスラエルを通して、南アフリカ共和国のアパルトヘイト(極端な人種差別政策)を支援した。

イスラエルとアラブ連合軍の間の、4次中東戦争で、米国の軍事的支援は迅速だった。精巧な最新武器を供給したし、22億ドルの軍需品の供給協定を締結した。

イスラエルに向かう米国の支援は、持続的に拡大されている。今回のガザ地区虐殺に利用されたイスラエルのミサイル防衛体制―アイアンドームの場合、1台を配置するのに5千万ドル、1発を打つのに2万ドルかかる。

ガザ地区の血風血雨(イスラエルによる虐殺)の中でも、米国はアイアンドームの支援額を増やすことに決定した。

米国は、イスラエルと言う<兵営国家>を活用し、中東で覇権を維持し、サウデイアラビア、イラク、ヨルダン,などの国で自分の拠点を作って来た。とうとう、イラン革命(1979年)の恥辱を晴らす日を待って、2003年、イラク侵略を敢行した。

しかし2001年始められたアフガニスタン侵攻と占領、2003年からのイラク侵攻、また占領で、米国民が50年間、社会保障制度を享受することが出来る3兆ドルの金だけが、無くなっただけだ。

米国の退却は、中東の秩序に、非常に大きな変曲点となった。1967年イスラエルがアラブ連合軍を六日目に撃退した時、アラブの平凡な人々が感じた深い挫折感を、(米国の退却が)洗ってくれる役目をしたのだ。

こんな歴史的脈略で見る時、イスラエルは、自分を保護する帝国主義の秩序が中東で亀裂が出ている事に対する不安感を、ガザ地区虐殺として表現している計算だ。

3次インテイファーダが遠くない

数年前、アラブ革命でアラブの支配者達の統制力も弱くなった。エジプトで革命が絶頂である時は、イスラエルとの‘平和’協定を廃棄しようと言う要求も、下から提起された。この協定を契機に、エジプトと言う中東の最も強力な国家を、親米同盟に引き込む事が出来た米国としては、大きな脅威に他ならない。

リビアのムアマル・カダフィ、シリアのバシャドゥ・アサドの様な独裁者達が、死んだり弱くなったりしながら、イスラエルに敵対的な勢力も大きくなった。最近、パレステイナのハマスとパタダンの連合政府の構成も勢いに乗っている。ガザ地区の虐殺は、これに亀裂をつけ様とする、イスラエルのあがきの企みだ。

結局シオン主義は、英国と米国が作った被造物だ。その被造物のあがきを、我々は、最近はっきりと見ている。

最近、米国とアラブ圏の衛星放送<アルジャジーラ>の様な外信を見ていたら、中東特派員として長い経歴を積んだトーマス・フリードマンの言葉が、耳元にくるくると回る。“過去30年間、我々が構想して来た全ての事が、今はもっと意味なきものとなった。・・・イスラエルは、アラブ人達の事柄から手を引かなければならない。巨大な台風が近付いている。イスラエルよ、道から退がれ。”

3次インテイファーダ(イスラエル支配に対するパレステイナ人の大抗争)が始まると言う報道が出るいま、1次(1987年)、2次(2000年)に続く新しい抗争が、アラブの春を再び蘇生させる希望となることを、切に願う。

                                     (訳 柴野貞夫 2014822日)

 

<参考サイト

 

☆ 136 “イスラエルは今、‘人種清掃’の最中だ” (韓国・チャムセサン 2009年1月14日付)

☆ 131 イスラエルの五つの嘘 (韓国・チャムセサン 2009年1月6日付)