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(韓国 保守言論 <中央日報>‘キム・ヒョンギの正しく読むジャパン’20141117日付)

http://article.joins.com/news/article/article.asp?ctg=1300&Total_ID=16437985



      
  <普天間基地移転に反対した沖縄> 

             沖縄の反乱 “本土をぶち壊そう”と言う候補が、知事当選


  安倍が押す仲井真弘多(なかいま・ひろかず)知事押さえる
  各種差別待遇に住民が憤怒表出
  500年の歴史の琉球王国”への自負心
  固有語教育など、独立の動きなども

▲ 写真上 沖縄知事選挙を前にした118日、住民達が普天間米軍基地の移転予定地である辺野古基地(訳注―キャンプシュワブ)前で、撤退を主張し示威している(辺野古―キム・ヒョンギ特派員)

16日実施された日本・沖縄県の知事選挙で、‘米軍基地移転反対’を叫んだ野党候補が勝利した。安倍晋三総理は、沖縄南部の普天間米軍基地を、北部の辺野古沿岸に移転しようとする現知事−仲井真弘多(75)候補の当選の為に総力を傾けたが惨敗してしまった。“世界的テーマパークであるユニバーサルスタジオ・ジャパン(USJ)を沖縄に誘致するように支援する”と言う約束まで取り出したが、役に立たなかった。米軍基地移転反対を公約として掲げた翁長雄志(64)前那覇市長が、圧勝した事により、日本政府と米国間の基地移転の約束履行さえ不透明になった。

 

   

 

今月はじめ訪問した沖縄は、憤怒で溢れていた。核心は、米国の基地だった。沖縄の面積は、日本全体の0.6%に過ぎない。しかし、日本国内の米軍基地施設74%が集まっている。沖縄総面積の18,3%が米軍の取り分だ。‘移転’すると言っても、沖縄内でぐるぐる回る構造だ。
そうする内に、憤怒の矢は‘日本本土(沖縄では‘ヤマト’と呼ぶ)、そして米国に向う。彼らが口癖の様に繰り返す‘ウチナンチュウ’(’沖縄人′という方言)と言う言葉も、実は本土に対する敵愾心の発露だ。

500年間、‘琉球王国’を維持し、中・日・米間で辛抱してきた屈曲の歴史、以後各種の差別待遇が生まれた沖縄の悲劇だ。
7日、沖縄の宜野湾市カカズ公園の展望台に上がるや、約2km前の普天間基地が、ひと目に入って来た。在日米軍海兵隊の飛行基地の拠点だ。

 


上記の訳文 <屈曲の歴史―沖縄>

14291879  450年の間、琉球王国として存立
1429      三山統一に依る琉球王国成立(明国に朝貢)
1609           日本薩摩藩、琉球侵攻(以後、薩摩藩と清国両側に朝貢)
1853           米国海軍・ペリー提督の開港要求
1854            ‘琉球―米国修好条約’締結
1879            日、明治維新で‘琉球藩’廃止し、‘沖縄県’設立
18791945 日本統治
19451972 米国統治(27年間)
1945            69月の沖縄戦で勝利した米国が、以後沖縄統治
1969           米・日首脳会談で“1972年沖縄を日本に返還する”合意
1972515〜現在 日本が返還され、再統治

 

     

▲ 写真上―沖縄宜野湾都心の真ん中の普天間基地。(辺野古=キム・ヒョンギ特派員)―(時事通信)

 

狭い緑地空間を間に置いて、僅か数十m横に、建物群が立ち並んでいる。普天間基地が‘世界で最も危険な基地’と言う声を受けて当然だ。2,7kmの長さの滑走路の横には、米軍の垂直離着陸機である‘オスプレイ’10台位が二列に並んで止まったまま、轟音を出していた。展望台に居た住民に“どうして離着陸をしないのに、オスプレイがエンジンを発てているのか?”と問うと、“性能調整と言う理由で、いつもあのようだ”と言う無愛想な答えが帰ってきた。隣接する住宅街に住むと言う新垣光男・68は、“夜中にやまない轟音に絶えず恐怖を感じる”と語った。

8日、午前、普天間から車路約二時間、北側に位置した名護市・辺野古の米軍基地‘キャンプシュワブ’、日本政府と米軍が普天間基地を移転しようとする場所だ。

基地入り口、‘ゲート1’前では、100余名の住民たちが“埋め立て工事中断せよ”とスローガンを叫び、抗議の示威を繰り広げていた。鈴木康之(40)は、“滑走路埋め立て工事をすれば、辺野古沿岸に棲息するサンゴと60余種の希少甲殻類、国際的な種の絶滅危機動物―ジュゴンと、海亀の生態系が破壊される”とし、“沖縄の長い歴史の中で見るときも、もうこれ以上、米軍基地は容認することはできない”と語った。埋め立て予定地の砂場と海を間に置いて張られている200mの長さの鉄条網には、‘ジュゴンが来る海を守ろう’‘戦争も、基地も嫌だ’と言うスローガンが書かれたプラカードが掛かっていた。

          

    写真上 松島安勝龍谷大学教授の「琉球独立論」

 

沖縄(知事)選挙は、最近、独立投票を実施したスコットランドを連想させる。

沖縄北西部の物静かな田舎、本部町(もとぶちょう)で開かれた遊説場で会った島袋吉徳(しまぶくろ・よしとく・68)は、本部町議会議長の言葉には、’本土‘に対する憤怒が溢れていた。“他の自治体には、新幹線建設だ、何だと言って、年間数兆円ずつばら撒きながら、我々には、せいぜい毎年3000億円の振興基金を与えるとし、基地移転を受け入れよと言うが、それは我々を籠絡することだ”

当選した翁長雄志候補の遊説内容は驚くに値するものだった。“我々の先祖達は、数百年を苦労して琉球王朝を守ってきたが、今に来て、こんな侮辱を受けるのは絶対容赦出来ない。‘ウチナンチュウ’が一つとなって、(ヤマト)をぶち壊そう”
翁長の公約の中には、“‘沖縄語’の教材を作り、沖縄のあらゆる学校で教える”と言うのもある。沖縄の正体性(アイデンティティー)の確立の為と言うが、究極的に独立を念頭に置いたものである。スコットランドが、固有言語であるゲール語を復活させ、道路標示版まで英語・ゲール語を混用した事とまるで同じだ。状況によっては、‘沖縄独立運動’の火種となる可能性がある。
彼らが主張する‘琉球王国’の復活は、‘親中国的独立国家’と言う点で、影響が大きいだろう。琉球のDNAは中国に近いからだ。実際に、琉球王朝時代、中国から渡って来て根を下した彼等の子孫が、‘孔子廟’那覇市内に建てた。沖縄を訪ねる中国人観光客数もまた大きく増えている。
「琉球独立論」の著者、松島泰勝(まつしま・やすかつ)龍谷大教授の言葉は意味深長だ。“日本は、1609年薩摩藩の侵略、1879年の琉球処分、1972年の日本返還の三回わたって、琉球を支配しようとして来た。米国は、1853年ペリー提督の開港要求、1945年の沖縄戦と、二回に亘った。しかし、中国は沖縄を支配しに来た事は一度もない。
                                          ”
那覇名護(沖縄) キム・ヒョンギ記者

(訳 柴野貞夫 20141124日)

 


<関連サイト>

 

☆世界を見る−世界の新聞/酷暑にも、3863日目の連座籠城、「辺野古に米軍基地、絶対駄目だ」(韓国・ハンギョレ 2014年11月20日付)

☆世界を見る−世界の新聞/沖縄の進歩・保守、力を合わせ米軍に打撃をくらわす(韓国・ハンギョレ 2014年11月16日付)


☆民衆闘争報道/「8・5普天間基地の即時無条件全面返還!辺野古、高江の基地NOを求める関西集会」(2012年8月11日)

☆民衆闘争報道/沖縄−怒りの御万人(うまんちゅう)大行動 (2012年12月23日)