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 (民衆闘争報道 <元沖縄県知事・大田昌秀さんが語る「沖縄の心」>講演記録 <その3
  2013630日)

 

 

 

元沖縄県知事・大田昌秀さんが語る「沖縄の心」講演記録 <その3・最終回>

 

―この講演記録 は、三回に分けて連載しています―

 

 

 

「今、日本で、憲法を変え、戦争が出来る国家への動きが高まっています。

もし今、憲法が改悪されたなら、戦後日本の民主主義は死んでしまうのは当然ですが、長い間無権利状態に放置され、今も基地問題で犠牲をしいられて来た沖縄が、日本の平和憲法の下に帰ると言って、あらゆる苦難をのり越えて戦ってきた苦労が、水の泡となってしまいます。

また、膨大な米軍基地を抱かえる沖縄は、改憲によって、平和憲法の戦争放棄の理念が否定された時、さらに恐るべき事態を招来する可能性も否定できません。私たち沖縄は、本土の皆さんと一緒に連帯して、憲法改悪反対、米軍基地全面撤去に向かって戦って行きます。」(講演から)                                                                                                    

 

 

△写真上 20121223「怒りの御万人大行進」での終結地点である「普天間基地」ゲート前で演説する山城博治氏―[出処・柴野貞夫時事]

●伊江島のガンジー

先ほど伊江島のガンジーこと、阿波根昌鴻(アワゴン・ショウコウ)さんの話をしましたが、米軍の強制土地収用に対峙する時、「人殺しをする軍人より、人間の幸せに結びつく野菜、オイモを作っている農民の方が人間的に上だから、彼等(米軍)には悪口など言うな」とそれなりの規則を作って抵抗を続けました。

ブルドーザーで野菜が植えられた農地と住居を米軍が壊し踏みにじるわけですね。143万の人間が住む沖縄をまるで無人島の様に自由勝手に。例えば、阿波根さんは、抵抗のやり方を、肩より上に手を上げると、写真を撮られて暴行したとして捕まるから、そうしてはならないなど、いろんな工夫で島民の抵抗を組織しました。伊江島では取られた60%の土地の半分を取り返しました。

しかし、阿波根さんが亡くなると、基地は拡張されました。

●東アジアでの、10万の米軍展開の動きに、「基地返還プログラム」で抵抗

少女暴行事件が949月に起きています。私が代理署名を拒否したのは少女事件が起きたから、それを理由に拒否したと,本土のマスコミに書かれました。これは事実に反します。

実は、同じ年の2月に、ジョセフ・サミエル・ナイと言う元ハーバード大教授出身の国防次官補が、「東アジア戦略報告(EASR)」,通称「ナイ・イニシャティブ」を作成しました。その中身を読みますと、東アジアに10万の米軍を1050年以上駐留させる、展開させる事を発表したのです。

私は橋本総理にお願いして、「日本の在日米軍、45000の数字に対し10万を認めれば、沖縄の基地は恒久化して、いつまでも基地問題で苦しむ事になります」とお願いしたわけです。10万人態勢の問題は残ったわけです。これでは駄目だと、「基地返還アクションプログラム」を作りました。

19961月に日米両政府に対して、沖縄の一番返し易い基地から10か所の基地を返してくれと、2010までに14の基地を返してくれと、2015年になると嘉手納飛行場も含めて、残こりの17の基地を全部返してくれと、一つ残こらず返せと、そうすると2015年になると、沖縄は昔と同じ平和な社会を取り戻す事が出来ると、これを日米両国の正式の政策にして下さいとお願いしました。

そうしますと、964月にクリントン大統領が來日されると言う事で、橋本政府から言ってきました。最終的に返して欲しいところは何処かと。それは普天間ですと言いました。普天間は、周辺に16の学校があり、公共施設が多数あり、世界一危険な飛行場であるからだと。2001迄に、10か所の基地を返して下さいと言った中に、普天間を加えて11の基地を返す事を日米で合意したのです。

●クリントン時の日米合意は(普天間基地を含む)11基地返還のうち7つは県内移設と言う欺瞞

我々は喜びました。我々が2015年までに全ての沖縄の米軍基地を返してくれと言ったのは、実はアメリカで、「2015年の世界情勢」を分析した本が何冊かでていました。その中に日本の事も書いてありました。米国の軍事評論家、学者など16名が集まって書かれた「トゥサウザントフィフティー グローバルトゥレンディー」には、2015年になると、台湾海峡の問題も、朝鮮半島の問題も、安定に近付くだろうから「2015年代、沖縄の米兵は要らないだろう。」と書いてある。それで我々はターゲットを2015年に絞って、すべて基地を返して欲しいと要求したのです。そして2011年までに、「普天間」を加え11の基地を返すと言う事になって喜んでいたら、ずっと後になってその内七つは県内に移設すると言うわけですよ。

普天間の辺野古」移転は、沖縄米軍基地の中核的存在を目論む巨大基地

そうすれば、普天間も嘉手納も兵舎が老朽化して作り変える時期、県内移設となれば、新しく作る事に成るわけです。コンクリートは耐用年数は長く、基地に居座られたら大変だと。当然(普天間の)「辺野古」への移設にも反対した。そこで次第に明らかになったのは、何十年も前から返すことになっているが今も返還されずにいる那覇港は、水深が10mしかないのに対して、(大浦湾の)「辺野古」の場合、水深が30mある。「辺野古」は、普天間「飛行場」の機能だけではなく、巨大な桟橋を造って航空母艦も横付け出来る「海軍基地」も作れると、そして反対側の陸地には、嘉手納の(化学兵器を含む)陸軍の弾薬庫も造る計画であり、大浦湾一帯は沖縄の米軍基地の中核的存在に成って仕舞う恐れがある。そんな事情もあって「辺野古」に基地を造ることは容認出来ないと拒否したのです。

●沖縄米軍基地の海外移転案を、一貫して妨害する日本政府

そうしますと日本政府の中には、“沖縄の連中は反対ばかりを言って解決策は何一つ言わない”と言う。しかし、私がペンタゴンに行きますと、若い連中が私に耳打ちして“グアムに寄って見て下さい”と言うのです。

グアムからは、連邦政府の国会議員(下院議員)を出しています。彼等は議決権を持っていないが、他の点では全く議員としての活動をしている。そこにアンダーウッドと言う議員がいます。グアム政府にも行き、グアム知事と議会議長ともお会いして、アンダーウッド連邦政府議員と話し会いましたら、丁度グアムにはアンダーセン空軍基地があって、今まではB52爆撃機の基地だったが今はアメリカ本土に撤退してしまって、ガラ空きだ、普天間の13倍ある基地がガラ空き状態だと言うのです。またアクラ湾に海軍基地があったが、今は閉鎖されている。グアムは経済的にピンチなので沖縄の基地を引受けたいと言ってくれたのです。私はアンダーウッド議員に普天間基地やほかの基地も見てもらいました。

彼がグアムに帰ってから、インフラ整備があるから、最初は3500人だけを引き受けると言ってくれました。普天間は全部合わせて2500人しかいない。普天間全部をグアムに移しても、1000人のゆとりがある。他も移そうと考えていたらグアム政府に干渉と嫌がらせが入ったと言ってきた。誰がしたかを明言しなかったが、どうも日本政府筋だと言うことです。そして結局、グアム側は3500にん引受けの問題は一旦保留しようと言ってきました。2006年になり、8000名の海兵と9000人のその家族をグアムに移すと、日米再編に関するロードマップが日米両政府で合意された。

普天間から8000名の海兵と9000人の家族を移す費用が、102億ドル掛る。その内60%を日本側が持つと、日本円にして7000億円以上となります。

ところが、アメリカ上院・軍事委員会の委員長で、共和党の大統領候補になった有力議員・マケインが、国防省に米軍の戦略問題について具体的にどんな戦略を持って、またどの程度の予算が掛るのか、詳細な計算をして出せと言ったが、国防総省は出していないと言うことで予算を凍結したのです。一方海軍は、予算を通してしまった。上院と下院の軍事委員会の共同会議で決まるのですが、一方グアム政府では、800010000nにわたる環境調査書を住民に提示したところ、先住民のチャモロ族が海兵受け入れに反対しました。

海兵隊が、沖縄ハンセン基地では実弾射撃訓練をやっている。それと同じ訓練場をグアムに二つ作る計画が入っていた。その場所は、チャモロ族が最初に上陸した聖なる地として崇めている場所だと言うのです。そんな場所に訓練場は認められないと言うわけです。

グアムの女性達も沖縄にやって来て、沖縄の基地反対の女性達と手を組み、グアムにも基地を作らせないとアピールしました。グアムの知事が沖縄にやって来た時、“基地問題では必ず反対する者がいるが これは内政問題だから気にする必要はない”と言ったのですが、チャモロ族の人達は赤はちまきをして車座に座りこんでいる。チャモロ族は、基地の用地に対する正当な金の支払いがない事も、移転反対の理由であり、(自国の軍隊の受け入れであり)正当な補償があればグアムでも受け入れるとの事であった。
オーストラリアは、米国と協定を結んで、ダーウインに基地を作り、20002500人を受け入れるとし、ハワイでは、私が28年間、毎年米国に行き、議論をしていた連邦政府下院軍事委員会のメンバーだったアバクローリー(元ハワイ大教授)が、“今は新米だが、沖縄問題は良く勉強して協力するよ”と言ってくれていた。

昨年彼がハワイの県知事になって、今年4月沖縄にやって来た時、私が、クリントン大統領時代に、上院議長らが “ハワイには海兵隊基地のスペースがあり、沖縄に一方的に負担を掛けるのはいけない事だ”だと受け入れ決議を採択したと言う経緯を話したら、自分もハワイで2000人の海兵を引き受けたいと言ってくれた。

フィリピンでは、1992年、全ての米軍事基地を撤廃させました。 その後、当時30000人だった基地労働者は、新たな産業への取り組みで90000人に増え、基地撤廃の経済効果が大きくなりました。しかし米軍の受け入れは、一時的駐留なら認めるとの米・フィリピン政府間協定をむすんでいます。この様に、

グアム、オーストラリア、ハワイ、フィリピンに分散すれば解決することができるにも拘わらず、それを止めているのは日本政府なのです。

●ラロック元提督、沖縄が「北の脅威への抑止力」と言うのは嘘

日本政府は沖縄に米軍基地を置くのは、抑止力の為だと言っているのですが、我々は「抑止力」とは思っていないし、そもそも何のための「抑止力」なのか、1975年頃、「ラロック証言」として大騒ぎになった事があります。米海軍提督、ジム・ラロックさんが、“米国の戦艦が、核兵器を積んで横須賀、神戸、呉などに寄港する時、核兵器を外して入港する事はない”と証言しました。

日本の非核三原則を侵害するものでした。

すると、(当時)駐日米大使ライシャワーは、“その事は、日本政府は了承済みだ”と、“一時的持ち込みだから、核の持ち込みではない”と、ラロック証言を肯定しました。 

今、彼はワシントンで「国防情報センター」を作っている。彼を沖縄にお招きして基地を全部見てもらい、日本政府が、沖縄が地政学的に「アジアの有効な場場所」だと言っているが、(ラロック氏は)どう思うか?と聞いたら、彼は笑って、“もし北朝鮮が脅威だとすれば韓国の米軍を増やした方が良いに決まっている。しかし米軍を増やす必要は全くない。北は100万の軍隊と言うが、トータルとしては韓国の方が27倍の軍事力を持っているから、米軍が一人も居なくても十分対応出来る”と言っている。“もし本当に「北」が脅威だったら、地政学的に言って、沖縄でなく北九州が遙かに効果的だ。”と。誰が考えてもそうですね。


●沖縄にとって復帰とは何か? 日本にとって沖縄とはなにか?

我々は、沖縄の「伝統的な平和思想」と言うものを大事にして来ました。米軍は、沖縄をアジア太平洋のかなめ・キーストーンと呼んでいます。

今年は薩摩の沖縄侵略から404年目に当たります。廃藩置県から143年、日本に復帰してから41年目を迎えるわけです。
今この時に、沖縄では二つの事が問い直されています。一つは、「復帰」とは何だったのか、何の為に復帰したのか、もう一つは、日本にとって沖縄とは一体何であるか、沖縄は日本なのかどうか。

皆さんはお怒りになるかも知れませんが、沖縄には142万人の人間が住んでいます。しかし、日本になってから人間扱いされた事がありません。多数派のマジョリティーの何らかの目的を達成する為の手段に供されて来たのです。これは歴然と理解出来ます。

例えば、沖縄戦で沖縄を守った日本軍は、我々学徒隊、地元から集めた防衛隊も含め10万そこそこだったのです。当時沖縄の住民は42万〜43万でした。米軍はと言うと、沖縄の総人口を上回る548000人の大軍で攻め込んで来ました。制空権,制海権も握られて勝つはずがありません。          米軍が上陸した時、日本本土の防衛体制は60%しかなかった。米軍が日本本土に上陸すればひとたまりもありません。大本営は、当初から沖縄の玉砕を前提に一日でも長く米軍の本土上陸を食い止める為に、米軍を沖縄に釘付けにして、玉砕覚悟で沖縄を戦わせた。日本本土を守る為の捨石にされたと、我々は考えています。

サンフランシスコ平和条約が締結された時、沖縄だけが本土と切り離され米国の軍政下に捨て置かれた。日本は主権を回復したと言うが沖縄は屈辱の日なのです。

●憲法改悪を許す事はあらゆる苦難をのり越えて戦ってきた沖縄の苦労が水の泡となる事

今、日本で、憲法を変え戦争が出来る国家への動きが高まっています。沖縄は、本土復帰前も今も、日本国憲法に守られていると言えない状況が続いています。しかし沖縄は、自分達の力で一つずつ、憲法の中身を勝ち取って来たのです。

本土の人達は、憲法は与えられたものだと言う人がいるようですが、沖縄は、憲法によって守られない状況で、憲法を勝ちとってきたのであり、憲法への思いは益々強いのです。

沖縄のこころは何かと聞かれたら、私は、「ことのほか、平和を守る気持ちが強い事」と答えます。

もし今、憲法が改悪されたなら、戦後日本の民主主義は死んでしまうのは当然ですが、長い間無権利状態に放置され、今も基地問題で犠牲をしいられて来た沖縄が、日本の平和憲法の下に帰ると言って、あらゆる苦難をのり越えて戦ってきた苦労が、水の泡となってしまいます。

また、膨大な米軍基地を抱かえる沖縄は、改憲によって、平和憲法の戦争放棄の理念が否定された時、さらに恐るべき事態を招来する可能性も否定できません。

私たち沖縄は、本土の皆さんと一緒に連帯して、憲法改悪反対、米軍基地全面撤去に向かって戦って行きます。(終わり)

 

 

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