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(韓国民衆言論 オーマイニュース ‘10万人クラブ’ 2015311日付)http://www.ohmynews.com/NWS_Web/tenman/
report_last.aspx?CNTN_CD=A0002088659&srscd=0000011356&srsno=1



       <福島でのシンポジウム報告>
恐怖の福島 その後4年(1)
          −福島の恐怖は続いている。今も終らない



                                             キム・イクジュン東国大・医大教授


● 基準値は、安全基準値でなく、管理基準値だ

● 日本では今も“基準値以下なので、安全だ”と言う政府の嘘が一般国民に浸透している
● 核事故の後始末を放棄した、日本の‘復興政策’の欺瞞


小児甲状腺癌患者200倍アップ・・・“私は、今も鼻血を流す”


311日は、福島で原発事故が起こってから4年になる日だ。今も恐怖は継続されている。今も終らない、負った傷の現場を告発し、国内(訳注−韓国)で論難が続いている原発の延長−閉鎖問題を振り返ってみながら対案を提示する。この企画は、<環境運動連合>と<オーマイニュース・10万人グループ>が共同で進行する。最初の記事は、キム・イクジュン東国大・医大教授(原子力安全委員会・非常任委員)が送ってきた。(編集者の言葉)

信じられない放射能数値

       
  写真 福島駅での放射能測定 <写真 キム・イクジュン>

核事故が発生してから4年になったが、なかなか福島に行く機会が無かった。そうする内に、今回機会を掴んだ。去る8日(訳注―38日)福島共同診療所が中心となって主催した被曝医療シンポジウムに、発表者として招請されたのだ。
福島駅に到着すると直ぐ測定した、空間放射能数値は、時間当たり0.18 μSv(マイクロシーベルト)、韓国では、一度も見たことが無い数値だ。診療所に向かいながら、田と畑がある場所で測定したが、時間当たり0.25 μSv(マイクロシーベルト)が出た。
アスファルトで塞がれた地域では、4年間洗われて行って空間放射能が少なくなったが、土がある地域は除染(放射能物質を除去する事)をしたと言うが、都心より50%程度増加した。私の測定器でこの程度の数値が出たと言うことは、空間放射能量が韓国の3倍程度になると言う事を意味する。核事故を実感する瞬間だ。除染しない地域を測定したかったが、時間が不足した。参考に、福島市は事故原発から、直線距離で約60km程度離れたところだ。
核事故以後、日本政府と福島県立医科大学は、核事故に因った放射能被害はなく、小児甲状腺癌発生は認定しながらも、これが放射能被曝とは無関係と言う主張をしている。調査された367686名の18歳以下の子供中、小児甲状腺癌患者は、疑わしい患者を含む117名(87名確定)だ。
元来、小児甲状腺癌は極めて稀な疾病であり、100万名中、1名程度だと関連教科書に出ている。そうであれば、200倍以上増加した小児甲状腺癌患者発生率を、放射能被曝でなくて何で説明する事が出来るのか?この様な(日本)政府の出鱈目な主張に反対し、民間主導の放射能被曝の健康影響を調査する為に、そして歪曲された被曝医療の現実に抵抗する為に、意思ある医師達と市民が募金に賛同し、2012121日、門を開いたのが、即ち福島共同診療所だ。
公立病院の副院長を歴任した内科医、フセ・サチヒコ院長が常勤し、他の医師4名も代わるがわるに診療を担当する小規模病院だ。甲状腺癌と乳癌など放射線露出後、良く発生する癌を診断しながら被爆者である住民の他の健康影響も調べている。この診療所が、門を開いてから2年ぶりに、被曝影響に関するシンポジウムを開いたのだ。
全国から集まった、関心ある医師達と地域住民200名以上が参加したシンポジウムだった。発表者は、私を含んだ4名の医師達だった。発表内容は、放射能被曝の健康影響に関するものだった。今回のシンポジウムは、特異にも発表時間に匹敵する程の質疑応答時間を割愛し、参加した住民と医師達の意見を聴取する事にも良い機会だった。


日本政府の嘘“基準値以下なので、安全だ”と言う日本政府の嘘が、国民に浸透している

         
▲写真上 福島県双葉町前町長・井戸川 克隆<写真―キム・イクジュン>)

私は、教科書に出ている医学的事実に依存して発表した。事実、平素国内で行った脱核講義の一部を講義したが、それほど専門的な内容ではなかったと思う。
被曝量と癌発生は、正比例すると言うこと。基準値は、安全基準値でなく、管理基準値だという事、セシウムを利用した被爆量計算は、間違いだったと言う事を説明した。
また、韓国の原発周辺地域の疫学調査結果と関連した、甲状腺癌の訴訟に関する内容を発表した。医者達と記者達は、特に調査結果に関する質問を多くし、地域住民は、教科書に出ている被曝量と基準値に関する内容に、多くの関心を見せた。
質問を通して、日本では今も“基準値以下なので、安全だ”と言う政府の嘘が一般国民に浸透していると言うことを斟酌することが出来るのは、本当に大きな問題だと思う。
シンポジウムで、特別に記憶に残るのは、福島県双葉町の井戸川 克隆前任町長の発言だ。この方は、核事故当時町長として、事故当時の住民を全て避難させた後、本人は最後に避難したことで有名だ。漫画<味の達人>に出た、被曝後鼻血を流す場面について論難が生じた時、本人が直接被曝に遭い、今も毎日鼻血を流していると発言したことで有名だ。
シンポジウム直後開かれた交流会で、井戸川 克隆前町長は、事故当時、原発会社と政府が、放射能が何処に広がっているのか予測情報を公開せず、町長だった本人が、住民たちを放射能汚染がもっと酷い場所に避難することをさせたとして、政府に対する悔しさと自分自身に対する叱責を率直にさらけだした。
自治体の長の身分にも拘わらず、政府を批判しながら避難地域を広げなければならないと言うなど、被曝量を減らす為のいろんな政策を提案し政府と葛藤を持続した事情を説明した。
井戸川 克隆前町長が、今回のシンポジウムを通して“基準値以下の被曝も危険だ”と言う本人の信念が正しかった事を確信する事となったと語った時、私はこの方が、この期間経験した心的苦痛を少しでも感じることが出来た。それ程信頼し、人生を奉仕した政府が、本人が体で感じている放射能被曝の影響を認めない状況を、耐えることが出来なかったのだ

山のように積まれた汚染土多くの人々が行き来する場所に積まれた、衝撃的な姿

▲ 写真上 山の様に積まれた汚染土  <写真―キム・イクジュン>)

シンポジウムの前、私は若干の時間を作って、汚染土を集めておいた地域を訪問した。福島市の税務署の直ぐ前にある広い空地だった。1トン位の黒い袋が山の様に積まれていた。持って行った放射能測定器をそこに向けると、直ぐに数値が上がって行った。この様な汚染土を、多くの人々が行き来して勤務する税務署の直ぐ前に積んで置くなど・・・衝撃的な場面に違いない。
それとともに、今も避難生活をする人々の中で、3万名が暮らしているという仮説住宅の中の一つを訪問した。10坪程度になる空間に臨時で建てた住宅は、はじめ1年だけ使用する計画だったために、お粗末だった。寒さと暑さを避けるには途方も無く不足した施設だった。1年だけ使用する計画だった仮説住宅は、4年が経った現在までも、人々が住む以外他に無い状況だ。
その場所で会った避難民の或る方は、本人が福島原発の直ぐ北側にある浪江町から、農業をしていた人だと言って4年の間に5回も居所を移し、出入りしたと語った。家族が一緒に暮らす事が出来ない状況なので、仮説住宅に住む人の中では、一人で住む人が多いと言う。それは人々の内、孤独死(一人で死亡した後、暫く過ぎて死亡の事実が知られると言う)が多いと語った。
土地が汚染され、家に帰ることも出来ず、核事故の影響で地域経済が駄目になり、仕事を求める事もほとんど不可能に近い状況だと言った。政府が与える月10万円の金で、電気料金などを出しながら暮らして行く事が、本当に苦痛であるが、それさえも、この程度の政府支援金も、1年ほど後には絶たれるだろうと伝えた。

4年の間、留守にして置いた家では・・・帰還促進と復興政策は、住民の被曝量を増加させる政策だ 


▲写真上 仮設住宅の姿 <写真―キム・イクジュン>

4年間空けて置いた家は、鼠と野生動物の世の中となり、放射能汚染も相変わらず、再び帰って住む状態ではないが、除染が終わったら、直ぐ政府が避難指示解除地域として決定すれば、月10万円の支援金も無くなり、家に帰還しなければならない状況だと言う。この話をする途中、カップラーメンを数個買い、仮設住宅に入って行く他の住民を見ることが出来た。カップラーメンを度々買い、食べなければ成らない状況である事を推し量る事が出来る。
帰り道に、東京の羽田空港に設置された福島復興政策広報物などを見ながら、福島復興政策の意図を考えて見ることになった。
復興政策は、汚染された地域を除染で減らし、除染され地域に地域民を戻すのが目標だ。3年間禁止した福島産の米の出荷を許可し福島を観光名所にすると言うなど、経済的復興を夢見る政策だ。
しかしこの政策は、まったく国民の被曝量を(意図は無いだろうが)増加させる政策だ。日本の被曝量基準値は、大部分の(他の)国家の基準値である年間1ミリシーベルトの20倍だ。この基準値以上汚染された地域住民に対する対策を政府が立てねばならない。
政府の立場では、基準値が高くなるほど税金支出の負担が少なくなり、基準値が低くなるほど、この負担は増加する。基準値以下で汚染された地域は避難指示解除区域となり、住民たちを家に帰す事となるか、そうでなければ政府の支援金も無く、他の場所に住む方途を準備しなければならないからだ。一方国民の立場から見れば、基準値が高くなるほど国民の被曝量は増加し、基準値が低くなるほど被曝量は低くなる。


福島復興政策の真実核事故の後始末放棄した‘復興政策’の欺瞞

福島復興政策の名分は、住民の苦痛を和らげ、地域経済を活性化し、核事故の痛みから早く回復すると言う事であるが、実際は、核事故の後続措置をしなければならない政府の支出を減らす為の政策ではないのか?と言う疑いがある。避難しなければならない住民が多い程、政府の支出は増えるからだ。
福島復興政策を詳しく見渡せば、この様に、政府の責任を減らし、国民の被曝量を増やす事だと知ることが出来る。だから、意識ある日本人達は、この政策を棄民政策(国民を捨てる政策)だと呼んでいる。
これが即ち、今回のシンポジウムで、私が福島復興政策を放棄しなければならないと主張した時、大きな拍手が沸き起こった理由だ。

     

(訳 柴野貞夫 2015318日)


関連サイト

 

小出裕章(京都大学原子炉実験所)の講演記録
  民衆闘争報道/「第3回さよなら原発1000人集会」(10月6日伊丹市)での小出裕章(京都大学原子炉実験所)の講演記録

☆民衆闘争報道/さよなら原発 3.9関西行動<その1>小出裕章(京都大学原子炉実験所)の講演記録(2014年3月9日)

  民衆闘争報道/さよなら原発 3.9関西行動<その2>小出裕章(京都大学原子炉実験所)の講演記録(2014年3月9日)

☆民衆闘争報道/書評「原発と憲法9条」(小出裕章・著)(2012年8月7日)

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